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コーランとアラビア語
イスラム教の聖典であり、正則アラビア語の発音に従いクルアーン(القرآن
al-qur'aan, 「朗唱すべきもの」)とも呼ばれる。ムハンマドが口伝した内容を文字に起こしたとされ、その言語は正則アラビア語(فصحى fuSHaa フスハー、「最も雄弁に物語る(アラビア語)」)と呼ばれ、古来よりイスラム諸地域の神聖な共通語として現在でも形を変えつつ通用し続けている(よって本項目でも随所にアラビア語を表記する)。
まあコーランはキリスト教徒にとっての聖書みたいなものだが、六信(後述)の一つになっていることからも判るように、それ以上に大切に取り扱われており、コーランを意図的に燃やしたりするだけで大騒動になるのは知っての通り。実際にぞんざいに扱わなくとも、それっぽい描写が入ったアニメでさえ問題になることもある。また、コーランはアラビア語の詩的韻律の美しさにおいても大変高く評価されており、コーランが預言者が神から授かった人知を超えた奇跡であるということを示す要素の一つになっている。
六信五行
イスラム教徒が守らなければならない事、信じなければならない事、行わなければならない事を纏めて六信五行という。シーア派にはイマームへの信仰を教義に据えた五信十行が存在する。
【六信】
ü 神(الله allah アッラー)
ü 天使(ملائِكة
malaa’ikah マラーイカ; مَلَك malak の複数形)
ü 啓典(كتب kutub クトゥブ; كتاب kitaab の複数形): モーセ五書、詩篇、福音書、コーラン
ü 使徒・預言者(رسل rusul ルスル; رسول rasuul の複数形)
ü 審判と来世(آخرة aakhirah
アーヒラ)
ü 定命(قدر qadar カダル)
【五行】
ü 信仰告白(شهادة shahaadah
シャハーダ)
ü 礼拝(صلاة Salaah サラー(ト))
ü 喜捨(زكاة zakaah ザカー(ト))
ü 断食(صوم Sawmサウム)
ü 巡礼(حج Hajj ハッジ)
信仰告白とは、皆の前でイスラム教徒になると宣言することである。例えば家族や知人たちの立ち会いの下、聖職者の前で「لا إله إلا الله محمد رسول الله laa
ilaaha illaa 'llaah(u), muHammad(un) rasuulu 'llaah(i) (アッラーを措いて他に神無し。ムハンマドこそアッラーの使徒なれ)」と唱えることでイスラム教に入信できてしまう。なお、この文句はサウジアラビアの国旗に図案化して書かれている。
礼拝は1日5回、聖地メッカの方向を向いて行う。どこでやっても良いが、金曜日の礼拝は一度は礼拝所に行くべきらしい。時間は日毎にずれ、メッカの方を向いて、立ったり座ったりしながら行わなければならないので、イスラム教徒には専用の時計(もしくは礼拝時刻がわかるアプリ)とコンパスと絨毯を持っている人が多い。
喜捨は、いわゆる施しのこと。キリスト教や仏教でも奨励されるが、イスラム教はそれ以上に大事。
断食はイスラム聖遷暦第9月ラマダーン(رمضان ramaDaan)に行うが、もちろん1ヶ月もの間に全く食えなくなるわけではない。つまり日の出から日没までの間の一切の飲食が禁止され、その間は唾液すら飲み込まない努力をする信徒もいる。ちなみに妊娠時や病気の時などには無理せず食べ、その原因が解消された時に行っても良いとされる。それにラマダーン明けは各家庭で盛大な祝宴が催されるので、痩せるどころか逆に太ってしまうとか。
巡礼は一生に一度、聖地メッカにお参りに行くことである。但し、他の4つと違い行うことが簡単ではないため努力義務となっており、実際には巡礼を済ませた者が尊敬されるという程度である。
神
唯一神教として有名なイスラムであるが、信仰告白لا إله إلا اللهを英語に置き換えると、no god but Allah(神は存在しない。ただし、アッラーを除いて)となり、最初に神の存在を否定することから出発している。
これには世界に存在するあらゆるものの神性を否定し、その前提に立った上でネガとして仮想される宇宙の造り主をアッラーと同定するという構造を持っていることと関係しており、「アッラーが宇宙を造った」ではなく「宇宙を造った御方がアッラーである」という言い方にした方が分かりやすい。そのため、この世で起こる全ての事象は神の意思であるという立場を取る。
神性の否定は預言者であるムハンマドにも徹底されており、コーランではムハンマドについて「飯を食い、市場を歩く人間」という記述が登場する。ただし、一部のスーフィーの間ではムハンマドが超越的存在として解釈されたり、シーア派ではお隠れになっている第12代イマームが審判の日に蘇るという信仰がなされていることもある。
アッラーは被造物である時間と空間、あるいは異次元のどこにも存在しておらず、それらの外に存在するものとして区分けされている。その姿は見えるわけではなく、被造物である人の姿をしているわけでもないとされる。それは、コーランにおいて「玉座に坐し給うお方」「手」などの記述が人間的であるとして、この解釈を巡って論争が巻き起こるほどである。一方で、アッラーは意思を持った人格神であり、罪人を火獄に送る峻厳な神でありながら、専ら人間を赦し楽園に導く慈悲の神として描かれる。
また、日本神道などで称される神は宇宙を創造した絶対者という属性を持っているわけではないため、日本における多神教とイスラムにおける一神教は矛盾しないという見方もある。
戒律
戒律が厳しいことで有名である。これは「クルアーン」に次ぐ重要な第二の聖典「ハディース」がある為で、両者合わせての禁則次項はかなり多い。
しかしイスラームの戒律は「軽微なものが破られれば来世の天国への道が遠のいて(最後の審判で)地獄に落とされる可能性が高くなり、重大なものが破られればイスラーム法に則り現世で厳重に処断される」という趣旨が基本である。
つまり軽微なものに限って言えば、破っても即バチが当たるといった性質のものではなく、また意図的な違反でなかったりやむを得なかった場合はノーカウントとされることになっている。
【動物および食について】
豚、犬は不浄の動物とされ、食べるどころか触れてもいけない。この事から犬のついた言葉で相手を口撃する事は最大の侮辱となる。
犬をペットにするなど御法度で、地域によっては没収の上鞭打ちの刑に処されるが、一方でドバイでは犬を飼う人が多いなど、だいぶばらつきがある。また中東原産のサルーキはその美しさと狩猟能力、長らく飼育されてきた歴史から、ベドウィンにおいては家族同様に扱われるなど特異な存在である。
豚以外でも虎などの牙や爪のある動物、キツツキ、ロバ、ラバの食肉が禁止されており、それ以外であってもハラール(حلال Halaal, イスラム法に基づいて正しく屠殺・調理された肉)以外の肉は食べてはいけない。
そんな非イスラム圏在住のムスリムのため、ムスリムが営業する食材店は重宝される。また日本でもインド料理店やパキスタン料理店によってはハラール食のメニューがあったり、国際線の機内食にも islamic food(兼・豚肉アレルギー対応食)が用意されている。一般家庭のムスリム向けに調味料を始めとした複数の製造業がハラール認証を受けている他、留学生向けにハラール食を提供する大学の学生食堂などもある。
一方で小中学校の学校給食など対応しかねるケースも多く、課題はそれなりにある。
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