2025/04/20

イブン・スィーナー(4)

自然科学

イブン・スィーナーは、自然科学の研究にあたって先人の研究を利用するとともに、独自の手法で理論を発展させた。観察と実験によって探究を試みる手法はヨーロッパ世界に大きな影響を与え、ロバート・グロステストやロジャー・ベーコンらが行った実験科学の発展に大きな役割を果たした。

 

ユークリッドの『原論』の最初の2つの公準について定式化を行い、アラビア世界におけるユークリッド解釈の道を開いた。また、ギリシャ世界では自然数のみにとどまっていた数の概念を、正の実数に相当するものにまで広げた。ユークリッド解釈はナスィールッディーン・トゥースィー、数の概念はウマル・ハイヤームに、後世のアラビア世界の科学者に継承される。

 

占星術に対しては批判的な見解をとっていたが、天体が全ての自然物に影響を与えている観念は認め、天体の影響は人知を超えていると考えていた。アストロラーベに代わる観測器具を考案したが、彼が考案した器具には16世紀に考案されたノニウスの原理が初めて用いられていると言われている。イスファハーン時代には天文台の設計に携わり、その時にプトレマイオスが発明した観測装置の問題点を多く指摘した。

 

『治癒の書』に収録されている「天体地体論」においては、大地が球体であることを様々な方法で論証し、中世キリスト教世界の地球観に影響を与えた。同書に収録されている「気象学」は地理、気象、地質学について述べた章であり、造山運動の説明など一部には近代の地質学との類似性が見られる。ホラズムでは隕石を溶かして成分を分析しようと試みたが、灰と緑色の煙が生じただけで、金属質が溶けたと思われる物体は残らなかったと記録を残している。

 

イブン・スィーナーは、錬金術についても否定的な立場をとっていた。全ての金属は起源を一にする錬金術者たちの考えは誤りであり、金属はそれぞれ独立した種であるため、その種類を変える方法は存在しないと主張した。この主張はロジャーベーコン、アルベルトゥス・マグヌスらヨーロッパの学者にも影響を及ぼし、彼らは錬金術における金属転換の考えに批判を行った。

 

一方でイブン・スィーナーは神秘主義的な思考も持ち合わせ、夢判断を肯定して本を著し、奇蹟や超自然現象にも関心を示していた。

 

著作

イブン・スィーナーの著作の数は100を超え、数学、物理学、化学、音楽、博物学、クルアーンの注釈、スーフィズム(神秘主義)など分野は多岐にわたり、その著作は包括的な性質を持っていた。医学における著作『医学典範』(al-Qānūn fī al-ibb)、哲学における著作『治癒の書』(Kitab Al-Shifa’)が有名。

 

自らの思想を簡潔にまとめた晩年の著作『指示と警告』や、『救済の書』、『科学について』等の他膨大な著作があるが、現在までにその多くが散逸している。イブン・スィーナーの著作は時には嘲笑を受け、時には廃棄された。彼の死後、アッバース朝のカリフの命令によって著作の多くが焼却された。だが、12世紀半ばからヨーロッパでイブン・スィーナーの著作の翻訳が進められ、13世紀にクレモナのジェラルドによって訳された本はヨーロッパ世界に広まった。

 

学術書だけではなく、アラビア語とペルシア語を用いて文学作品と詩文、詩論を書き、後世の詩人に影響を与えた。代表的な詩として、『鳥の章』『ハイー・イブン・ヤクザーンの章』『サラーマンとアブサールの章』が挙げられる。

 

初期の著作に使われていたアラビア語の文体は難解なものであったが、イスファハーン時代に文学者たちから批判を受け、研究の末に洗練された文体を作り上げた。ある時、宮廷で「あなたの哲学には見るべきものがあるが、話し方や言葉遣いには感心しない」と言われたことは衝撃であったようで、3年がかりの研究の末に言語に関する論文を完成させた。

 

多くの作品を著したイブン・スィーナー自身も熱心な読書家であり、一度読み始めた文献は全てを理解するまで離さなかったと、弟子のアル・ジュジャニーは書き残している。だが、彼は自分が書いた原稿の複写を取らず、整理もせずに放置しておいたため、ジュジャニーがいなければより多くの著作が散逸していたと言われている。また、ジュジャニーはイブン・スィーナーの未完の作品のいくつかを完成させている。

