2022/03/09

民衆のものとしての仏教 ~ 「神仏習合」とは何か(3)

出典http://ozawa-katsuhiko.work/

仏教が「民衆のもの」とされていく経緯ですが、それは「大乗仏教運動」と呼ばれます。この運動は、従来の仏教は「出家」という特別な人たち向けのもので「民衆の仏教」ではないと考えたのでした。彼らにしてみれば、「有り難い教え」は当然「民衆の願い」と合致するものでなければならず、そうした性格は必然的に「民衆の願い」である「現世利益」への傾向を示してくることになります。

 

 つまり「大乗仏教」では、お釈迦様の段階の「悟りを得る」という目的より、「救済・守護」が主体となってくるわけでした。極楽往生というのも、そうした性格のものでした。

 

 そして、もう一つが民衆の宗教であった「民間信仰」との融合です。「民衆の宗教」を標榜するものが、民間の祈りを馬鹿にするわけにはいきません。むしろ、これを取り込んでいかなければならないことになります。仏教では、こうした民間の神々が取り込まれて「梵天」とか「帝釈天」とか「吉祥天」とかの天部の仏となっていったのです。

 

 こんな具合に、仏教自体がすでに「他の民間信仰と融合する」という性格を身に付けていたのでした。ですから、仏教が日本に伝来して神道と習合しても何ら不思議でもなんでもなく、むしろ普通のことであったのです。そして日本に入って、確かに名前は「仏教」とはなっているのですが、その性格は多分に神道化されてしまっている現象が多く目につくのです。

 

 現在でも、目につくことの一例を挙げてみると「祖先崇拝」です。仏壇の中には位牌があって、人々は折りにふれてその先祖に法事と称する供養の儀式をしていますが、仏教の説くところでは「死者」は「仏界にめでたく成仏している」筈ですから、そしてそのために高い「戒名代」を払ったのですから、いまさら供養などする必要はない筈です。

 

 仮に葬式を出してやらず、先祖の霊が「輪廻の輪」の中をさまよっているとしても「法事」をしたところで今更どうにもなりません。いや、盂蘭盆会は「地獄」におちている母を救いとるための法事ではないかと言われれば、それは確かにその通りなのですが、これは中国で儒教の影響のもとに作られた話というのが真実のところらしく、まあそれはどうでもいいにしても、それにしても「地獄」に落ちているという想定のもとに「先祖の供養」をするというのは、ずいぶん先祖に対して失礼のような気がするわけです。

 

また同じことですが、お盆で「先祖がお帰りになる」というのも変な話で、仏教では今の話のように「先祖の霊は仏界にあって」二度とこの輪廻の苦しみの世界に戻ることはないし、仏界に行き損なっている場合にしたって六道の輪廻の中にいるのですから「帰って」こられるわけがありません。

 

 これはつまり、神道の「祖先崇拝」つまり「祖霊」についての観念そのものなのです。ここでは、先祖の霊は死んで何処かにいってしまうのではなく、山にあって「死霊」というまだ穢れた状態にあるものが、子孫が供養することでだんだん穢れがとれ、やがて「祖霊」と浄化していくのだ、と説きます。ですから、ここでは「供養の儀式」は必要でした。

 

 この供養は定期的に行われ、最後の供養が仏教で三十三回忌などと言われているのですが、これは「死霊が浄化される期間」のことなのであり、「何回忌」などというのは、神道ではこんな呼び名はしませんが、完全に神道の概念だったのです。

 

 また、神道では当然先祖の霊は「帰って」これます。なぜなら先祖の霊は、どこか遠くに行ってしまうのではなく、死んで「山」に行き、そこで浄化を計って祖霊になるからです。

 

 この観念が、そっくり仏教の名のもとで考えられているのですから不思議といえば不思議ですが、こんなのが神仏習合の実体なのです。ちなみに葬式の時「」をふりかけるのも神道の「死の穢れ」という観念からで、仏教本来のものではありません。「忌中」とかそういった「物忌み」も、すべて神道の習慣です。

 

 ちなみに神道では「死を嫌い」ますので、なぜならそれは「繁栄・健康」の「消失」であり「」の失いだからですが、そのため「神道儀式としての葬式」は本来やらないものでした。仏教は、その間隙をつくことができて、伝来以来「先祖供養の儀式」をやってやることで、人々の心に食い込んでいったのです。今日、現代仏教のことを「葬式仏教」などと呼んで馬鹿にしている人もいますが、日本では元々がそうであったのです。そのくせ、この仏教の葬式に神道の観念が山ほど入り込んでしまっているのです。いかに神道を主体に、仏教が受容されていったのかがよくわかります。

 

 以上のように、一般の人々の仏教に対する態度というのは、要するに「自分や家族の守護」と「先祖崇拝」という本来「在来の日本の神」に期待されていた働き以外の何者でもなかったのです。ただ「仏」という名前の「神様」の方が「強そうで御利益がありそう」ということでしかなかったとすら言えるのです。これは、また「仏教受容のはじめ」の朝廷の態度でもあったことは、すでに指摘しておきました。

 

 こうした自覚は実は仏教のほうにもあって、それが仏教の側からの「神仏習合理論」となって現れてくるのです。これは通常、仏教が神道を取り込むための理論とされ、仏教主体の理論であるとされています。表向きはその通りなのですが、ちょっと考えてみれば分かるように、もし本当に仏教が勝利しているのであれば「神道」なんか「無視」してしまえばよい筈なのです。事実、仏教が勝利した東南アジアでは、在来の民間信仰との「習合論」なんか全然作られませんでしたし、キリスト教やイスラームの場合にしたって、在来宗教との習合論なんか試みられもしていません。これは日本仏教のみの現象なのであって、実にここにこそ「日本仏教の特殊性」がみてとれると考えられるわけです。

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