神代二之巻【美斗能麻具波比の段】 本居宣長訳(一部、編集)
○葦船は「あしぶね」と読む。【一般に「~船」というのは、このように読む。「の」を入れて「あしのふね」と読んではいけない。】
○葦船は「あしぶね」と読む。【一般に「~船」というのは、このように読む。「の」を入れて「あしのふね」と読んではいけない。】
この船を書紀の纂疏は「以2葦一葉1爲レ船也(葦の葉一枚で船としたのである)」としている。さもありなん。また葦をたくさん集めて、編んだ船かも知れない。あの「無間堅間之小船(まなしカタマのオブネ)」を想起せよ。書紀の本文には「載2之於天磐クス(木+豫)樟船1而順レ風放棄(アマのイワクスブネにノセテ、カゼのマニマニはなちスツ)≪天のイワクス船に載せて海に流した。≫」とある。和名抄に「舟も船も和名『ふね』」とある。この御子をこのように捨てられたのは、ただ水蛭子であったがゆえに嫌い捨てたのである。
○淡嶋は、前にも引いた高津の宮(仁徳天皇)の段の歌に「阿波志摩(あわしま)」とある島である。また万葉巻三(358)に「武庫浦乎、榜轉小舟、粟嶋矣、背尓(底本正字はやねに小)見乍、乏小舟(ムコのウラを、コギたむオブネ、アワシマを、ソガイにミツツ、ともしきオブネ)」、また巻四【十六丁、丹比笠麻呂筑紫の國へ下るときの長歌】(509)に、「淡路乎過、粟嶋乎、背爾見管(アワジをスギテ、アワシマを、ソガイにミツツ)云々」、巻七【十九丁】(1207)に「粟嶋爾、許枳将渡等、思鞆、赤石門浪、未佐和来(アワシマに、コギわたらんと、オモエども、アカシのトナミ、いまだサワゲリ)」などとある。【巻十二にも例がある。】
○淡嶋は、前にも引いた高津の宮(仁徳天皇)の段の歌に「阿波志摩(あわしま)」とある島である。また万葉巻三(358)に「武庫浦乎、榜轉小舟、粟嶋矣、背尓(底本正字はやねに小)見乍、乏小舟(ムコのウラを、コギたむオブネ、アワシマを、ソガイにミツツ、ともしきオブネ)」、また巻四【十六丁、丹比笠麻呂筑紫の國へ下るときの長歌】(509)に、「淡路乎過、粟嶋乎、背爾見管(アワジをスギテ、アワシマを、ソガイにミツツ)云々」、巻七【十九丁】(1207)に「粟嶋爾、許枳将渡等、思鞆、赤石門浪、未佐和来(アワシマに、コギわたらんと、オモエども、アカシのトナミ、いまだサワゲリ)」などとある。【巻十二にも例がある。】
これらによると、淡路の西北の方にある小島のようである。仙覺抄(万葉の註釈本)に「讃岐國屋嶋北去百歩許有レ嶋、名曰2阿波嶋1(サヌキのクニ、ヤシマのキタ、サルコトひゃっぽバカリにコジマあり。なづけてアワシマという)≪讃岐国の屋島の北、百歩ほどのところに小島があり、阿波嶋という≫」とあって、なお検討を要する。巻九【十三丁】(1711)に「粟の小嶋」と歌っているのもこれだろう。【巻十五(3631、3633)に「安波之麻(あわしま)」と詠んだ歌が二首あるが、それは別のことで、周防の海にあるように思われる。
また書紀にある「少名毘古那神が淡嶋に到って、粟茎(あわがら)に弾かれて常世の国に行ってしまった」という淡嶋は、風土記によると伯耆の国の相見郡にあるそうだ。出雲国風土記によれば、意宇郡にも粟嶋がある。この淡嶋について志摩の国、紀伊の国、あるいは安房の国などと諸説あるが、それはみな誤っている。また「アワのシマ」と読むのも誤りだ。前記の仁徳天皇の歌、万葉の歌で「あわしま」と読むことが明らかだ。】
