2024/11/07

最澄(6)

書における師承は明らかでないが、延暦23年(804年)に入唐し、帰朝に当って王羲之の十七帖、王献之、欧陽詢、褚遂良などの筆跡や法帖類を持ち帰った。その書風は空海の変幻自在なのに比べて、楷書と呼ばれるものに近い。真跡として現存するものには、次のようなものがある。

 

天台法華宗年分縁起

『天台法華宗年分縁起』(てんだいほっけしゅうねんぶんえんぎ)は、天台法華宗の年分度者および大乗戒壇設立に関わる文書を蒐集した書。延暦寺蔵。国宝。収録されているのは以下の6通。

 

ü  『請続将絶諸宗更加法華宗表』- 天台法華宗に年分度者2名を認めるよう上奏した書の控え。延暦2513日。

ü  『賀内裏所問定諸宗年分一十二人表』- 朝廷からの諮問に対して、南都の僧綱が天台法華宗に年分度者2名を許可すべきと上奏した書の写し。延暦2515日。

ü  『更加法華宗年分二人定諸宗度者数官符』- 天台法華宗に年分度者2名が認められた旨を支持する公文書の写し。延暦25126日。

ü  『天台法華宗年分得度学生名帳』- 大同2年(807年)から弘仁9年(818年)までの12年間に延暦寺で学んだ年分得度学生の名簿と、さらに弘仁10年分の2名を加筆した書。弘仁10年。

ü  『請先帝御願天台年分得度者随法華経為菩薩出家表』- 大乗戒壇設立を願い出た書。弘仁9521日。

ü  『天台法華宗年分学生式』- 大乗戒壇設立にあたり僧がまもる規律などを記した書。通称、六条式。弘仁9513日。

 

久隔帖

『久隔帖』(きゅうかくじょう)は、弘仁4年(813年)1125日付で書いた尺牘(書状)で、「久隔清音」の句で始まるので、この名がある。宛名は「高雄範闍梨」とあり、これは高雄山寺に派遣した最澄の弟子の泰範であるが、実質は空海宛である。心が筆端まで行き届き、墨気清澄・品格高邁で、さながら王羲之の『集字聖教序』を肉筆化したような響きを放つ。大きさは、29.2cm×55.2cm。奈良国立博物館蔵。国宝。文化財指定名称は「伝教大師筆尺牘」。

 

『久隔帖』最澄筆

久隔清音馳

恋無極

傳承安和且慰下情

大阿闍梨所示五八詩序中有一百廿禮仏

并方圓圖

并註義等名

今奉和詩未知其礼仏圖者

伏乞

令聞 阿闍梨

其所撰圖義並其大意等

告施其和詩者怱難作

著筆之文難改後

代惟示其委曲

必造和詩奉上 座下

謹附貞聡仏子奉状和南

弘仁四年十一月廿五日小法弟最澄状上

高雄範闍梨法前

(以下省略)

 

『久隔帖』

文面は、「大阿闍梨(空海)の示された五八の詩(『中寿感興詩』)の序に、『一百二十礼仏』『方円図』『註義』という書名がある。その詩の韻に和して返礼の詩を作って差し上げたいが、私は『礼仏図』なるものをまだ知らない。どうかこの旨を阿闍梨(空海)に伝えられ、『方円図』『註義』と、その大意とをお知らせいただきたい。(以下省略)」という趣旨の内容である。

 

越州将来目録

『越州将来目録』(えっしゅうしょうらいもくろく)は、最澄が唐から持ち帰った書物等の目録。102115巻の書物と密教法具が記される。巻尾には越州長官の鄭審則の自筆印可条と州の官印のほか、遣唐大使葛野麿らの連署や遣唐使印もあり、当時の公文書の史料としても貴重。延暦寺蔵、国宝。文化財登録名称は「弘法大師請来目録」。

 

羯磨金剛目録

『羯磨金剛目録』(かつまこんごうもくろく)は、唐から持ち帰った品々を経蔵に永納した際の総目録。原本はほぼ失われてしまい、残った十数行を繋ぎ合わせた断簡。元は『御教蔵宝物聖教等目録』といったが、現在は文頭にある羯磨金剛に因んで呼ばれる。文書の全面に「比叡寺印」が捺されており、当時の正式寺号が分かる史料。延暦寺蔵、国宝。

 

空海将来目録

『空海将来目録』(くうかいしょうらいもくろく)は、空海が唐から持ち帰った聖教典籍の総目録を、最澄が書写したもの。元来は延暦寺にあったものが、ある時期に『風信帖』と共に東寺に譲られたものと考えられている。東寺蔵、国宝。文化財指定名称は「弘法大師請来目録」。

 

和歌

最澄が詠んだ和歌が9首伝わっている。

 

比叡山中道建立の時

阿耨多羅三藐三菩提の仏たち我立杣に冥加あらせ給へ

 

『新古今和歌集』

この歌について正岡子規は「いとめでたき歌にて候。長句の用ゐ方など古今未曾有にて、これを詠みたる人もさすがなれど、この歌を勅撰集に加へたる勇気も称するに足るべくと存候(『九たび歌詠みに与ふる書』)」と賞賛している。

 

法華二十八品歌の中に

<方便品>

三の川ひとつの海となる時は舎利弗のみそまつ渡りける

<法師品>

この法をもし一こともとく人はよもの仏のつかひならすや

<分別功徳品>

我命なかしとききてよろこへる人はさなから仏とそなる

『新続古今和歌集』

比叡山の中堂に始て常燈ともしてかけ給へける時

あきらけく後の仏の御世まても光つたへよ法のともし火

『新拾遺和歌集』

末代の衆生のねかひをよめる

末の世のいのりもとむる其事のしるしなきこそしるしなりけれ

『和論語』

比叡山をよめる

おのつからすめは持戒の此山はまことなるかな依身より依所

『和論語』

みかとの御為に経のかき給ひし奥に

となへても君をのみまたいのりけれは幾代ふるとてたえしと所思ふ

となへてもきみをのみまたいのりけれはいくよふるともたへしとそ思ふ

『和論語』

伝教大師童形像

伝教大師童形像は、生源寺(滋賀県大津市)、延暦寺(滋賀県大津市)、雙林寺(京都府京都市)、三千院(京都市)、松尾寺(大阪府和泉市)、能福寺(兵庫県神戸市)、普光寺(兵庫県加西市)、長法寺(岡山県津山市)、天王院(神奈川県横浜市)、立石寺(山形県山形市)など天台宗の寺院に設置されている。

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