皇居東御苑は、東京都千代田区の皇居の東側に付属してある広さ約21ヘクタールの庭園。宮内庁の管轄。皇宮警察がある。当地は、かつての江戸城の本丸・二の丸・三の丸跡に位置し、少し離れた場所の西の丸を含めた、この範囲のことを江戸城といった。緑豊かな雑木林に日本庭園や皇室関連の施設、江戸城の遺構などが残されている。戦後、特別史跡に指定され、1968年から一般に公開されるようになった。
かつての江戸城の本丸などがあった場所で、明治時代から戦前までは宮内庁や皇室関連の施設があった。戦後の1960年に閣議決定により一般公開される運びになり、1963年に特別史跡に指定、1968年から一般公開されるようになった。苑内は庭園のほか、歴史的な史跡も見ることができ、国内のみならず海外からの旅行者も多く訪れる。
ü 三の丸尚蔵館…宮内庁所管の美術品、絵画など貴重な品々を展示している。1993年開館。入館料は無料。
ü 宮内庁書陵部庁舎…40万点に及ぶ皇室の古文書と、全国に存在する陵墓の管理を行っている。
ü 宮内庁楽部庁舎
ü 桃華楽堂…香淳皇后の還暦を祝い、1966年に建てられた音楽堂。
ü 同心番所…同心が江戸城へ登城する大名の供を監視した。以前は、この番所の前に橋があり、御三家を除くすべての大名・役人は、ここで乗り物から降りて徒歩で本丸へ登った。
ü 百人番所…本丸・二の丸へ続く大手三之門を警護していた門。鉄砲百人組と呼ばれる甲賀組・伊賀組・根来組・二十五騎組の同心100人が、昼夜交代で警護に当たった。
ü 大番所…本丸へと通じる中之門警備のための詰所。大番が詰めていた。
ü 諏訪の茶屋
ü 富士見櫓…現在のものは明暦の大火の後(1659年)に再建されたもの。江戸城の天守は、明暦の大火で焼失した後に再建されることがなかったので、それ以後、江戸城のほぼ中央に位置していた、この富士見櫓を天守の代わりにした。
ü 松の廊下跡
ü 天守台(江戸城天守跡)…本丸の北端に位置している。最初の天守は1607年に完成し、このときの天守台は少し北にあった。3代将軍家光が大改修を行い、最終的な完成をみたのは1638年。このとき、現在の天守台ができた。天守は、外観5層、内部6階建てで、天守台を含めた高さが58mであり、天気が良ければ房総半島からでも見ることができたという。しかし、明暦の大火で焼失してしまい、再建策もあったが、家光の弟である保科正之(会津松平家藩主)の反対により再建は延期され、それ以後天守は建設されなかった。
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