2020/12/21

ピュロン

 ピュロン( ギリシャ語Πύρρων PyrrōnPyrrho、紀元前360年頃 - 紀元前270年頃)は古代ギリシア、エリス出身の哲学者であり、古代の最初の懐疑論者として知られており、アイネシデモスによって紀元前1世紀に創始された「ピュロン主義」の起源として知られている。

 

ディオゲネス・ラエルティオスは、アポロドーロスを引用して次のように述べている。ピュロンはもともと画家であり、彼の絵はエリスの学校に保存されていた。後にデモクリトスの著作によって哲学の道へと導かれ、ブリソンやスティルポによってメガラ派の弁論術に習熟するようになった。

 

アナクサルケスによれば、ピュロンはアレクサンドロス3世(大王)の東征に随い、インドでは裸の哲学者たち、ペルシアではマギたちに学んだとされる。東洋哲学からみると、彼は孤独な生活を受け入れていたように映ったようである。エリスに戻ってからは貧困に生きたが、エリス人たちは彼を尊敬し、またアテネ人たちは彼に市民権を授与した。彼の思想は主に、弟子のプリウスのティモンによる風刺文学によって知られている。

 

ピュロンの思想は、不可知論'Acatalepsy'という一言で言い表すことができる。不可知論とは、事物の本性を知ることができない、という主張である。あらゆる言明に対して、同じ理由付けをもってその逆を主張することができる。そのように考えるならば、知性的に一時停止しなければならない、あるいはティモンの言を借りれば、いかなる断定も異なった断定に比べてより良いということはない、と言えるだろう。そしてこの結論は、生全体に対してあてはまる。それゆえピュロンは、次のように結論付ける。すなわち、何事も知ることはできない、それゆえ唯一適当である態度は、アタラクシア(苦悩からの解放)である、と。

 

ピュロンはまた、知者は次のように自問しなければならないと言う。第一は、どのような事物が、どのように構成されているのか。次に、どのように我々は事物と関係しているのか。最後に、どのように我々は事物と関係するべきか。ピュロンによれば、事物そのものを知覚することは不可能であって、事物は不可測であり、不確定であり、あれがこれより大きかったり、あれがこれと同一だったりすることはない、とされる。それゆえ、我々の感覚は真実も伝えず、嘘もつかない。それゆえ、我々はなにも知ることがない。我々は、事物が我々にどのように現れてくるか、ということを知るだけなのであり、事物の本性がいかなるものか、ということについては知ることがない。

 

知識を得ることが不可能だということになれば、我々が無知だとか不確実だという点を考慮に入れても、人は無駄な想像をして議論を戦わせて、いらいらしたり激情を抱いたりすることを避けるだろう。ピュロンによるこの知識が不可能だという主張は、思想史的には不可知論'Agnosticism'の先駆であり、またその最も強い主張である。倫理学的には、ストア派やエピクロス主義の理想的な心の平安と比較される。

 

重要な点であるが、懐疑論の定める基準によれば、ピュロンは厳密には懐疑論者ではない。そうではなく、彼はむしろ否定的ドグマ主義者'negative dogmatist'であった。世界において事物がいかにあるか、という視点からみるならば彼は「ドグマ主義者」であり、知識を否定するという面から見るならば、彼のドグマは「否定的」なのである。

 

ピュロンは紀元前270年頃、懐疑論に束縛されるあまり、不運な死を遂げたと言われている。伝説によれば、彼は目隠しをしながら弟子達に懐疑主義について説明しており、弟子達の、目前に崖があるという注意を懐疑したことにより、不意の死を迎えたと言われている。しかし、この伝説もまた疑われている。

 

懐疑主義

懐疑主義(米: skepticism、英: scepticism)とは、基本的原理・認識に対して、その普遍妥当性、客観性ないし蓋然性を吟味し、根拠のないあらゆるドクサ(独断)を排除しようとする主義である。懐疑論(かいぎろん)とも呼ばれる。これに対して、絶対的な明証性をもつとされる基本的原理(ドグマ)を根底におき、そこから世界の構造を明らかにしようとする立場を独断主義(独: Dogmatismusないし独断論という。

 

懐疑主義ないし懐疑論は、古代から近世にかけて、真の認識をもたらさない、あるいは無神論へとつながる破壊的な思想として、論難されることが多かった。これは、懐疑主義が懐疑の結果、普遍妥当性および客観性ないし蓋然性ある新たな原理・認識が得られなかった場合、判断停止に陥って不可知論と結びつき、伝統的形而上学の保持する神や存在の確かさをも疑うようになったからである。しかし近代以降は、自然科学の発展の思想的エネルギー源となったこともあり、肯定的に語られることが多い。

 

経験的な証拠が欠如している主張の真実性、正確性、普遍妥当性を疑う認識論上の立場、および科学的・日常的な姿勢は科学的懐疑主義と呼ばれる。

 

古代懐疑主義

懐疑主義は、西欧においてはエリスのピュロン(前365/360年頃ー前275/70年頃)の思想から始まった。ピュロン自身は著作を残しておらず、またその弟子のティモン(前325/320頃ー前235/230年頃)による彼の言行録も断片しか残っていないので、ピュロンの思想がどのようなものであったのか、その後のピュロン主義とどの程度まで一致するのかは不明である。

 

ピュロン主義者の中で唯一、著作が現存しているセクストス・エンペイリコス(200年頃活躍)の著作のひとつ『ピュロン主義哲学の概要』によれば、懐疑主義はピュロン主義とも呼ばれるが、それはピュロンの思想だからではなく、古代の懐疑主義者の中でピュロンが最も懐疑主義に専念したからであった。

 

アタラクシア

ピュロンとその流れをくむ懐疑派(ピュロン主義)にとっては、アタラクシアというのは、心の乱れの原因となる判断を停止すること(エポケー)で得られる心の平静を言った。

 

ピュロン主義者にとって、知覚に基づいた印象のうち、どれが正しくどれが間違いかをいうことができないので、根拠がないのに独断的な答えを出すような判断は保留することから生まれるのがアタラクシアである。
出典 Wikipedia

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