 

『医学典範』

医学者として、イブン・スィーナーはヒポクラテスやガレノスを参考に理論的な医学の体系化を目指し『医学典範』を執筆した。『医学典範』の執筆においては、10世紀末のジュルジャーンのキリスト教徒の医学者サフル・アル・マスィーヒーの『医事百科の書』を見本にしたと言われている。『医学典範』は、以下のように構成される。

 

1巻『概論』

1 - 医学の概念

2 - 病気の原因と兆候

3 - 健康の保持法

4 - 病気の治療法

2巻『単純薬物』 - 植物・鉱物・動物から成る、811の「単純な」薬物の性質

3巻『頭より足に至る肢体に生じる病気』 - 個々の病と、その治療法。身体の器官と部位によって分類されている。

4巻『肢体の一部に限定されない病気』 - 外科と熱病、整形

5巻『合成薬物』 - 様々な薬剤の調合法と用途

2巻、5巻の記述の大半はディオスコリデスの著作を典拠とし、残りの巻の理論はヒポクラテス、ガレノス、アリストテレスの著作に基づいている。また、イブン・スィーナーは『医学典範』の内容を1,326行の詩の形にしてまとめた『医学詩集』を著した。『医学詩集』もラテン語に訳され、中世ヨーロッパの医学生に愛読された。

 

『医学典範』は、当時におけるギリシア・アラビア医学の集大成であり、ラテン語に翻訳され、ラテン世界では『カノン』(canōn(英語版))の名前で知られている。ヨーロッパにおいて、最初に『医学典範』に興味を持ったのはロジャー・ベーコンら13世紀の哲学者であり、やがてフランスやイタリアの医学校で教科書として使用されるようになった。ヨーロッパの聖堂の多くにはイブン・スィーナーの肖像が飾られ、ダンテの『神曲』においてはイブン・スィーナーはヒポクラテスとガレノスの間に置かれた。

 

ルネサンス期に入って、ヨーロッパにおける『医学典範』の権威に陰りが現れ、16世紀の医師パラケルススは、彼をヒポクラテス、ガレノスと共に旧弊医学の代表に挙げて批判した。1527年の聖ヨハネの日の夕方、パラケルススは「古い医学の弊害を浄化する」ために、バーゼルで『医学典範』をはじめとする古典医書を焼却した。また、近代解剖学の草分けであるアンドレアス・ヴェサリウスもイブン・スィーナーの研究を批判した。

 

しかしヨーロッパのいくつかの医学校では、17世紀半ばまで『医学典範』が教科書として参照され続けた。インドでは、20世紀初頭まで『医学典範』が医学教育の入門書として使用され、中東諸国の中には、20世紀以降も参照している地域が存在する。

 

『治癒の書』

哲学者としての彼の主著『治癒の書』は、膨大な知識を集めた百科事典的なものである。『医学典範』の対になる書籍として紹介され、以下の4つの主要な部分に分けられる。

 

論理学

自然学(自然科学) - 自然学の基礎理論、地学、気象論、生物学、魂論(心理学)

数学 (数学的な諸学)- 幾何、天文学(アルマゲストの要約)、算術、音楽

形而上学

イブン・スィーナーは『治癒の書』の中で、人間の知識を理論的知識と実践的知識に二分した。前者には自然学、数学、形而上学、後者には倫理学、経済学、政治学を分類した。

 

この書は、ヨーロッパ世界にアリストテレスの思想を紹介したことにも大きな意義がある。だが、難解な内容と粗悪な翻訳のため、『治癒の書』がヨーロッパに与えた影響は少なかった。12世紀に出版された初訳本は、物理学と論理学の一部しか訳されておらず、他人が書いたと思われる天文学についての記述が追記されていた。後の訳本にも、原本に書かれていない記述が追加されており、ヨーロッパで『治癒の書』の全体像が知られるには多大な時間を要した。

 

晩年に著した『救いの書』は『治癒の書』を簡潔に再編したものであり、その内容はアリストテレスの思想により忠実なものになっている。

 

紙幣

タジキスタンで流通している20ソモニ紙幣には、イブン・スィーナーの肖像が使用されている。

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