2019/07/15

プラトン(5) ~ プラトンの原点


ソクラテスの弟子達の中で、今日一番有名なのはいうまでもなく「プラトン」です。彼も当時から当代最大の哲学者との評価を得ており、その哲学的理論の優れだけではなく、良き人間の形成というフィロソフィア本来の見地からも、最高度の人間として評価・尊敬されておりました。

 私たちは、現在の哲学史の理屈だけのプラトン理論の紹介に、どんなに人生を大事に生きていた人間プラトンがいたかを見失っています。私たちはもう一度、プラトンにとっても「哲学とは良く生きることについての知の愛し求め」だったのだということを思い出すべきでしょう。

ソクラテスとの関係
 プラトンには幾つかの書簡がのこされており、そこで自分の人生のあり方についてのべている記述があって、それが第一の資料となるほか、他者による伝承もあります。

 まずソクラテスとの出会いですが、私たちは「大哲学者プラトン」を無意識的に前提してしまい、まるではじめからプラトンは哲学の徒であって哲学理論の研究に勤しんでいたかのように思いこんでしまうところがあって、プラトンが何故ソクラテスに惹かれたのかという問題をあまり問題にしません。しかし「人はなぜ哲学を始めるのか」という問題はもっとも大事な問いであって、プラトンの場合にも「なぜなのか」は大きな問題です。

 プラトン自身、その書簡の中で自叙伝的なことを述べている箇所があるのですが、その第七書簡の中で、彼は

「自分は若い頃は他の多くの若者と同様、独り立ちしたらすぐにでも国家社会のリーダーたるべく活躍しようと思っていた」

と述べています。つまりプラトンの若い頃の夢は、おそらく「将軍」(当時、将軍というのは軍事だけでなく実質的な政治リーダーであって、今日的に言えば「大統領」「首相」「大臣」に相当するといえます)になることにあったというわけです。これはしかし特別な夢ではなく、実際書簡にも「多くの若者と同様」と言われているように、普通の市民の子弟であれば誰でも目標にするようなものでした。なぜなら、これがその当時の社会の価値観・常識であったからです。そして、それはそんなに困難なことでもなかったのです。プラトンも当時の一流の家庭の子弟として当然、何の疑いもなく誰もが考える道を考えていたにすぎません。

 このあたりは、プラトンの兄弟子「アンティステネス」や「アリスティッポス達」とはかなり異なっているといえるでしょう。というのもアンティステネスやアリスティッポス達は、明らかに政治的リーダーになるのが立派な人間といった世間的常識の「外」にあって、それゆえに「社会常識・価値観とは異なった立場にある、自由なる精神の持ち主としてのソクラテス」に惹かれてやってきたと見なせるからです。

 それではプラトンはソクラテスに何を見たのかということですが、もしプラトンが政治的関心の愚を悟って自由人的人間の徳性へと関心を移したのであったのなら、プラトンもアンティステネス達と同じものをソクラテスの内に見たということになりそうです。しかし実際はそうではなく、プラトンは終生「政治的関心」を失うことがなかったのでした。その証拠は簡単に示せ、主著としての『国家』や『法律』その他の政治・社会的著作、そして実際的活動としての「シラクサのディオンの革命運動」に対する支援などが挙げられます。

 そうだとするとプラトンはソクラテスの内に何を見たのかということですが、それは彼の著作そのものが示すことで、簡単に言ってしまえば社会的・政治的リーダー、あるいはどんな者になるにせよ、そこに人間としての優れがなければすべては虚偽になるという、その根本的な発想であったでしょう。

 このソクラテス的発想法は、実際正しいとは思えても現実にはなかなか、いやむしろほとんど現実化しない常識に合致しない主張とも言えます。ソクラテス以来、2500年近く過ぎている現在でも全然駄目です。それだけに人間の生き方について関心を持っていた人たちにとっては、この発想法に気付かされた時は強烈なインパクトを与えられたことでしょう。

アンティステネスやアリスティッポス、またその他の弟子達がソクラテスに惹かれてその下に来たのは、まずこの点においてであったと考えられます。プラトンもソクラテスから見て取ったことは、それであったでしょう。プラトンは「政治的リーダーにせよ何にせよ、一人前の人間となるために学ばなければならないこと」をソクラテスによって教えられたというわけです。その後ソクラテスの弟子たちはその関心にしたがって、それぞれ自己の道を行くことになるわけですが、彼等ソクラテスの徒に共通しているのは、この一点であったといえるでしょう。

 アンティステネスが、真にあるべき人間をただ人間の内面のみに求めて、そこから社会の腐敗に敢然として皮肉をもって戦う「反社会的生活」へと進み、アリスティッポスが社会常識など歯牙にもかけない「流れる雲のように自由な快楽論」へと行ったのに対して、プラトンはソクラテスにあった「あるべき本質」の考え方を理論的に抑えこみ、真実にあるべき国家・人間を目指して「イデア論、徳論、魂論、国家論」へと理論を結晶させつつ、具体的な人生として教育者として活動する道を進んでいったといえます。

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