ところで、この島は「今吾所生之子不良(いまアがウメリシみこフサワズ)」、【次の段にある。】と言ったことからして、源氏物語の帚木の巻に『爪弾きをして「云はむ方なし」と、式部を阿波米(あはめ)悪みて「少し宜しからむことを申せ」と責め賜へど≪この文旧仮名遣い表記≫云々』【「あはめ」という語は、他にも明石の巻、處女(少女?)の巻、総角の巻、宿木の巻、また紫式部日記などにも見える。「あはむ」、「あはむる」と活用する。】
この「あわめにくみ」を河海抄で「淡悪(あわめにくむ)」と解釈した【後の本には「拒む」意とか、「あばめ」と濁って読むなどは誤り。】その意味であって、御親神が淡め悪んだために「淡嶋」と名付けられたのである。書紀に「先以2淡路洲1爲レ胞、意所不快故、名=之=曰2淡路洲1(まずアワジシマをエとナス、フサワズおもおしけるユエニ、アワジシマとナヅケキ)」とあるのは、この淡嶋と淡路島の名が似ていることから、伝承が紛れたのであろう。【旧事紀でこれを「吾耻(あはじ)」の意とするのは似たようなことだが、古語の意味合いにはならない。淡路という名の意味は、次の巻で述べる。】
○是亦不入子之例(こもこのかずにいれず)。【不入は「いらず」とも「いれず」とも読める。】かの水蛭子は流して捨ててしまったので、始めから数に入っていなかったことが、この文で分かる。それで淡嶋について是亦(こも)という。「これも」を「こも」というのは古言である。「例」の字は「かず」と読む。書紀に「此亦不3以充2兒數1(こもまたミコのカズにはイレズ)」とあるのによる。【この「例」の字を師は「列」の誤りではないかと云った。それも、ありそうなことだ。欽明紀に「入2榮班貴盛之例1(さかえタノシキつらにクワワレリ)≪富み栄えている連中に加わった≫」というのも「列」の誤りのように見える。だが雄略紀に「莫レ預2群臣之例1(まえつキミたちのツラにナあずからしめソ)≪群臣と同じに扱ってはならない≫」、天武紀に「入2不レ赦之例1(ユルサざるカギリニいれん)≪(今後犯した罪は)特赦の対象としない≫」、また「入2官治之例1(ツカサおさむるカギリニいる)≪国が管理する(神社の)うちに入れる≫」などの「例」は誤りではないので、ここも誤りでないとしておく。】これらを御子の数に入れないのは「不良」として「淡め悪」まれたからである。
○是亦不入子之例(こもこのかずにいれず)。【不入は「いらず」とも「いれず」とも読める。】かの水蛭子は流して捨ててしまったので、始めから数に入っていなかったことが、この文で分かる。それで淡嶋について是亦(こも)という。「これも」を「こも」というのは古言である。「例」の字は「かず」と読む。書紀に「此亦不3以充2兒數1(こもまたミコのカズにはイレズ)」とあるのによる。【この「例」の字を師は「列」の誤りではないかと云った。それも、ありそうなことだ。欽明紀に「入2榮班貴盛之例1(さかえタノシキつらにクワワレリ)≪富み栄えている連中に加わった≫」というのも「列」の誤りのように見える。だが雄略紀に「莫レ預2群臣之例1(まえつキミたちのツラにナあずからしめソ)≪群臣と同じに扱ってはならない≫」、天武紀に「入2不レ赦之例1(ユルサざるカギリニいれん)≪(今後犯した罪は)特赦の対象としない≫」、また「入2官治之例1(ツカサおさむるカギリニいる)≪国が管理する(神社の)うちに入れる≫」などの「例」は誤りではないので、ここも誤りでないとしておく。】これらを御子の数に入れないのは「不良」として「淡め悪」まれたからである。
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