2015/05/29

神世七代『古事記傳』

神代一之巻【神世七代の段】
本居宣長訳(一部、編集)
角杙神、活杙神 」は「つぬ」と読む。【いにしえは、すべて「つぬ」と読んでいことは「豊雲野」の「野」の読みに関して、すでに述べた。】「角臣」を、この記では「都奴(つぬ)の臣」と書いていることでも分かる。【その他もすべてそうである。】この名の意味は、およそ物がわずかに現れ始め、たとえばまだ尾や頭、手足がはっきり分かれていない状態を「つぬ」と言う。【獣の角もこの意であり、その形をそう言ったのだろう。】
上記の「豊雲野」でも言ったように「くも」、「くむ」、「くみ」、「こり」などに通じ、物が初めて生まれ出ようとする兆しである。【また物が集まり凝る意味を含む。およそ物は物が凝集して生成するものなので、自ずから意味は通じる。】「芽ぐむ」、「涙ぐむ」の「ぐむ」と同じだ。【「ぐむ」は「ぐみ」と活用する。】

とすると「つぬぐい」は、神の形の初めて兆し生まれ出ようとすることを言う。葦などが芽を出したのを「角ぐむ」と言う言葉は、この神の名と殆ど同じである。【「角杙は角ぐむことだ」とある人も言った。】新撰姓氏録には角凝魂(つぬごりむすび)の命、角凝(つぬごり)の命【「こり」は「くい」と通う。】延喜式神名帳には、出雲国神門郡、神魂子(かみむすびのこ)角魂(つぬむすび)神社などとあるのは、この神だろう。活杙(いくぐい)は、生きて活動し始める意味の名である。神祇官坐御巫祭八神の中の生産日(いくむすび)神【新撰姓氏録に「伊久魂(いくむすび)の神」とある。】
しかし書紀には、この神が出て来ない。【一書にはある。】

○註に「二柱」とあるのは、この二柱が並んでいたのが一世代だということを知らせたのである。【前後の四世代はこの註がなく、ここだけにあるのは前後はどれも「この二神の名は音で読め」という註があるのに、ここだけはその註がないからである。】

意富斗能地神、大斗乃辨神意富(おお)」は美称である。【女神の名の「」も元は「意富」だったのを、後の人が写し誤ったのだろう。「この二神の名も音で読め」とあるのだから「」の字を書いてあるのはおかしい。】「斗」は「處(と)」である。「ところ」を「と」と言う例は多い。立處(たちど)、伏處(ふしど)、寝處(ねど)【万葉の陸奥の歌に「禰度(ねど)」という言葉がある。】、祓處(はらえど)などのような例である。 弘仁私記の序に「古くは居住することを『止(とと、とど)』と言った」とあるのも「處」の意味から出た。「能」は「の」という「てにをは」の辞である。「地(じ)」は前述の「比古遅」の「遅」と同じ。「辨(べ)」は男神の「地」に対応し、女神を賞めて言う尊称である。老女をそう呼ぶことがあるのも、尊ぶ意味であろう。「百師木伊呂辨(ももしきいろべ)」【明の宮(應神天皇)の段】「八坂振天某邊(やさかふるアメいろべ)」【書紀の崇神の巻】、などの名の「べ」も同様だ。また級長戸邊(しなとべ)、荒河刀辨(あらかわとべ)、苅幡刀辨(かりはたとべ)【この他にも「~とべ」という名が多い。】などの名の「とべ」の「べ」も同じである。その「とべ」を「賣(め)」にも通わせて「度賣(とめ)」とも言う。「伊斯許理度賣(いしこりどめ)」などである。【この名の「賣」は、ただの「女」の意味ではない。「辨」に通じる尊称である。この「度賣」を書紀は「姥」と記すが、これは老女の意味である。】

であるから、この二柱の神名は先に述べた「地に成るべき物」が凝り集まって、初めて国土が形成されたことを言い、それに女男の尊称を付けたものである。書紀には「大戸之道(おおとのじ)尊、大苫邊(おおとまべ)尊、一云(あるにイワク)大戸之邊(おおとのべ)、亦曰(またイワク)、大戸摩彦(おおとまひこ)尊、大戸摩姫(おおとまひめ)尊、亦曰、大富道(おおとむじ)尊、大富邊(おおとむべ)尊」とある。【これは女神の名に「大戸之邊」とあるのが正しい。大苫邊、大戸摩彦、大戸摩姫は別の段に出る「大戸惑子(オホトマドヒコ:旧仮名)神、大戸惑女(オホトマドヒメ:旧仮名)神」と所伝が紛れたのであろう。「富」は「との」が転じたのである。】

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