2015/11/09

布斗麻爾『古事記傳』

神代二之巻【美斗能麻具波比の段】
本居宣長訳(一部、編集)
口語訳:そこで、二神は相談して言った。
「今私たちが生んだ子は良くなかった。この上は、天つ神たちに相談してみよう」
そこで二神ともに天に昇り、天つ神のお言葉を請いねがった。 天つ神は太占(ふとまに)で占った結果
「女の言葉が男に先だって発せられたために良くなかったのである。もう一度帰って、言い直しなさい」
と詔した。天神(あまつかみ)は前段で「天神諸」とあったのと同じで、初めの五柱の天神である。

御所は「みもと」と読む。
○白は、いずれも「もうす≪旧仮名:まをす≫」と読む。高津の宮(仁徳天皇)の段の歌に「母能麻袁須(ものもうす)」、朝倉の宮(雄略天皇)の段の歌に「意富麻幣爾麻袁須(おおまえにもうす)」など、他に万葉などにもたくさんある。【万葉に「麻宇須(まうす)」ともあるが「乎」を「宇」と写し違えたのである。何にせよ「う」と言うのは、音便によって崩れた言い方である。】

参上は「まいのぼりて」とよむ。一般に古代は参を「まい」と言った。参入を「まいる」、【「まいいる」の縮まった形である。後世、仮名で「まゐる≪旧仮名≫」でなく「まいる」と書くのは誤りである。】
参出を「まいで」、参来を「まいく」と言うたぐいである。【この「まい」を、後代は「まう」と言うことが多くなった。「参出(まいで)」を「詣(もうで)」と言い、参上も「もうのぼる」と言うたぐいである。例の音便で崩れた言い方である。

請天神之命(あまつかみのみことをこいたまういき)とは、上の件の状況を天神に報告し【書紀に「具奏2其状1(ツブサにソノさまをモウス)」とある。】「これはどうしたわけでしょうか、どうしたらいいでしょうか」と伺い大命を請うたのである。そもそも万事、自分の狭い考えだけでなく、天神の命令に従って行うことこそ道の大義だ。この二柱の大神ですら、そのようにしたのに、まして後世の凡人が賢しらに自分勝手な判断で事を行うことがあってはならないのである。

天神之命以(あまつかみのみこともちて)は、前段に「天神諸命以」とあったのと同じ言葉で「仰せによって」といった意味である。

布斗麻爾(ふとまに)は、玉垣の宮(垂仁天皇)の段に「布斗麻爾爾占相而(フトマニにウラエテ)」とある。書紀には「太占此云2布刀麻尓(底本正字はやねに小)1」、また「天兒屋命主2神事之宗源1者也、故俾B以2太占之卜事1而奉仕A焉(アメのコヤネのミコトは、カムゴトをツカサどるモトなり。かれ、フトマニのウラゴトをモチテ、つかえマツラシム。)」などの例がある。「布斗」は「布刀詔戸(ふとノリト)」、「布刀玉(ふとダマ)」の「布刀(太)」で、讃える言葉である。「麻爾(まに)」がどういう意味なのか、よく分からない。【書紀の「占」の字は、ただ当てただけの字であって「まに」の意味が「占」だというわけではない。一般に書紀の文字は全く同じ意味でなくても、大体似た意味の字を当てていることが多い。また漢籍では「卜」と「占」では意味が違うのだが、わが国では同じように使う。それを文字によって意味が異なるように言い立てるのは、大きな間違いである。】
そもそも「ふとまに」は、上代の一種の「卜」であって、各種の占術のうちでも特に重要視された占いだと言う。この言葉の下の「爾」は「てにをは」である。

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