2020/06/05

ヒンドゥー教(10) ~ バガヴァッド・ギーター(2)

バガヴァッド・ギーターはヒンドゥ・シンセシス、すなわちあらゆる宗教的な風習を取り入れる試みのコンセンサスを得た成果の結晶といえる。ヒルテベイテルは

「バクティの思想をヴェーダーンタ学派に組み入れることが、この統合にとって不可分の要素をなしていた」

と述べている。

エリオット・ドイツとロヒット・ダルヴィ(Rohit Dalvi)は、

「バガヴァッド・ギーターはインドの哲学における異なる立場、すなわちギャーナ、ダルマ、バクティ、これらのハーモニーを練り上げようという試みであった」

と解釈している。ドイツらは

「バラモン教の風習が、善性の手段としてダルマ(義務)の重要性を強調している」

その横で、バガヴァッド・ギーターの著者は

「異端である仏教やジャイナ教、そして比較的正統であるサーンキヤ学派や、ヨーガ学派の双方に救済論を認めていたに違いない」

と語っている。

アルフレッド・シェーペルス(Alfred Scheepers)は

「カルマ(業)からの解脱というヨーガの思想とは対照的に、人の義務すなわちダルマに基づいて生きるという、バラモン教的思想を浸透させる目的で、シュラマナ用語やヨーガ用語を用いている」という視点から、バガヴァッド・ギーターをバラモン教的な聖典として見ている。

バシャム(Basham)もまた、諸宗教の統合という観点から、バガヴァッド・ギーターに言葉を寄せている。

バガヴァッド・ギーターは、サーンキヤ学派とヴェーダーンタ学派の、たくさんのそれぞれに独立した要素を結びつけている。そして宗教上のその一番の貢献は、以降ヒンドゥー教の根幹として残る「帰依」を強調したことにあった。

さらに、マハーバーラタに表現された一般的な有神論、ウパニシャッドが補っている超絶論主義、そして神の個性をブラフマンと同一視するヴェーダ的な伝統を、そのあとに続けることができる。

バガヴァッド・ギーターは、インドの宗教の3つの支配的な趨勢すなわち、ダルマに基づいた在家の生活、解脱に基づいた出家者の規範、帰依に基づいた有神論の類型論を提示している

ラージュ(Raju)もまた、バガヴァッド・ギーターにインド諸宗教の合成を見ている。

バガヴァッド・ギーターは、観念的な一元論と人格神を抱く一神教的思想、行為のヨーガと行為の超越へ達するヨーガ、これらと帰依と知識のヨーガの統合作品として扱われているといえる。

バガヴァッド・ギーターがインドの宗教観に与えた影響は大きく、この諸宗教の統合体は、その後いくつかのインドの思想にもそれぞれに合致するよう調整され、組み入れられた。ニコールソンは、シヴァ・ギーター(パドマ・プラーナの一部)について、ヴィシュヌ寄りのバガヴァッド・ギーターを、シヴァ寄りの言葉に翻案したものとして触れている。さらにはイーシュヴァラ・ギーター(Īśvara Gītā)を、クリシュナ寄りのバガヴァッド・ギーターからすべての詩を借用し、新しいシヴァ派の文脈にはめ込んだものとしている。

ヴィヴェーカーナンダ
ヴェーダーンタ学派は、バガヴァッド・ギーターをウパニシャッド、ブラフマ・スートラ(Brahma sūtra)とともに三大経典、すなわちプラスターナ・トラヤ(Prasthānatrayi)に数えている。 ヴェーダーンタは、これら3つの聖典を総合的に捉えており、教義の中で重要な位置をしめている。たとえばヴェーダーンタの一学派であるアドヴァイタ・ヴェーダーンタ派は、その本質の中にアートマンとブラフマンの非二元性を見る。

一方でベーダベーダ・ヴェーダーンタ派、ヴィシシュタ・アドヴァイタ派は、アートマンとブラフマンの一元性と相違を同時に主張し、ドヴァイタ派はその本質の中に二元性を捉えている。近年では、ヴィヴェーカーナンダやサルヴパッリー・ラーダークリシュナンら、ネオ・ヴェーダーンタ派の功績もあり、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ派の解釈は世界的に評価を得てきている。一方でガウディーヤ・ヴァイシュナヴァ派の一派であるクリシュナ意識国際協会の活動を通じて、アチンチャ・ベーダベーダ派もまた国際的な人気を集めている。

初期のヴェーダーンタは、シュルティ(天啓)のウパニシャッドに解釈を寄せている。それどころか、三大経典のひとつブラフマ・スートラはその注釈書でさえあるのだが、バガヴァッド・ギーターの人気を前に彼らもそれを等閑視するわけにはいかなかったらしく、ブラフマ・スートラにてバガヴァッド・ギーターに触れているのみならず、シャンカラ、バースカラ(Bhaskara)、ラーマーヌジャの三氏も注釈を寄せている。バガヴァッド・ギーターは、構成も趣旨もウパニシャッドとは異なっており、なにより高カーストにのみ開かれているシュルティとは対照的に、誰でも簡単に触れる機会を持つことができる。

いくつかの宗派では、バガヴァッド・ギーターをシュルティ(天啓)として扱い、ウパニシャッドと同等の位置づけをしている。ヒンドゥー教に正統かつ現代的な解釈を寄せているパンディット(ヒンドゥー学者)によれば、バガヴァッド・ギーターはウパニシャッドの教えの概説を表していることから、時にウパニシャッドのウパニシャッドと呼ばれる。
出典 Wikipedia

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