2021/07/22

説一切有部

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インド仏教の発展

部派仏教ーーアビダルマ哲学

部派仏教とアビダルマ哲学の成立

 ブッダの入滅後100年ころ、教団は律の解釈を巡って、保守派の上座部と進歩派の大衆部(だいしゅぶ)に分裂した。その後さらに分裂を重ね、成立した部派の数は18あるいは20と伝えられる。

 

 各部派は、自派の教理にもとづいて聖典を編纂しなおし、独自の解釈を立てて論書を生み出した。それらはアビダルマといわれる。そして、これを集めたものが論蔵(アビダルマ蔵)で、ここに経蔵・律蔵とあわせて三蔵が成立した。1)

 

仏典は経・律・論の三種にわけられ、三蔵 (tipiaka 三つのかご)といわれる。経 (sūtra, sutta) はブッダの教えをまとめたもの、律 (vinaya) は、僧団での生活規定および諸規則、論 (abhidharma) は、部派仏教時代に成立した教理の解釈である。

 

 玄奘を「三蔵法師」と呼ぶのは、仏典のすべてに精通しているという意味での尊称である。

 

 多くの部派のアビダルマは失われた。現在完全に伝わっているのは、南方上座部のパーリ語のアビダルマと漢訳された説一切有部のもののみである。論書のうち、古いものは紀元前 2世紀の成立とみなされる。

 

 アビダルマとは、「ブッダの教え(ダルマ)に対する(アビ)考究」である。アビダルマの論師たちは、ブッダによって教え説かれたダルマを吟味弁別することが煩悩を鎮める唯一の方法であると考えた。

 

 彼らは教理の体系化を進めて、須弥山説といわれる巨大な宇宙観を含む壮大な教理体系を築き上げた。時期を同じくする頃、婆羅門思想ではサーンキヤやヴァイシェーシカの宇宙観が成立している。当時のインドの思想界には、宇宙の成立ちに対する強い関心があった。アビダルマ哲学の成立も、この傾向と密接にかかわる。

 

説一切有部の教理

 「説一切有部」とは、この世界を成り立たせている一切のダルマが過去・現在・未来の三世に渡って実在するとするところからついた学派名である。諸行無常と矛盾するようであるが、彼らはむしろ実在するダルマがなければ、諸行無常は成り立たないと考えた。

 

 諸々のダルマは、集まって現象してくる。それは現在の一瞬間にのみ存在し、消滅する(刹那滅)。しかし、それぞれのダルマそのものは、未来から現在を経て過去に至って常に存在し続ける(三世実有・法体恒有)と考えるのである。

 

 ところでダルマとは何か。ダルマ(法)は多義的な語であるが、仏教ではまず「ブッダの教え」(仏法)を意味する。アビダルマ論師たちは「ブッダの教え」の体系化を目指したが、主たる関心は世界の全体的な理解にあった。彼らにとって世界の成立ちは、「ブッダの教え」すなわちダルマによって説明され理解される。したがって、ダルマは「世界を説明する原理」である。言い換えれば、世界はダルマから成り立っているものとして理解される。ここから、ダルマは「世界を成り立たせる原理」とみなされる。

 

 原始仏典には、世界の成立ちを説明する教えとして、五蘊・十二処・十八界というダルマの枠組があった。

 

 「十二処」とは六つの認識器官「眼・耳・鼻・舌・皮膚・心(眼耳鼻舌身意)」と、それらに対応する六つの対象「色形・音声・匂い・味・感触・考えられるもの(色聲香味触法)」によって世界の成立ちを説明するものである。

 

 「十八界」は、これに六つの認識「眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識」を加えたものである。

 

 説一切有部は、この十二処・十八界説を基本として理論的な整合性を追求し、体系を再構成した。そして完成されたのが「五位七十五法」という七十五のダルマを五類に分ける体系である。これによって物質的、精神的な世界のすべてが説明された。

 

 五類とは、「物質(色)・心(心)・心作用(心所)・物質でも心でもない関係、属性、能力など(心不相応行)・空間や涅槃など形成されることなく存在するもの(無為)」である。

 

 第五の「無為(むい)」に対し、前の四つのダルマは「有為(うい)」で形成されるものである。物質には十一、心は一、心作用には四十六、物質でも心でもないものには十四、形成されないものには三のダルマが立てられる。物質は原子論によって説明される。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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説一切有部(せついっさいうぶ、梵: Sarvāstivādin, : Sabbatthivāda[1], Sabbatthavāda)は、部派仏教時代の部派の一つ。略称は有部。説因部(せついんぶ、梵: Hetuvāda)、サルヴァースティ・ヴァーディン学派とも呼ばれる。紀元前1世紀の半ば頃に上座部から分派したとされ、部派仏教の中で最も優勢な部派であったという。同じく上座部系とされる南伝の上座部大寺派と並んで、多くのアビダルマ文献が現存している[要出典]

 

主観的な我(人我)は空だが、客体的な事物の類型(法)は三世に渡って実在するとした。説一切有部は大衆部や経量部と対立し、大乗仏教からも批判されたが、大きな勢力を保った。

 

沿革

『異部宗輪論』によれば、成立は前2世紀の前半である。その後しばらくして迦多衍尼子(かたえんにし、kātyāyanīputra)が現れ『発智論』(ほっちろん)を著し、説一切有部の体系を大成したという。現在では、説一切有部の名の出る最古の碑文が1世紀初頭であることから、その成立はやや遡って、前2世紀後半と考えられている。

 

説一切有部はゴータマ・ブッダの教説を解釈する過程で、膨大なアビダルマ哲学を完成させた。『六足論』『発智論』『大毘婆沙論』『顕宗論』は、説一切有部の教義を述べた代表的な論書である。しかしながら、説一切有部が構築した教義は、ブッダの教えから逸脱したものとして、他の部派や大乗仏教から批判されることになる。

 

現在有体・過未無体を主張する大衆部(だいしゅぶ)あるいは経量部と対立し、また西暦紀元前後に興った大乗仏教も“無自性・空”を主張して説一切有部の説を批判した(このことは大乗仏教が教学を形成する上で大きな働きをした。)

 

しかし大乗も中観派についで登場した唯識派になると、説一切有部の分析を積極的に取り入れるようになった。

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