道教の成立と神話復興
先述の通り、公式の神話が皇帝権に還元された一方で、民衆の間に別の神話体系が生まれつつあった。
それは時代は漢の末に下り、三国志の時代のことである。
この時代に活動した黄巾賊(太平道)と五斗米道は、いわゆる草創期の道教教団である。
太平道は黄巾賊の乱と呼ばれる反乱を起こし、後漢王朝によって滅ぼされてしまう。
しかし五斗米道の3代目天師張魯は後漢の宰相曹操に降り、こちらの教団は存続した。
張魯の子、張盛が4代目天師として龍虎山(現代の江西省にある)に移って天師道と呼ばれ、曲折を経て正一教という現代に続く道教教団になった(菊地章太『道教の世界』pp.53)。
このような五斗米道に始まるのが、民衆から生まれた神話体系、道教とその神話である。
やがて道教の神話は、皇帝を始めとした栄枯盛衰の激しい社会の上層にも広まっていく。
儒教が救えない没落への不安が、道教への信仰をもたらしたというのだ(菊池、同書pp.16)。
創始者は人か神か
道教の創始者とされるのは、儒教の孔子とほぼ同時代の人物とされる老子である。
だがこの老子、五斗米道によって太上老君という天の最高神に祭り上げられた。
人から最高神への出世である。
太上老君は、唐王朝が老子を祖先として崇拝したことで、その人気が頂点に達した。
やがてその唐代に、天の最高神は元始天尊となり、天地開闢以前からの最高神とされた。
その都は天にある街、玉京であるともいう。
道教教義上の至上倫理は「道」というが、これを神格化したのが太上道君(霊宝天尊)だ。
これに太上老君(道徳天尊)を加えた三清が、最も尊い神々ということになった。
元始天尊は自然の気から生まれたといい、人ではなく普通に神である。
だが元始天尊は逸話が乏しく、その部下たる玉皇大帝の人気がこれを凌ぐようになる。
やはり人気のある神々は人の出身
玉皇大帝とは、いわゆる道教での天帝を指す(玉帝、天公など別名も多数)。
玉皇大帝は、元始天尊を支える神々の一柱であるが、宋代に入って人気が高まったことで天の最高神であるとされるようになった。
もとは光厳妙楽国の王子であったともいい、これも元は人間であったらしい。
娘に織姫がいて、牽牛(彦星)との恋にパパマジギレするのも、この神様である(七夕の伝説)。
関帝聖君も、人気の高い神である。三国志の英雄、関羽のことである。
歴代の王朝から武人の鏡として崇拝されるうち、武神とされるようになった。
さらには算盤の発明者とされ、商売の神ともされるようになった。
かくして中華街には関帝廟が置かれて、華僑の信仰を集めている。
周の軍師太公望も、仙人とされる他、軍略の神様としても崇拝された。
この頃、中国にも仏教が広まっていた。道教と仏教は一応は別の教団だが、時として混淆されることもある。その典型が西遊記である。
これはお釈迦様の命で旅立つ仏教説話だが、多くの道教の神々が登場する。
つまり、道教神話でもある訳だ。
そして主人公の孫悟空は、道教の神「斉天大聖」としても祀られる。
女神にはどんな神々が?
西王母:月の女神あるいは女仙の主。長命をもたらす仙桃を授けてくれる。
媽祖:航海と漁業の守護神。黙娘という宋代の官吏の娘、幼少時から神通力があって仙人から神となった。
碧霞元君(天仙娘々):万能のご利益がある女神という。出自は黄帝の娘であるとか、民間から仙人として修行を続けて神になったとも。
死後の世界について
儒教と道教とで神話はやや異なるが、共通する大きな特徴の一つは、死後の世界が不在なことである。
儒教では、祖先霊として子孫を守ることになるが、孔子の「怪力乱神を語らず」とあるように、死後の世界の実態は曖昧だ。
また道教の目的は、長命を得て仙人となり、自らが神となることである。
それは上述の神話に、人
→ 仙人 → 神の出世があることからもわかる。
儒教より死後の世界はハッキリしており、有名なのは山東省の聖なる山、泰山の地下にあるという。
この死者の都を蒿里と呼び、その支配者を泰山府君という。
キョンシーなど、祀られない死者の怪談も多い。
しかし死後の幸福を求める神話や信仰は、ほとんどない。
歴代の道教を保護した皇帝は、仙薬を飲んで自ら不老不死の仙人になろうとした。
民間でも三尸説にあるように、罪科を避けて長命を願うことが信仰の中心であった。
中国神話における神の位置づけ
キリスト教をはじめとして、死後の世界での幸福を信仰の中心とする宗教は多い。
しかし以上のように、中国神話の世界では、信仰の中心はむしろ長命であり、できれば不死の仙人となることである。
そして神とは、人が仙人の修行の果てになる存在という側面が強い。
かくして神と人、仙人が入り混じったカオス状態としての中国神話が存在しているのである。
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