神代三之巻【大八嶋成出の段】本居宣長訳(一部、編集)
○大倭豊秋津嶋(おおやまととよあきづしま)。この名のことは、別に「國號考」で詳細に考察したので、ここでは省略する。
○天御虚空豊秋津根別(あまのみそらとよあきづねわけ)。万葉巻五【三十一丁】(894)に「久堅能阿麻能見虚喩(ヒサカタのアマのミソラゆ)」、巻十【六十丁】(2322)に「天三空(アマのミソラ)」などがある。「天」は上(894)に準じて「あまの」と読む。この名は天照大御神のしろしめす高天原になぞらえて、天皇のいる都も「天(あめ)」と呼ぶので【万葉巻十三(3252)に「久堅之王都(ひさかたのみやこ)」とあるのもこれだ。】その意味で讃えた名ではないだろうか。【大倭も秋津嶋も、都から見て言う名だからである。】またあの「虚空見倭(そらみつやまと)」などの古言にも関連するのだろう。「豊秋津」は秋津嶋の名に由来する。「根」は例の尊称である。
○以上の八つの島を生んだ順序は、まず淤能碁呂嶋で交合して最初に生んだ淡嶋は、その近くにある。次の淡路島もその隣にある。それから西へ行って伊豫之二名嶋、次に筑紫嶋を生み、北に折れて伊岐嶋と津嶋を生み、東に回って佐度嶋を生み、南に帰って大倭嶋を生んだのである。このように順序よく廻って乱れがない中で、ただ隱伎嶋だけは乱れて筑紫嶋の前にあるのはなぜか、大変に訝しい。そこで書紀を参照すると、この八島の順序について六つの異説があるけれども、隱伎はどれでも佐度の直前にある。この記(古事記)も、本来そうあるべきだったのではないだろうか。【旧事紀の八島の順序は、おおよそこの記の記載によって書いてあるのだが、対馬、次に隠岐、次に佐渡となっているのは、理に適っている。しかし、その後にまたの名を連ねた順序は、この記と同じく隠岐が伊予の次になっているので、上記は著者が自分勝手に判断して書き変えたものらしい。】書紀に載っている所伝は順序も各島もいろいろ異同があり、どれもこの記とおなじではない。
○故因此八嶋先所生。これは「カレこのヤシマぞマズうみませるクニなるにヨリテ」と読む。
○大八嶋國(おおやしまのくに)。この名のことも「國號考」で考察した。【ある人がこう尋ねた。「この後にもまだ生んだ島があるのに、この八つの島に限定して国の名にしたのはなぜか?」答え。「この八島は次々に生み廻って、巡り終わって元の淤能碁呂嶋へ帰るまで、一周するうちに生んだからである。そのことは次に「元へ還って」とあるので明らかである。」】
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