ハタ・ヨーガ(サンスクリット語: हठयोग haṭhayoga IPA: [ɦəʈʰəˈjoːɡə])はヨーガの一様式・一流派。別名ハタ・ヴィディヤー (हठविद्या) で、「ハタの科学」を意味する。
ハタ・ヨーガは、半ば神話化されたインドのヒンドゥー教の聖者で、シヴァ派の一派で仏教とシヴァ派が混然とした形態だったナータ派の開祖ゴーラクシャナータが大成したとされる。ゴーラクシャナータの師は、仏教徒であったといわれるマツイェーンドラナータ(英語: Matsyendra)(マッツェーンドラナート)である。16世紀の行者スヴァートマーラーマのヨーガ論書『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』において体系的に説かれた。
「ハタ」はサンスクリット語で「力」(ちから)、「強さ」といった意味の言葉である。教義の上では、「太陽」を意味する「ハ」と、「月」を意味する「タ」という語を合わせた言葉であると説明され、したがってハタ・ヨーガとは陰(月)と陽(太陽)の対となるものを統合するヨーガ流派とされる。
ゴーラクシャナータは師マツイェーンドラナータの認識論、宇宙生成論をほぼそのまま受け継ぎ、純粋精神である「最高のシヴァ神」に創造の意欲という「シャクティ」が生じ、その結果としてこの二大原理から因中有果論に従って残りの原理が展開し、「束縛されたシヴァ」が個我(ジーヴァ)として顕現するとした。人間は個我を形成するレベルの低次のシャクティによって体を維持しており、会陰部に「クンダリニー」(とぐろを巻いた蛇)として眠るこのシャクティをハタ・ヨーガによって目覚めさせ、頭頂にあるとされる「至高のシヴァ神」の元に上らせ、この二元を合一させ至高の歓喜を得ることを説いた。
スヴァートマーラーマは、ハタ・ヨーガとはより高いレベルの瞑想、つまりラージャ・ヨーガに至るための準備段階であり、身体を鍛錬し浄化する段階であると説明する。ムドラー(印相)と、プラーナーヤーマ(調気法)を中心としているが、シャトカルマによる浄化法もよく知られている。インドのゴーピ・クリシュナは、このハタ・ヨーガにより解脱を得たとして、その境地を説明する本を著し、欧米人の興味を掻き立てた。
健康やフィットネスを目的とするエクササイズとして20世紀後半に欧米で大衆的な人気を獲得したハタ・ヨーガは、多くの場合、単に「ヨーガ(ヨガ)」と呼ばれる。現在ハタ・ヨーガと呼ばれるものの多くは、19世紀後半から20世紀前半の西洋で発達した体操法などの西洋の身体鍛錬文化に由来し、インド独自の体系として確立した「新しいヨーガ」の系譜で、現代のハタ・ヨーガのアーサナは、伝統のハタ・ヨーガとのつながりは極めて薄いといわれる。現代広く普及している、独特のポーズ(アーサナ)を練習の中心に据えたヨーガは「創られた伝統」であった。
『シッダ・シッダーンタ・パダッティ』
『シッダ・シッダーンタ・パダッティ』は、土着的民間伝承によってゴーラクシャナータの作と伝えられるサンスクリット語のハタ・ヨーガの聖典で、現存する中ではかなり古い。アヴァドゥータ(英語: avadhuta)(エゴや二元性を超越した聖者)の伝説についての記述が多い。ドイツ出身のヨーガ研究者ゲオルク・フォイアシュタイン(英語: Georg Feuerstein)の『聖なる狂気』 (1991: p.105) は、これについて以下のように述べている。
「最古のハタ・ヨーガの聖典に『シッダ・シッダーンタ・パダッティ』があり、アヴァドゥータに関する詩が数多く記録されている。その一節(VI.20)には、変幻自在にあらゆる人格や役柄になりきる力について書かれている。ゴーラクシャナータは、俗人のように振舞うこともあれば王のように振舞うこともあり、ある時は苦行者、またある時は裸の隠遁者のようであった。」
『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』
ハタ・ヨーガの総括的な教典は、スヴァートマーラーマが編纂した『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』である。著者自身は書名を『ハタ・プラディーピカー』と記している。『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』は、ゴーラクシャの著書とされる失伝した『ハタ・ヨーガ』や現存する『ゴーラクシャ・シャタカ』など、それ以前のサンスクリット語諸文献にもとづいて書かれているが、スヴァートマーラーマ自身のヨーガ経験についても記述がある。
『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』にはさまざまな事項、例えばシャトカルマ(英語:
shatkarma)(浄化)、アーサナ(坐法)、プラーナーヤーマ(調気法)、チャクラ(エネルギー中枢)、クンダリニー、バンダ(英語: :Bandha (Yoga))(筋肉による締め付け)、クリヤー(英語: kriya)(行為、クンダリニー覚醒技法)、シャクティ(力)、ナーディー(英語: Nadi (yoga))(気道、脈管)、ムドラー(印相)といった事柄についての記載がある。
また、アーディナータ(英語: Adi Natha)(シヴァ神)、マツイェーンドラナータ、ゴーラクシャナータなど、多数の著名なヨーギンについての記述がある。
伝説・伝承
ハタ・ヨーガは、シヴァ神が提唱したものと伝えられる。誰にも聞かれぬよう孤島で女神パールヴァティーにハタ・ヨーガの教義を授けたが、ある魚が2人の話を全て聞いてしまった。シヴァ神は、その魚(マツヤ)へ慈悲を掛け、シッダ(成就者)に変えた。後に、このシッダはマツイェーンドラナータ(英語: Matsyendra)(マッツェーンドラナート)と呼ばれるようになった。マツイェーンドラナータは、チャウランギーにハタ・ヨーガを伝えた。チャウランギーは手脚がなかったが、マツイェーンドラナータを見ただけで手脚を得ることができた。
また、ゴーラクシャナータの師であったマツイェーンドラナータは、ヨーガの実修に女性を伴い禁忌とされた五種の物質を使用する左道派となったが、ゴーラクシャナータが師をそこから救い出したと伝えられている。ゴーラクシャナータが左道化していたヨーガ行を純化し、立ち直らせた業績を讃える伝承であると思われる。
近代
ヨーガの歴史的研究を行ったマーク・シングルトンによれば、近代インドの傾向において、ハタ・ヨーガは望ましくない、危険なものとして避けられてきたという。ヴィヴェーカーナンダやシュリ・オーロビンド、ラマナ・マハルシら近代の聖者である指導者たちは、ラージャ・ヨーガやバクティ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガなどのみを語っていて、高度に精神的な働きや鍛錬のことだけを対象としており、ハタ・ヨーガは危険か浅薄なものとして扱われた。
ヨーロッパの人々は、現在ではラージャ・ヨーガと呼ばれる古典ヨーガやヴェーダーンタなどの思想には東洋の深遠な知の体系として高い評価を与えたが、行法としてのヨーガとヨーガ行者には不審の眼を向けた。それは、17世紀以降インドを訪れた欧州の人々が遭遇した現実のハタ・ヨーガの行者等が、不潔と奇妙なふるまい、悪しき行為、時には暴力的な行為におよんだことなどが要因であるという。
0 件のコメント:
コメントを投稿