2015/05/04

妹『古事記傳』

【神世七代の段】 本居宣長訳(一部、編集) 
次妹」というのは、これから五世の神々はそれぞれ女男(めお)の神が相並んで生まれたが、男神が先立ち女神はやや遅れて生まれたので「次に」と言っている。妹は「いも」と読む。【和名抄に「いもうと」とあるのは「妹人(いもひと)」の意であって、後のことである。】「いも」は古くは夫婦であれ兄弟であれ、あるいは他人であっても男女相並ぶとき、その男が女を指して言う言葉である。【そのため記中では、兄弟の場合、兄と妹であれば妹を「妹(いも)某」と言うが、姉と妹の場合は妹を「弟(おと)某」と言って妹と言わない。「阿遅鉏高日子根の神、次に妹高比賣の命」と言い「姉石長比賣、その弟木花之佐久夜毘賣」と言う。気を付けること。古代の決まり事だったようである。だから女同士の間で「いも」という呼び方は、上古にはなかったのである。 
書紀の仁賢の巻には『古くは兄弟、長幼に関係なく、女は男を「兄(せ)」と呼び、男は女を「妹(いも)」と言った』とあるように、男からは姉でも「いも」と呼んだのである。夫婦の間で夫が妻を「いも」と呼んだことは、世人もよく知っている。しかし書紀に、雄略天皇が皇后を「吾妹(わぎも)」と呼んだのに註して「妻を妹と呼ぶのは、たぶん古来の風俗だったのだろう」と書いてあるのは、何のことか。このことは平安京になっても普通に行われていたことで、奈良時代にはなおさらだったのに、このようによそよそしげに「たぶん古来の風俗だっただろう」などとは、無理にも漢籍に似せようとして書いた文である。また他人同士でも、男が女を「いも」と呼ぶのも万葉などに例がたくさんある。 ただし巻十二に(2915)「妹といへばなめしかしこし、しかすがにかけまく欲しき言(こと)にあるかも(イモと呼んだのでは失礼に当たりましょう。とは言え、口に出して呼びたい言葉です)」とあるのを見ると、自分よりずっと高位の女性は、こう呼ばなかったらしい。】
しかし少し後には、女同士でも言うようになった。【実の姉妹の間で呼ぶのはもちろん、他人の間でも万葉巻四の吹黄の刀自の歌、また紀の女郎の友に贈る歌、また巻十九に家持の妹が、その妻のもとに贈る歌、その答歌などで、みな「いも」と言っている。】
ところで「いも」に「」の字を書いたのは、この呼び名(上記の本来の意味の「いも」)にぴったりした意味の漢字がなかったため、取りあえず兄弟関係を表す「」の字を借りたのである。この文字の意味にこだわって、本来の意味を見失ってはならない。【それなのに、後代の人は、ひたすら文字の意味を追うため「いも」と言うのは、兄弟の妹の意味から転じて、妻もそう呼ぶようになったなどと誤った解釈に陥ることが多い。】

ここから淤母陀琉(おもだる)、訶志古泥(かしこね)の神までは、ただ女男が相並んでいたことを言い、女神の方を妹と言うのである。婚姻はまだ始まらなかったので、妻を言っているのではない。
男神名の「邇」の下に《上》とあるのは、その「邇」を上がる声に読めということで、女神の「邇」の下の《去》は下がる声に読む。このことは一之巻で述べた。 弘仁私記に『「質問。この二神の「煮」の字は同じ文字だが、なぜ声を変えて読むのか」。 
答え。「これは古事記によっており、上の「煮」の字は上がる声、下の「煮」は去る声に読むと伝えられている。理由ははっきりしないが、こうした神の名は上古からの口伝によるので、註釈したのである」』とある。【ということは、当時は日本書紀を読むにもこの記の趣旨を守って、この程度の読み声もおろそかにしなかったことが分かる。最近の、ただ理屈だけを説く学者も、少しはこうしたことを考えればいい。】

0 件のコメント:

コメントを投稿