『ローエングリン』はワーグナーのオペラの中でも人気が高く、一時期はもっとも演奏機会の多い作品となっていた。
1858年にミュンヘンで上演された『ローエングリン』を観て魅了されたのが、当時バイエルン王国の王太子だった15歳のルートヴィヒ2世である。ルートヴィヒ2世は1864年に王位に就くとワーグナーを招聘し、ワーグナーの負債の全てを肩代わりするとともに、高額の援助金を支給した。
ルートヴィヒ2世は、リンダーホーフ城内に『タンホイザー』ゆかりの「ヴェーヌスの洞窟」を作らせ、そこで楽士にオペラのさわりを演奏させ、自身はローエングリンの扮装をして船遊びを楽しんだ。また、多額の国費を投じて建設したノイシュヴァンシュタイン城の名は、日本語に訳せば「新白鳥石城」(画像)である。
アドルフ・ヒトラーも、また『ローエングリン』の熱狂的な愛好者だった。ヒトラー率いるナチス・ドイツは、ワーグナーの音楽を最大限に利用したが、とくに『ローエングリン』の第3幕でハインリヒ王による「ドイツの国土のためにドイツの剣をとれ!」の演説が、ドイツとゲルマン民族の国威発揚のために、あらゆる機会に利用された。このことがあってか、チャップリンによる映画作品『独裁者』において、主人公が地球儀をもて遊ぶ場面とラストシーンにおいて、第1幕への前奏曲が使われている。
最後には主な登場人物の殆どが去り、あるいは死んでしまうという悲劇的な展開は、当初から議論があった。特にローエングリンが去り、エルザが死ぬという結末については、1845年11月の友人たちを集めた朗読会でもすでに異論が出され、初演後の1851年にもアードルフ・シュタールによって批判を受けた。
ワーグナーもこの点には葛藤があったらしく、批判を受けてローエングリンが去らずにエルザと結ばれる「ハッピーエンド」や、エルザもローエングリンとともに去る、といった案を検討したとされる。しかし結局どの案も採用には至らず、批判へのリストの反論もあって結末が変わることはなかった。このことについて、後にワーグナーはギリシア神話の「セメレとゼウス」を引き合いに出して釈明している。ギリシア神話で人間の女であるセメレは、恋人ゼウスに対し神としての真の姿を見たいと願ったために、その願いを叶えたゼウスの雷に打たれて焼け死んでしまうのである。
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