イングランド教会の首都大司教の叙任問題は、その後2年にわたって続いた。
1095年、国王はひそかにローマへ使いを出し、教皇ウルバヌス2世を認める旨を伝え、パリウムを持った教皇特使を送ってくれるよう教皇に頼んだ。そして、ウィリアム2世は自らパリウムを授与しようとしたが、聖職者叙任という教会内の事柄に俗界の王権が入り込むことを強硬に拒んだアンセルムスは、国王から受け取ることはなかった。
1097年10月、アンセルムスは国王の許可を得ずにローマへ赴いた。怒ったウィリアム2世はアンセルムスの帰還を許さず、直ちに大司教管区の財産を押さえ、以降彼の死まで保ち続けた。ローマでのアンセルムスはウルバヌス2世に名誉をもって迎えられ、翌年のバーリにおける大会議にて、正教会の代表者らの主張に対抗して、カトリック教会のニカイア・コンスタンティノポリス信条で確認された聖霊発出の教義を守る役に指名された(大シスマは1054年の出来事である)。
また、同会議は教会の聖職者叙任権を再確認したが、ウルバヌス2世はイングランド王室と真っ向から対決することを好まず、イングランドの叙任権闘争は決着を見ずに終わった。ローマを発ち、カプア近郊の小村で時を過ごしたアンセルムスは、そこで受肉に関する論文『神はなぜ人間になられたか』を書き上げ、また、翌1099年のラテラノ宮殿での会議に出席した。
1100年、ウィリアム2世は狩猟中に不明の死を遂げた。王位を兄のロバートが不在の間に継承したヘンリー1世は、教会の承認を得たいがために、ただちにアンセルムスを呼び戻した。しかし、先代王と同じく叙任権を要求したヘンリー1世とアンセルムスは、再び仲たがいをすることとなる。国王は教皇に何度かこれを認めようと仕向けたものの、当時の教皇パスカリス2世が認めることはなかった。
この間、1103年4月から1106年8月まで、アンセルムスは追放の身にあった。そしてついに1107年、ウェストミンスター教会会議にて、国王が叙任権の放棄を約束し和解がもたらされた。このウェストミンスター合意は、後の聖職者叙任権闘争に幕を下ろす1122年のヴォルムス協約のモデルとなる。こうしてアンセルムスは、長きにわたった叙任権闘争から解放されたのである。
彼の最後の2年間は、大司教の職務に費やされた。カンタベリー大司教アンセルムスは、1109年4月21日に死亡した。彼は1494年に教皇アレクサンデル6世によって列聖され、また1720年には学識に優れた聖人に贈られる教会博士の称号を得た。
思想
アンセルムスがスコラ学の父と呼ばれる所以は、すでに処女作『モノロギオン』に見て取れる。「独白」を意味するこの論文で、彼は神の存在と特性を理性によって捉えようとした。それは、それまでの迷信にも似たキリスト教の威光をもって神を論ずるものとは一線を画した。
もうひとつの主要論文『プロスロギオン』は、構想当初「理解を求める信仰」と題されていたが、これは彼の神学者、スコラ学者としての姿勢を特徴づけるものとして、しばしば言及される。この立場は通常、理解できることや論証できることのみを信じる立場ではなく、また、信じることのみで足りるとする立場でもなく、信じているが故により深い理解を求める姿勢、あるいはより深く理解するために信じる姿勢であると解される。
神の存在証明
アンセルムスは、神の本体論的証明(神の存在証明)でも著名である。後にイマヌエル・カントによって存在論的な神の存在証明と呼ばれた。神の存在証明は、『プロスロギオン』の特に第2章を中心に展開されたもので、おおよそ以下のような形をとる。
神は、それ以上大きなものがないような存在である。
一般に、何かが人間の理解の内にあるだけではなく、実際に(現実に)存在する方が、より大きいと言える。
もしも、そのような存在が人間の理解の内にあるだけで実際に存在しないのであれば、それは「それ以上大きなものがない」という定義に反する。
そこで、神は人間の理解の内にあるだけではなく実際に存在する。
バートランド・ラッセル『西洋哲学史(1946年)』では、次のように紹介されている。
まず、神を可能な限り最も偉大な思惟の対象と定義する。
さて思惟のある対象が存在しないとすれば、それとまったく類似してかつ存在するいま一つの対象は、より偉大である。
したがって、あらゆる思惟の対象のうち、最も偉大なものは存在しなければならない。なぜなら、それがもし存在しないとすれば、それ以外になお偉大なる対象が可能となるからである。
したがって神は存在する。
この証明は、トマス・アクィナスによって排斥され、デカルトによって容認され、カントはそれを反駁し、ヘーゲルはそれを復位させ、20世紀の現代論理学における「存在」概念の分析によって、本体論的証明が妥当でないことが証明された。しかし、しかし、本体論的証明が論駁されたからといって、神の存在が真ではないと想定する根拠にはならない、とラッセルは述べている。