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4.「招福、災いの神」
ここには「七福神」、「鬼」、「年神」、「来訪神」などを含めます。
七福神
今日でも有名な七福神は、中国やインドの神が主体であるように、比較的近世になってからのものですが、「招福の神々」ということで民間に広く信仰されました。
その七人とは「恵比寿」、「大黒天」、「毘沙門天」、「福禄寿」、「寿老人」、「弁財天」、「布袋」が本来であったようですが、後に「福禄寿」と「寿老人」が同一視され、代わりに「吉祥天(きちしょうてん)」が加えられたり、あるいは「猩々(しょうじょう)」が入れられる場合もあります。有名なので全員、紹介しておきます。
恵比寿
福々しい格好で、釣り竿を持って大きな鯛を抱えている姿でおなじみのものですが、この神の由来ははっきりせず、その語源も「異国人」を意味するエミシなのかとも言われていますが、よく分かっていません。
「幸い」をもたらす神の代表的なものとして、漁民にとっては「大漁をもたらす神」とされているのは、その「鯛を抱えた姿」からしても当然ですが、要するに「招福の神」として「商売の神」ともされ「農業の神」ともされています。
大黒
この神様も、右手に打ち出の小槌を持ち、袋を背負い、俵の上に乗っている姿で有名です。この姿は、やはり「招福」の代表的な姿をしているわけですが、もともとはインドの「マハーカーラ」の日本訳で、日本訳通り「大黒」という意味のものでした。これはシバ神の化身で破壊、戦闘の神であったのですが、一方でインドの寺院の台所に祀る風習もあったらしく、これが日本に伝えられたと考えられています。
中国、日本と伝えられる途上で、段々「恐ろしい」形相がなくなり、柔和な「福の神」に変身させられていったとされます。時に「大国主」と同一視されることもあるようですが、それは「大国」が「ダイコク」と読めることなどが原因だったのでしょう。
毘沙門天
これは仏教の「四天王」の一人である「多聞天」が、独立的に扱われたものです。働きとしても「護教・護国」ということになります。
福禄寿、寿老人
これは同一視されるのも当然で、共に「寿」という名を持ち、要するに「長寿」を意味しているわけです。由来としては、中国の「道教」にある思想で「長寿」を司る「南極星」の化身とされています。頭が非常に長く、あごひげも長い老人として描かれます。
弁財天
もともとは「水の神」ですが、音楽と弁舌、知恵の神として信仰を集めていました。
布袋
彼は中国の実在の僧侶であり、その円満な顔立ちから、ここに加えられたものです。
吉祥天
元来はインドの「美や幸福、富」を司る女神で、仏教に取り入れられて後は毘沙門天の奥さんにされてしまい、「福」をもたらす神とされています。
猩々
これは中国の伝説上の動物で、毛深い猿のような動物ですが、人間の言葉を理解し、大酒飲みであるとされます。なぜこんなものが七福神に加えられるのかよくわかりませんが、その「酒飲み」という性格が祝い事につきものの「酒」を連想させたからかもしれません。
鬼
これは通常「角」をもった異形の顔立ちでイメージされ、「節分」の行事などで「悪役」のように思われていますが、そうした「災厄」をもたらすものと同時に、東北地方の「なまはげ」のように悪を退治するものもあり、本来的には「災厄、祝福をもたらす超人的な力」ということでしょう。また、文献的には「権威に対する反抗者」という意味が強く、「侵略・征服された民の主神」であったことも多いようです。
つまり「鬼」といってもたくさんのタイプがあり、中国的には「死者の魂」であり、古代朝廷にとっては「異国、ないし不服従の民」であり、一般的には「漂白の民、素性のしれない民で、理解できない能力を持つ者」であったり、また超自然的に「祟りや災厄をもたらすもの」であり、また逆に「悪を征するもの」であったりしているのです。要するに「強大な力」なのであって、ですから「鬼小島弥太郎」などという武将の名前にも使われているわけです。
年神
つまり正月に迎える神様で、新しい年をもたらす神です。
来訪神
外から訪れて「幸いをもたらす」神ということで「恵比寿」などもそれに含まれるでしょうし、「鬼」のところで触れた「なまはげ」なども、そのうちに数えられるでしょう。古来、日本人には「海の彼方」より「力ある者」がやってきて「珍しいもの、特別なもの、幸い」をもたらして帰っていくという信仰があったようでした。これが日本人の奇妙な「外人崇拝」、「異国趣味」の源であるとも言われています。
5.自然現象の神
これは不思議なほど少なく、せいぜい「雷の神」と「風の神」を数えるくらいです。雷は「稲妻」ともいうように「稲作」との関連があると指摘されることもありますが、これは雷が「雨」をもたらすからでしょう。
一方で雷は天災の最たるものの一つですから「おそれ」の対象ともなり、これが「御霊信仰」とも結びつき「天神」などとして祀られました。「風の神」も天候の兆候を与えるものとして、農業との関わりで信仰されたものと思われます。もちろん「台風」など災害を与える面も、おそれの対象としてこれを鎮める対象として祀られたのでしよう。一方、これが幸いをもたらすとも信じられていたのは「神風」という概念があったことでも知られます。
以上が一般民衆の世界での「神」の姿でしたが、まとめてみると、ともかく「家」を中心に、その家の繁栄・守護が「神」の仕事とされ、その「家」は「地域」に拡大され、そこまでが「神」の関わる領分とされていたことがよくわかります。
そして、その家や集団を守る力として「自然的力」が見られていたことも大事です。つまり、一言で言うと「日本の神とは自然の力の表象であって、その働きは家・村・集団を守り繁栄させる」というところにあるというわけでした。
つまり、「個人」の能力とか「働き」、「人生」などに関わる神というものはいないということです。ここでは、こうしたことから「神」の姿というものも「人格化」されることがほとんどなく、その働きも漠然とした領域はあるものの「何」とはっきり限定されることもなく「曖昧」で、ただ人々の繁栄・守護の願いがあるところに居るのみ、といった感じになっているということが大事なことして指摘できるでしょう。
また、こうした事情からか「固有名詞としての名前」を持つことも少なく、持っていても地方的な名前にとどまってしまい「民族すべてに共通する」名前は、遂に持つことがなかったのでした。
習合神
ついで、以上のような伝統的な神格、つまり「自然の表象としての神」が「仏教」と融合した、いわゆる「習合神」がおります。この多くは仏教用語で「権現」とか呼ばれます。つまり、仏教側から言わせれば「仏」が本体で、それが日本の地に現れた時「神」となるというわけでした。しかし、そんなことは一般庶民にとってはどうでもいいことで、これも理屈を離れたところで庶民のものともなっていきました。それも簡単に紹介しましょう。
飯綱権現
飯縄山の修験者の信仰する権現様ですが、自然の力の表象としての「天狗」の姿をしていると言われ、白狐に乗っているとされます。ここから「狐使い」としての「飯縄使い」というものが有名になりました。一種の妖術です。
蔵王権現
「山の力」を我がものにする「修験道」という一種の仙術修行独自のもので、修験道の始祖と言われ、仙術使いとして有名な「役の小角」が感得したとされて有名になっているものです。
宇賀神
『古事記』などに出てくる穀物神である「うかのみたま」と「弁財天」が習合したもので、独特の天女像で描かれますが、福をもたらす神として多くの信仰をあつめました。
荒神(こうじん)
本来は「荒ぶる神」ということなのですが、その力を「守護」の方面に用いようとしたもので、神格としては「仏・法・僧」の三宝を守る神とされます。これが庶民の「家」の守護にまで適用されて「かまどの神」などともされていきました。