2024/12/22

空海(7)

弘法大師の伝説

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概要

弘法大師に関する伝説は、北海道を除く日本各地に5,000以上あり、歴史上の空海の足跡をはるかに越える。柳田國男は、大子(オオゴ)伝説が大師伝説に転化したという説を提出している。中世、日本全国を勧進して廻った遊行僧である高野聖が弘法大師と解釈されたことも根拠となっているが、闇雲に多くの事象と弘法大師が結び付けられてはいない。寺院の建立や仏像などの彫刻、聖水、岩石、動植物など多岐にわたり、特に弘法水に関する伝説は日本各地に残っている。弘法大師が杖をつくと泉が湧き井戸や池となった、といった弘法水の伝承をもつ場所は日本全国で千数百件にのぼる。弘法水は、場所やそのいわれによって、「独鈷水」「御加持水」などと呼ばれている。

 

謀書の疑い

真言宗の祖かつ三筆に数えられる能書家であることから、後世、謀書も作られたと言われている。例えば、天長3年(826年)35日に、高弟の真雅に唯授一人の印信(いんじん、奥義伝授の証明書)を授け、その『天長印信』というものが中世まで真言宗醍醐派の醍醐寺の至宝として伝わっていたが、後の研究では『天長印信』は謀書の一つと考えられている。

 

南北朝時代の延元4/暦応2年(1339年)には、空海に帰依する後醍醐天皇が筆写しており、その作品『後醍醐天皇宸翰天長印信(蠟牋)』は国宝に指定されている。

 

開湯伝説

弘法大師が発見したとの伝承のある温泉は、日本各地に存在する。具体的には以下のとおり。

 

ü  あつみ温泉

ü  大塩温泉

ü  芦ノ牧温泉

ü  出湯温泉

ü  瀬戸口温泉

ü  清津峡温泉

ü  関温泉

ü  燕温泉

ü  川場温泉

ü  法師温泉

ü  修善寺温泉

ü  伊豆山温泉

ü  湯村温泉

ü  鹿塩温泉

ü  海の口温泉

ü  赤引温泉

ü  龍神温泉

ü  関金温泉

ü  湯免温泉

ü  千羽温泉

ü  清水温泉

ü  東道後温泉

ü  杖立温泉

ü  熊の川温泉

ü  波佐見温泉

 

これ以外にも後年、開湯伝説を作った際に名前が使われただけの温泉もある(高野聖のうちには、その離農的な性格から、いわゆる山師的なものもおり、それらが温泉を探り当てた際に宗祖たる空海の名を借用したともいわれている)。

 

伝説・伝承

以下は、弘法大師が由来とされる伝説や伝承があるものである。

 

ü  平仮名

ü  いろは歌

ü 

ü  讃岐うどん

ü  手こね寿司

ü  九条葱

ü  曜日

ü  水銀鉱脈の発見

ü  ダウジング

ü  見附島 (石川県)

ü  橋杭岩

ü  小倉あん

ü  エツ - 日本では筑後川のみに生息する魚、絶滅危惧種

 

四国に狐がいないのは、弘法大師が鉄の橋が掛かるまで渡ってはならないと狐に命令したからという伝説。20世紀になると、海底ケーブルや瀬戸大橋という「鉄の橋」ができたから狐が来るようになったかもしれない、との後日談が加わった。

 

ü  ことわざ・慣用句

ü  弘法も筆の誤り

 

空海は嵯峨天皇からの勅命を得、大内裏應天門の額を書くことになったが、「應」の一番上の点を書き忘れ、まだれをがんだれにしてしまった。空海は掲げられた額を降ろさずに、筆を投げつけて書き直したといわれている。このことわざには、現在、「たとえ大人物であっても、誰にでも間違いはあるもの」という意味だけが残っているが、本来は「さすが大師、書き直し方さえも常人とは違う」というほめ言葉の意味も含まれている。

 

弘法筆を選ばず

文字を書くのが上手な人間は、筆の良し悪しを問わないという意味のことわざ。ただし、性霊集には、よい筆を使うことができなかったので、うまく書けなかったという、全く逆の意味の言及がある。良い道具の選択が重要であることも世には多く、「弘法筆を選ぶ」のように全く逆に転じた言い回しもある。

 

真にその道に秀でた人物ならば、どんな道具を使おうとも優れた成果をあげると言うことを意味する。このため仕事をする場合に道具にこだわっている人は、真に腕前のある人ではないということを意味する。この言葉での弘法というのは、空海という書道の名人である。空海のような書道の名人となれば、作品を書くにあたっては筆の良し悪しを問題にしなくても良い作品を仕上げることができるということである。このことを意味する言葉は、明治時代前期までは「能書筆を選ばず」が一般的であった。それが明治時代後期から次第に弘法筆を選ばずという形で使われるようになっていく。

 

弘法筆を選ばずという言葉が広まっているのであるが、実際の空海は筆を選んでいた。榊莫山の著書によると、空海は81267日に嵯峨天皇に狸の毛で作った筆4本を差し出して、毛筆は時と処に応じてよく選ばなければならないというようなことを言っていた。性霊集の第4巻に「筆を奉献する表」という一文があり、ここでは空海自らが唐で学んだ筆についての事柄を筆職人に伝え、それによって作られた筆を天皇に献上したときの文章である。この文章の中に、筆の大小や長短などを文字の筆勢に応じて取捨選択するべきである、と書かれている。

 

護摩の灰(ごまのはい)

「弘法大師が焚いた護摩の灰」と称する灰を、ご利益があるといって売りつける、旅の詐欺師をいう。後に転じて旅人の懐を狙う盗人全般を指すようになった。

 

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