神代二之巻【美斗能麻具波比の段】 本居宣長訳(一部、編集)
○因女先言而不良(おみなおことさきだちしによりてふさわず)。前に伊邪那岐命が「女人先言不良」と言ったのは、女の発言が先立ったこと自体を不良としたのだが、ここでは生まれた御子が不良だったことの原因について言っているので【「因りて」とあるのを考えよ。】
同じ語でも、その指す事実は違っている。混同してはならない。【書紀の、この記に似た一書(第一)には、前記の伊邪那岐命の言葉がなく、この場面で初めて「天神云々、乃教曰、婦人之辭其已先揚乎、宜更還去(オミナおことサキダツべしや、かえりてアラタメいえ)」とある。
○改言は「あらためいえ」と読む。【俗に言う「言い直せ」ということだ。】不祥の御子を生んだのは、あの時の唱和の順序が乱れていたためなので、言葉の罪であった。それで、こう教えたのである。「言え」とあるのに注意せよ。上の「また」は、また再びということで「言え」にかかる。
○この段のあらましに関してもう少し言うと、まず初めに二柱の神が天の御柱を廻った時、女神の言葉が先立ったのは女男(めお)の理に反していたので、男神はそれを「不良」と言った。女男の理というのは、そのかみ宇比遲邇、須比遲邇両神から始まって、女男の神が並んで生まれた時、常に男神が先に生まれて、続いて女神が生まれていた。このことは天地の始めから、女は男に後れ従うのが道理だったからで、現在まで当然その理は続いている。それには極めて深い理由があるようだが、人知の測り知るところではない。とにかく、そのように女男の理に反しているのを、男神は「不良」と思いながらも、その結果悪い御子が生まれるとまでは思わず、そのまま交合したので水蛭子と淡嶋を生んだ。これらの御子は気に入らなかったので、やはり不良と言った。【前の「不良」は女神の言葉が先立ったことを言い、後の「不良」は御子が不出来だったことを言うのであって、言は同じでも違ったことを言っている。混同してはならない。】
○改言は「あらためいえ」と読む。【俗に言う「言い直せ」ということだ。】不祥の御子を生んだのは、あの時の唱和の順序が乱れていたためなので、言葉の罪であった。それで、こう教えたのである。「言え」とあるのに注意せよ。上の「また」は、また再びということで「言え」にかかる。
○この段のあらましに関してもう少し言うと、まず初めに二柱の神が天の御柱を廻った時、女神の言葉が先立ったのは女男(めお)の理に反していたので、男神はそれを「不良」と言った。女男の理というのは、そのかみ宇比遲邇、須比遲邇両神から始まって、女男の神が並んで生まれた時、常に男神が先に生まれて、続いて女神が生まれていた。このことは天地の始めから、女は男に後れ従うのが道理だったからで、現在まで当然その理は続いている。それには極めて深い理由があるようだが、人知の測り知るところではない。とにかく、そのように女男の理に反しているのを、男神は「不良」と思いながらも、その結果悪い御子が生まれるとまでは思わず、そのまま交合したので水蛭子と淡嶋を生んだ。これらの御子は気に入らなかったので、やはり不良と言った。【前の「不良」は女神の言葉が先立ったことを言い、後の「不良」は御子が不出来だったことを言うのであって、言は同じでも違ったことを言っている。混同してはならない。】
しかし、それは初め女神の言葉が先立ったためとまでは思わず、何が原因かと悩んで天神の元へ参上して状況を詳しく報告し「良くない子ができたのはなぜか、どうしたらよいか」と教えを請うたところ、天神たちも自分の考えだけで言わないで、太占によってそれが原因だと突きとめた。【そもそも神々の行われることは、何であれ漢籍などに出ている仏、聖人のたぐいとは大きく違っているのに、この世の漢意に囚われたさかしら人どもは「女の言が先立ったことは陰陽の理に反するので、不良の子が生まれたんだ」と、こともなげに言うが、その「陰陽の理」などというものは、とうてい信じられないことは一之巻の「書紀の論」で述べた通りである。それほど簡単に判断できるものなら、どうしてこれらの大神が悟らなかったのであろうか。
書紀の一書に「陰神乃先唱曰云々、陽神後和之曰云々、遂爲2夫婦1先生2蛭兒1」とあるのは、この唱和が女男の理に違背することに気付かなかったからである。その結果、不良の御子が生まれたわけだが、その原因は天神たちですら、たやすく見つけられなかったからこそ占いを行ったのである。原因が判明した後で、初めて女が先に物を言ったことが不良だったことと、御子が不良だったこととが連結して考えられるのだ。まだそういう関係が分からなかった時は、あのことはあのこと、このことはこのことで独立した二つのことであり、あのことは不良だったと知っていながらも、生まれる御子が不良であるとまでは思いもかけず交合したのである。すべての経緯、結果を知った上で、あるいはその原因も判明した後で、その吉凶について「初めから分かっていた」などと論じるのは漢人の癖であって、極めて不謹慎である。後付けの理屈であれば、どんな風にでも言えるだろう。
ある人の説に「不良の子が生まれたのは、女神が先に物を言ったためだということは、二柱の神もよく分かっていたのだが、それでも天神の大命を受けるために参上したのだ」と言うが、これも儒者心の曲説である。それが不良と知っていたのであれば、初めから理に違背すると知りながら交合したのはなぜなのか。その時、すぐに唱和をやり直すのが当然だ。また悪いことを改めるのは善であるのに、それさえ謹んで天神に伺うほどなら、初めの唱和で不良と知りながら、すぐに交合に及んだのはなぜか。重く謹むべきことを謹まず、さして重要でない(むしろ良い)ことを謹むなど、ありそうにないことだ。およそ謹みということは、その行いの重要さによるもので、最近の「神道者」などと大げさに名乗って、何でもかんでもやたらに「敬(つつし)みこそ道の旨」などと言いふらしている連中の言うことは、例の儒者どもにへつらう私説にすぎない。また他の人の説で「不良と知りながら交合したのは過ちだ。だが、それをすぐに改めたのこそ大神の行動だ」と言うのも、やはり儒者の説に惑わされている。】
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