近代
近代においても法華経は、おもに日蓮を通じて多くの作家・思想家に影響を与えた教典である。島地大等編訳の『漢和対照妙法蓮華経』に衝撃を受け、のち田中智学の国柱会に入会した宮沢賢治(詩人・童話小説家)や、高山樗牛(思想家)、妹尾義郎(宗教思想家)、北一輝(革命家)、石原莞爾(軍人)、創価教育学会(創価学会の前身)を結成した牧口常三郎、戸田城聖(両者とも元教員)らがよく知られている。
一方で西欧式の仏教研究が輸入され、大乗非仏説も常識化していった。
1945年太平洋戦争での敗戦後、宗教の自由化によって、創価学会、立正佼成会といった日蓮系の教団が大きく勢力を伸ばした。
法華経は、女人成仏は可か否かなど一部の文言については進駐軍の意向もあり教学上、解釈の変更も一部の宗派では余儀なくされた。
経典としての位置づけ
文献学的研究者の立場
文献学的研究では、成立年代を釈迦存命時より数百年後する大乗非仏説論が強い。上座部仏教と大乗仏教の対立の止揚として、両者を融合させてすべてを救うことを主張するため作成されたと推測する説、龍樹の創作説、文中に登場する「法師」の創作説、西暦紀元前後、部派仏教と呼ばれる専従僧侶独占に反発する教団によって編纂されたと推測する説などがある。
法華経を所依の経典とする派の立場
法華経を所依の経典として重視する諸派は、法華経を、釈迦が晩年に説いたとする釈迦の法(教え)の極意・正法(妙法)と位置づける天台智顗の教説、五時八教を多かれ少なかれ継承している。
文献学的研究に対する反応
日本では、江戸時代に発行された富永仲基『出定後語』の影響に加え、西洋系の近代仏教学を導入した影響から大乗非仏説論が広く浸透した。
法華経の成立が、釈迦存命時より数世紀後だという文献学の成果に対し、日本の法華系教団では、釈迦の発言を継承していき後代に文章化したとする、釈迦の直説を長い時を経て弟子から弟子へと継承される課程で発展していったものとする、師の教義を弟子が継承し発展させることは、生きた教団である以上あり得ることから、後世の成立とされる大乗経典は根無し草の如き存在ではないとするなど、後世の経典もまた「釈迦の教義」として認める、という類の折衷的解釈を打ち出す傾向がある。さらに一歩進んで、非仏説論が正しくても問題ないロジックを組むべきという立場もある。
対して非仏説論に対抗すべきとの派閥もあり、例えば日蓮正宗は古来からの五時八教説を支持している。
近現代の研究者による評価
『法華経』への評価は、鳩摩羅什による漢訳本、サンスクリット本の両方とも高い。
書評家の松岡正剛は、法華経のエディターシップを激賞して
「法華経を読むと、いつも興奮する。/その編集構成の妙には、しばしば唸らされる。」「法華経には昔から、好んで「一品二半」(いっぽんにはん)といわれてきた特別な蝶番(ちょうつがい)がはたらいている。15「従地湧出品」の後半部分から16「如来寿量品」と17「分別功徳品」の前半部分までをひとくくりにして、あえて「一品二半」とみなすのだ。その蝶番によって、前半の「迹門」と後半の「本門」が屏風合わせのようになっていく。」
と述べている。
昭和の仏教学者だった渡辺照宏は
「サンスクリット本について見ると、文体はきわめて粗野で単純、一見してあまり教養のない人たちの手で書かれた」
と批判した。これに対して、仏教思想研究家の植木雅俊は、サンスクリット原本から『法華経』を翻訳した経験を踏まえ、複雑かつ精妙な掛詞を駆使した「『法華経』編纂に携わった人の教養レベルの高さに驚かされる」と激賞したうえで、「(渡辺照宏氏が)何をもってそのように結論されたのか、首を傾げてしまう」と反論している。また、歴史に実在した釈迦が説いた「原始仏教」の平等思想や人間中心主義が釈迦の死後500年の間に〝小乗仏教〟教団によって改竄されており、思想的に見れば『法華経』こそ「仏説」であると植木は述べる。ただし植木は、『法華経』末尾の陀羅尼品や普賢品など後に付加されたとおぼしき部分には、迷信を好んだ古代の民衆へ布教するため、それまでの本編とは異質の呪術的思想が混入していることも指摘する。
鳩摩羅什の訳は近代学術の視点からすれば問題がある訳だが、創価学会などの日蓮系教団では鳩摩羅什による漢訳『妙法蓮華経』を正統とする。植木雅俊は『創価教育』で、昭和の日本で出版された岩波文庫版『法華経』には、サンスクリット本からの日本語訳も掲載されているが、誤訳が散見され、岩波文庫の誤訳の箇所を、鳩摩羅什による漢訳と比較すると、鳩摩羅什はサンスクリット文法を踏まえて意味を正確にとらえ、適切な漢訳を作ったことがわかるとしている。
社会学者の橋爪大三郎は、天台宗から鎌倉仏教が生まれたことを評価している。
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