2019/07/07

プラトン(4) ~ 「洞窟の比喩」


太陽の比喩
太陽の比喩とは、プラトンが『国家』第6巻の中で、善のイデアを説明するのに用いた比喩の1つ。

善が何であるか」を問われたソクラテスが、知らないので説明できないと説明を拒否しようとしたところ、グラウコンにせがまれ、しかたなく「善そのもの」ではなく、それに最も似ているように見える「善の子供」についての説明を始める。

まず同意事項として、ソクラテスは「美」や「善」といったものが、感覚される対象となる「多くの美しいもの」「多くの善いもの」と、思惟される対象となる「美そのもの」「善そのもの」といった単一の相に応じた実相(イデア)の2つに区別されること、また感覚機能の中で視覚だけが「」という媒介を必要とする特別なものであることを確認する。

こうして、次に太陽の比喩の話に入っていく。

天空の神々の内で「光」の原因となっているのは「太陽」である。ソクラテスは、この「太陽」こそが先程「善の子供」と呼んだものであり、「善」が「知るもの」(機能)と「知られるもの」(対象)に対して持つ関係は、「太陽」が「見るもの」(機能)と「見られるもの」(対象)に対して持つ関係と同じだと述べる。

目は「太陽の光」に「事物」(対象)が照らされそれがはっきり見えることで、その内に「視覚」(機能)が宿っていることが明らかになる。魂もまた「善の真・有」が照らしている「真理」(対象)に向けられることで、その内に「知性」(機能)が宿っていることが明らかになる。

この対象には「真理性」を、行為主体には「認識機能・知識」を同時に提供するものが、「善の実相」(善のイデア)であり、それは「真理」と「認識・知識」の原因(根拠)であると同時に、これらよりもさらに美しいものであると、ソクラテスは述べる。

グラウコンにさらなる説明を求められたソクラテスは、続いて線分の比喩の説明を始める。

線分の比喩
線分の比喩とは、プラトンが『国家』第6巻の中で、善のイデアを説明するのに用いた比喩の1つ。

太陽の比喩を引き継ぐ形で、「善(のイデア)」と「太陽」の類似点をさらに説明するために、線分の比喩が語られる。

ソクラテスは、まず「善」が君臨する思惟の対象となる種族・領域(可知界)と「太陽」が君臨する見る対象となる種族・領域(可視界)を、思い描いた線分AB上に分割配置してもらう。後者の見られる対象がAC、前者の思惟される対象がCBと。

 続いて、その両者をさらに2分割して「似像(類似物)」と「原物」をそれぞれに配置してもらう。 

 
CB : 思惟される対象(可知界)
EB : 原物
CE : 似像
AC : 見られる対象(可視界)
DC : 原物
AD : 似像

すると、まず見られる対象(可視界)における似像(AD)とは、影・写像・鏡像などであり、その原物(DC)は周囲にある動物・植物・人工物の類の全体ということになる。

では、思惟される対象(可知界)における似像(CE)は何かというと、仮設(前提)の枠組み内で完結する体系や、DCすなわち可視界の原物である人工物を補助的に似像として活用するような営み、すなわち幾何学や算数などの学術によって把握されるものであり、その原物(EB)は何かというと、問答(対話・推論)の力によって仮設(前提)を踏み台としつつ、上方へと進んで行く(帰納する)ことで把握される「万物の始原」や、そこから感覚される補助物を一切用いずに連絡(演繹)される「実相」(イデア)などである。

そして、ソクラテスはこの4つに対応する魂の状態を、EBに対しては「ノエーシス」(直接知)、CEに対しては「ディアノイア」(間接知)、DCに対しては「ピスティス」(直接知覚)、ADに対しては「エイカシアー」(間接知覚)と名付ける。

CB : 思惟される対象(可知界)
EB : 原物(問答の対象、始原)- ノエーシス(あるいは、エピステーメー)
CE : 似像(幾何学・算数・学術の対象、形式知)- ディアノイア
AC : 見られる対象(可視界)
DC : 原物(動物・植物・人工物)- ピスティス
AD : 似像(影・写像・鏡像)- エイカシアー

洞窟の比喩
縛られ壁に向き合った人々は、影だけを見てそれを実体だと思い込んでいる。
洞窟の比喩は、イデア論を説明するために、古代ギリシアの哲学者プラトンが考えた比喩である。『国家』第7巻で詳述される。

『国家』第7巻の記述
514A-515A) ……地下の洞窟に住んでいる人々を想像してみよう。明かりに向かって洞窟の幅いっぱいの通路が入口まで達している。人々は、子どもの頃から手足も首も縛られていて動くことができず、ずっと洞窟の奥を見ながら振り返ることもできない。入口のはるか上方に火が燃えていて、人々をうしろから照らしている。火と人々のあいだに道があり、道に沿って低い壁が作られている。……壁に沿って、いろんな種類の道具、木や石などで作られた人間や動物の像が、壁の上に差し上げられながら運ばれていく。運んでいく人々のなかには、声を出すものもいれば、黙っているものもいる。……

解説
洞窟に住む縛られた人々が見ているのは「実体」の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる。「実体」を運んで行く人々の声が洞窟の奥に反響して、この思い込みは確信に変わる。同じように、われわれが現実に見ているものは、イデアの「影」に過ぎないとプラトンは考える。
出典 Wikipedia

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