出典http://ozawa-katsuhiko.work/
通常ヨーロッパの神話というと、南欧のギリシア・ローマ神話に対して北欧のケルト・ゲルマン神話という言い方がされますが、じつはこの「ゲルマン神話」と呼ばれているものは、北辺の島アイスランドに残された歌謡集「エッダ」が今日残されている唯一の資料であり、内陸部のゲルマン人についてはほとんど資料がなく、「陸のゲルマン人」の信仰形態は、ほとんど分かっていません。私たちが持っているのは北欧の「島のゲルマン人」、つまり端的に言えばスカンディナヴィア地方からアイスランドに流れたゲルマン人のものだけなので、従ってむしろ「北欧神話」という言い方をしたほうがいいとされます。
ただし、ここではケルト神話と区別する意味もあって「ゲルマン神話」という言い方もしていきます。そして、この「ゲルマン人」というのが現在の西欧各国の民族となっているということを、しっかり理解しておきましょう。
「エッダ」以外の資料としては、わずかにローマの間接的な資料がありますが、そこではドナール(トール)が「雷神」と捕らえられて「ジュピター」と同一視されていたり、ウォーダン(オーディン)がメルキューレと、ティウツ(ティール)が軍神マルスと同一視されていたことくらいしかわかりません。ただ、これからでも上記の三神が主要神であったのだろうということと、その性格がローマ人にどのように捕らえられていたかが伺え、彼らの本来の神格の一端が見えるということは言えるでしょう。
ゲルマン民族
現在の西欧人の祖であるゲルマン民族の起源はよく分かっていませんが、インド・ヨーロッパ語族の一つであり、紀元前1000年頃現在の北ドイツ辺りに集落を形成した部族とされます。そして先行民族のケルト民族を押しのけて、拡大していったと考えられています。このゲルマン人が歴史に登場するのは、やはりギリシア・ローマとの関係が生じてからで、紀元前100年代になってローマと事を起こしているのが歴史的最初となります。
やがて、北ヨーロッパから中央部にかけて、多くの部族にわかれて各地に点在するようになり、紀元前二世紀頃には彼等はローマに傭兵として雇われたりしてローマの内部に入り込み、小作民や下級官吏になったりする者も多くなっていたようです。こうしてゲルマン民族が、やがてローマ帝国に入り込む素地ができあがっていったわけです。
そして紀元後372年ころ、東北の方にあったアジア系の部族フン族が西に移動を開始し、フン族は有能な族長アッティラに率いられて勢力を伸ばしてローマ帝国領内に侵入、さらに西に勢力を伸ばすほどの勢いを持っていました。
そのため、フン族に近い土地にいた内陸ゲルマン民族の東ゴート族が弾き出される格好で西に移動せざるをえなくなり、玉突き状にその西にいた西ゴート族が押し出され、ここにゲルマン民族の大移動がはじまりました。その結果、ローマ帝国の西半分は移動してきたゲルマン人に乗っ取られ、ゲルマン人の国になってしまったのでした。これが、現在の西欧諸国の始まりとなるわけです。
ですからゲルマン神話を見るということは、現在の西欧人(南欧と東欧の源流はゲルマン人ではないので除かれる)の心性・精神の源・伝統を見るということに繋がるわけですが、早くからキリスト教化した内陸部のゲルマン人は、その民族の精神の伝統を伝えることをしませんでした。とはいっても人間の心性・精神はそんなに簡単に変わるわけもなく、自分たちの伝統をキリスト教の習俗に巧みに残しているのですが(たとえば、クリスマスや曜日の呼び名など)、言葉として伝えることがなかったために、その全容を知ることができなくなってしまったのです。
他方、北欧から西域のゲルマン人は、キリスト教化するのが9世紀から11世紀と遅く、そのためここには伝統的な神々の神話が保持されていました。その具体的なものが、1200年代に「スノッリ」という文学者によってかかれた「エッダ」であり、それによってゲルマン人の神話の大筋が知られ、さらにそのスノッリが資料としていた古代神話が、1600年代の半ばにアイスランドで発見された歌謡群に見いだされて、北欧神話が甦ることになったのです。
しかし、これは当然「島のゲルマン人」によるもので、内陸のゲルマン人のものとは大分異なっていることが考えられ、さらに伝承自体が「歌謡群」ですから相互に独立的で統一されているわけもなく、写本も時代的に隔たっていますから時代的影響も異なり、容易に統一的に全体を見ることができません。現在の研究では、たとえばノルウェーでは「トール神」が主神であったと考えられるのに対して「歌謡集」では「オーディン」が主神の位置にいるなど「神格」の変容もあって複雑とされています。
「エッダ」
とにかく北欧神話の主要資料は、その「歌謡集」に尽きていますので、北欧神話とは「エッダ」ということになるので、簡単にそれを説明しておきます。
アイスランドは本土に遠かったためか、キリスト教の伝播も遅く弱かったようで、おそらくかなり早く大陸から流れてきたゲルマン人は、長く彼らの伝統的精神を保持してその神話も伝えていました。どの民族の神話も、原型は「歌謡」の形で謳われていたものと考えられますが、ここではそれがそのまま文字化されています。その文字化は、紀元後の9世紀から13世紀にかけてとされます。
その後、13世紀にアイスランドの政治家にして文学者であったスノッリ・ストゥルルソン(1178~1241)が詩の入門書という意味合いで、当時まだ民間に流布していた歌謡集をもとにして「エッダ」と呼ばれているものを著しました。さらに1600年代になって、スノッリが下敷きにしていたと思われる歌謡群が発見されたのです(ただし、一部スノッリにあって歌謡集に見つかっていない物語もあるので、すべての歌謡が発見されているわけではないらしい)。
現在、この二つを共に「エッダ」と呼んでいますが、両者を区別して、原型の方を「古エッダ」「歌謡エッダ」などと呼び、スノッリのものを「新エッダ」「散文エッダ」ないし著者の名をとって「スノッリのエッダ」などと呼んでいます。ただし、世に出た順序から言えば、スノッリのものの方が先でしたが、原型の歌謡集は元来名前などなかったものですから、集大成の形としてスノッリにならって「エッダ」と呼ぶようにしたというわけです。
ただ、「エッダ」という言葉の意味はよく分かっておらず、「曾祖母」という意味で老婆が孫たちに語り伝える話という意味であろうとか、あるいは「エッダ」という発音はスノッリが若い頃勉強していた土地「オッディ」の所有格型で、したがってこれは「オッディの書」と訳されるものだとかの解釈があります。
他方「古エッダ」とされたものは、1643年にアイスランドで発見された30編ほどの歌謡と、それに加えて後に発見された歌謡・英雄伝説の集大成となります。現在では、40ほどの歌謡の集大成となっています(編集者によって数が異なる)。個々の歌謡が何時どこで形成されたのかなど詳しいことは分かっていませんが、アイスランドや一部ノルウェーで書かれたものかと考えられています。内容は「神々の物語」「英雄物語」「箴言」と分けて考えられますが、これは多くの神話に共通しています。
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