「滋賀県甲賀郡甲賀町」、平仮名で書くと「しがけんこうかぐん こうかちょう」
町役場のHPのURLも「http://www.city.koka.shiga.jp/」
なぜ清音かというと、上記HPに「甲賀の起源は、6世紀末に百済の国から招かれ、この地に文化を開いた『鹿深臣』に由来していると伝えられます」と書いてある。
つまり「鹿深」→「かふか」→「かうか」→「こうか」というワケ。ところが、これに「甲賀」の字を当て戦国時代に「東海道」と「薬草の産地」という、地の利を活用した武士団が発生し「甲賀忍者」と呼ばれ、江戸時代や明治以降も物語として長く語り続けられて全国に知られたので、いつしか「甲賀=こうが」が定着してしまった>
<山群の北半分は、旧近江国甲賀郡である。甲賀忍術で有名な土地であるが、元々水利の悪い山間であった。
「日本書紀」に「敏達13年秋9月、百済より鹿深臣来たり弥勤石像一駆あり」 とあるように、朝鮮百済からの渡来人が開いた土地で鹿深臣が甲可、甲香などと変るうち甲賀になったとする説が一般的である。
この鹿深臣が、のち甲賀郡の郡司となり甲賀武士となり忍者を生み出す遠因となるのであるが、蒲生郡と共に特に渡来人の影響が強いのが特長である>
<宗教関係では石仏群などの古い物があちこちにあり、我が地区にも石仏と言う石塔が山尾根にある。鈴鹿南部に位置する甲賀町の山々は、多くの未知の分野が眠ったままであり、忍者の発生を修験道との関係で捉えてみるのも興味深い。忍者の源流も4世紀まで戻るとする説と、10世紀とするものがあり様々である>
ポリネシア語による解釈
甲賀郡は滋賀県の東南部、野洲川の上・中流域、野洲川の支流杣(そま)川の流域、および信楽町の地域です。甲賀は、昔は「鹿深」、甲可、甲加、甲香とも書かれました。
この「かふか」は
(1)「ムカフ(向)・カ(処)」の約
(2)「カガ」、「カヌカ」、「コーゲ」などと同じで「採草地」の意
とする説があります。
この「かふか」、または「こうか」は、マオリ語の「コフカ」、KOHUKA(thin,lean)、「痩せた(土地)」の転訛と解します。
出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
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