出典 http://timeway.vivian.jp/index.html
イタリアの首都、ローマですが、ここはもともとは小さな都市国家でした。ギリシアのポリスと似たような構造で、アテネに比べて200年くらい遅れて発展してきました。
アレクサンドロス大王がペルシアを滅ぼしたあと、なぜそのままインド方面に向かったのか、西に、つまりイタリア半島の方向へ遠征を考えなかったのはなぜか。つまり現在のイタリア方面には、遠征するだけの魅力はなかった。後進地帯だったわけです。
このローマが、やがて大発展してアレクサンドロスの後継国家、つまりヘレニズム国家をすべて支配する大帝国になるのです。その経過を見ておきましょう。
ローマは前8世紀頃、ラテン人によって建国されました。ラテン人は、インド=ヨーロッパ語族です。今でもイタリア人やスペイン人をラテン系民族というのは、ローマ帝国の支配下に入ってラテン人の血を引き継いでいる、という意識から来るようです。
都市国家ローマには最初は王がいましたが、前6世紀には王を追放して共和政が始まりました。王がいる政治制度が王政、王がいないのは共和政です。こういう用語は覚えておこう。アメリカ合衆国は王がいませんから共和政、イギリスは女王がいますね、だから王政。韓国は、共和政。じゃ、日本は? 王はいないけど天皇がいる。どっちだといわれれば王政に分類されます。
ローマでは前6世紀に共和政が始まって以来、元老院と呼ばれる貴族の議会が政治を主導してきました。外国の使節がローマの元老院を見て、王が何百人も集まっているようだと言ったくらいに、彼らは誇り高かった。また共和政という政治制度に自信を持っていたようです。元老院という訳語は、伝統がある古い訳ですがわかりにくい。同じモノが現代政治だと上院とか貴族院と訳されます。
政府の役職で一番トップに立つのがコンスル。執政官と訳されます。これも現代的に訳せば大統領です。任期一年で、2名おかれます。2名にしているのは、独裁政治にならないように互いに牽制させるためです。ともかく、ローマでは王や王もどきが出現するのを極端に警戒しました。
しかし、執政官二人の意見が異なると、国家存亡の非常事態に対応が遅れて困ることになります。この点を解決するためにおかれる臨時職に、ディクタトールがある。これは独裁官と訳す。半年任期で1名です。決して半年以上は任に着かない。独裁者にならないようにです。
執政官も独裁官も元老院議員も、みんな貴族から選ばれます。これに対して平民たちが不満を持つようになるのは、ギリシアと同じです。ローマでも、平民が武器自弁で重装歩兵として戦場にでる。これは貴重な戦力なんですね。ところが、戦場での活躍だけが期待されて政治的権利がない。ということで、平民が貴族に対して抗議活動をおこないます。
前494年の聖山事件というのがこれです。平民たちが聖山という山に立て籠もって、ストライキを起こした事件です。ローマの貴族たちは護民官設置を認めることで、平民に歩み寄りました。
護民官は2名。執政官の政策に対し、それが平民の不利益になると判断すれば、拒否権を発動することが出来る。護民官がノーといえば、執政官は何もできないというわけだ。それから、護民官は身体不可侵です。誰も護民官を肉体的に傷つけることは許されない、独特の宗教的ともいえる権威を持つようです。
その後も、徐々に平民の権利は拡大します。前451年、十二表法制定。12枚の銅板に法律を刻んで、誰もが見られるようにした。貴族独占だった法律情報の公開ですね。元老院はアテネに使節を派遣して、ドラコンの法なんかを参考にしたといいます。
前367年、リキニウス=セクスティウス法。執政官のうち、一名を平民から選出する法律です。
前287年、ホルテンシウス法。平民の議会である平民会というのがあるんですが、この平民会の決定を国法とする法律です。元老院と対等に立法出来るようになったわけです。
この段階で、ローマにおける身分闘争は終結し、政治は安定し外に向けて発展していきます。
ここで一つ注意。執政官も、貴族・平民から一名ずつ選ぶようになり、立法権も平等にあるから、二つの身分は対等のように見えます。でも、違うんです。例えばアテネでは貴族、平民も一緒になった民会が国政の最高機関になりましたが、ローマでは貴族は元老院、平民は平民会と、二つの身分は分離したままです。ここは、注意しておいてください。そして、常に貴族は大金持ちです。財産あります。平民にはありません。財産を築いた平民は、貴族の仲間入りを目指します。ローマで実質的に政治権力を握っているのは、元老院を中心とする貴族ですよ。
地中海世界の統一
ローマは周辺の都市国家や部族を征服し、前272年にはイタリア半島を統一しました。ローマの他国支配の仕方は、少しわれわれの常識とは違うので説明しておきます。
例えばローマがある都市、仮にA市としますが、A市を降伏させると条約を結びローマの同盟国とします。A市は自治を認められ、ローマに対して納税の義務はない。ただし、ローマがどこかと戦争をするときは、兵隊を出す義務があります。それだけです。今のアメリカとどこかの国みたいな関係です。
こんなふうに色々な国を支配すると、同じように条約を結び同盟国を増やすという形で、領土が増えていくのです。領土というより、緩やかな連合体という感じです。
ローマがその服属諸都市と結んだ条約の中身ですが、都市毎に待遇が違うのが大きな特徴です。差別待遇をするので、服属諸都市間の利害が一致しにくい。団結してローマに抵抗するということが起きにくい。これを、分割統治という。
さらに、ローマは服属都市の支配層である貴族たちに、ローマ市民権を与えるんです。つまりA市の支配者は、同時にローマ市民になる。支配者であるローマ人と同等になってしまうのね。これではローマに逆らう理由はないです。こういう支配の仕方が、ローマ人は実に上手い。あくまでも、このような支配の仕方はイタリア半島の支配地域だけです。やがて、ローマは海外に進出します。
イタリア半島のつま先が蹴っ飛ばしている石、これがシチリア島です。ローマはここに勢力を伸ばします。ここはギリシア系の都市が多いのですが、カルタゴの勢力圏でした。ローマが最初にぶつかった強敵が、このカルタゴです。
カルタゴはフェニキア人が建設した植民都市でしたが、当時は西地中海貿易を支配する大国になっていました。カルタゴ人をローマ人はポエニ人と言ったので、このローマ・カルタゴの戦争をポエニ戦争といいます。