2025/04/08

イブン・スィーナー(1)

ファーラービーに続く哲学者が、アヴィセンナことイブン・スィーナー(980 - 1037年)である。

彼は、東方イスラーム哲学における絶頂期の哲学者といっても差し支えない。彼は、また独力で数学的な諸学・自然学・哲学・医学を修め、その名をイスラーム中に轟かしていたという。幾度の政変で必ずしも幸福な人生を遅れなかったが、「医学典範」・「治癒」・「救い」・「指示と勧告」などの壮大な哲学体系は現在においても、いまだ研究途上でさえある。

 

その論及は多岐に及ぶが、中でも基本姿勢として貫いているのが存在一般の問題、つまり形而上学である。アヴィセンナは「空中浮遊人間」説をもって、存在というものを説いた(この比喩は、中世ヨーロッパにおいて論議を呼んだ)。

すなわち、真空中に浮遊している完全な一人の人間がいる。ただ、完全に盲目であり、外を見ることができない。真空中なので、空気の触感ですら感じられない。彼は、そのような状況で何を感じることができるとすれば、自身の存在である。

 

つまり「我在り」という自身の存在は、確実に肯定するというのである。これに、存在は他と違って本質的に直観知というべきものであり、近世デカルトの有名な「我思う、ゆえに我あり」の命題の先駆的業績を掲げているといえる。この存在の立場から、アヴィセンナは、自然科学や数学のような絶対的な存在のあり方を捉えない学問と形而上学の独自性を主張する。

 

そのほか、知性・可能性・普遍性の問題など、中世あるいは近世・近代の哲学史上で論及されてきた問題の先駆的業績を残した人物であった。

 

イブン・スィーナー(ペルシア語: ابن سینا, پور سینا980 - 1037618日)は、ペルシャの哲学者・医者・科学者。全名アブー・アリー・アル=フサイン・イブン・アブドゥッラーフ・イブン・スィーナー・アル=ブハーリー(ペルシア語: ابو علی الحسین ابن عبد اللّه ابن سینا البخاری, ラテン文字転写: Abū ʿAlī al-usayn ibn Abdullāh ibn Sīnā al-Bukhārī, ラテン語: Avicenna, カナ転写: アウィケンナ、英語圏:アヴィセンナ)。

 

イスラム世界が生み出した最高の知識人と評価され、同時に当時の世界の大学者である。「第二のアリストテレス」とも呼ばれ、アリストテレス哲学と新プラトン主義を結合させたことでヨーロッパの医学、哲学に多大な影響を及ぼした。アラビア医学界においては、アル・ラーズィーと並ぶ巨頭とされている。その生涯は、幸福と苦難が交差する波乱万丈のものだった。

 

名前

「頭領」を意味するシャイフッライース(Shaykh al-raʿīs)、「神の証」(ujjat al-aqq)の尊称でも呼ばれている。中国との交流が多いトランスオクシアナ地方の生まれで、名前のスィーナーが「シナ」の発音に似ていることから彼の出身を中国と関連付ける説、アラビア語において「スィーナー」が「シナイ」を意味する点から、ユダヤ人と関連付ける説も存在する。

 

生涯

幼少期

イブン・スィーナーは、9808月末にサーマーン朝の徴税官アブドゥッラーフ・イブン・アル=ハサンとその妻シタラの息子として、首都ブハラ近郊のアフシャナに生まれる。5歳のときに一家はブハラに移住し、イブン・スィーナーはブハラの私塾に入れられた。

 

イブン・スィーナーは幼いころからクルアーンを学び、10歳ですでに文学作品とクルアーンを暗誦することができたという。イブン・スィーナーは、父アブドゥッラーフによって教師を付けられ、野菜商人の下で算術を学び、ホラズム地方出身の哲学者ナティリの元で哲学、天文学、論理学などを学んだ。ナティリからユークリッド幾何学とプトレマイオスの天文学を学び、間も無くイブン・スィーナーの学識はナティリのそれを上回った。しかし、イブン・スィーナーが読んでいた書籍は受験参考書のような入門用の啓蒙書であり、原典の逐語訳とは大きく内容が異なっていた。

 

その後、ジュルジャーン出身のキリスト教徒の医学者サフル・アル・マスィーヒーに師事し、自然学、形而上学、医学を学び、16歳の時にはすでに患者を診療していた。後年、イブン・スィーナーは医学について「さして難しい学問ではなく、ごく短い時間で習得することができた」と自伝で述懐した。とはいえ、この時イブン・スィーナーが使用していたテキストもヒポクラテスやガレノスの著書の逐語訳ではなく、ダイジェストともいえる家庭医学の指南書であり、後年にイブン・スィーナーは医学の奥深さを知ることになる。

 

しかし、イブン・スィーナーにとってもアリストテレスの思想は難解なものであり、『形而上学』を40回読んでもなお理解には至らなかったと述べている。ある日、ブハラのバザールを歩き回っていたイブン・スィーナーは店員に本を勧められ、一度はいらないと断ったものの強く勧められて本を購入した。彼が購入した本は、ファーラービーが記した『形而上学』の注釈書であり、ファーラービーの注釈に触れたことがきっかけとなって、はじめてアリストテレス哲学を修得することができた。

 

イブン・スィーナーは幼少期について、1日の全てを学習に費やし、不明な点があれば体を清めて神に祈ったことを自伝で回想している。勉強の疲れがたまった時にはワインを飲んで気分を回復させ、後年にはワインを詠った詩をしたためた。

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