<但馬(たじま)の名の謂れははっきりせず、古事記では「多遅麻」と記されていますが、「台地間(タチマ)」「谷間(タニマ)」のように地形に由来する説、「橘(タチバナ)」の意や、「虎杖(タヂヒ)間(マ)」(イタドリ草が多く生えている谷間)などの植物に由来する説などがあります>
<但馬国(現在の兵庫県北部)の由来は「古事記」、「日本書紀」に記載がある古いもの。新羅(朝鮮半島南東部にあった王朝・356年~935年)王子である天日槍(あめのひぼこ)が妻を追いかけて、渡日し流れ着いた地が「多遅摩(但馬)」であったとされている。出石の地名も、天日槍の持っていた宝物「出石小刀」から取られたものと云われており、天日槍は出石町内の出石神社に祭られている>
ポリネシア語による解釈
<但馬国は兵庫県北部の地域で、北は日本海、東は丹波・丹後国、南は播磨国、西は因幡国に隣接しています。山陰道に属し『古事記』は「多遅麻」、「多遅摩」と、『日本書紀』は、総て「但馬」と記し、『和名抄』は「太知万」と訓じています。この「たちま」は、「タチ(台地)・マ(間)」と解する説があります。
この但馬国の中心の豊岡平野は、古代には日本海から入り込んだ巨大な入り江(潟)で、その先端の一つは出石にまで達していました。この「たちま」は、マオリ語の「タ・チマ」、TA-TIMA(ta=the,dash,lay;tima=a wooden implement for cultivating the
soil)、「掘り棒で掘り散らかしたような(巨大な)地形のある(地域)」の転訛と解します>
<但馬国出石郡は、北は城崎郡、北東から南東にかけては丹後国熊野郡、中郡、天田郡、南から西にかけては朝来郡、養父郡に接していました。おおむね現出石郡出石町、但東町の地域です。『和名抄』は「伊豆志」と訓じています。
出石は『古事記』、『日本書紀』に天日槍(あめのひぼこ)が来日して定住した場所として伝承され、明神大社出石神社は但馬国一宮として、地方の崇敬を集めています。
この「いずし」は
(1)「イツ(厳)」から「崖など嶮しい地形」の意
(2)「イツ(稜威、美称)・シ(石、磯)」の意
(1)「イツ(厳)」から「崖など嶮しい地形」の意
(2)「イツ(稜威、美称)・シ(石、磯)」の意
とする説があります。
この「いずし」は、マオリ語の「イツ・チ」、ITU-TI(itu=side;ti=throw,cast)、「(後に豊岡平野となる潟の)脇に放り出されている(地域)」の転訛と解します。
『日本書紀』垂仁紀3年3月の条に天日槍の来日の記事があり、「刀」、「矛」、「鏡」などを招来したこと、近江国の鏡村に従者がいること(ここには鏡作神社があります)が記されています。
この記事からしますと天日槍は鉄、銅など金属精錬・鋳造の技術を招来したことが窺われます。この出石の近くには、とくに青銅器の製造に不可欠の銅、錫等を産出する日本有数の生野銀山、明延鉱山があり、これらの鉱山の存在が天日槍が日本各地を巡り歩いた末に、最後に出石に定住するに至った最大の理由ではなかったでしょうか>
出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
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