2025/04/27

ガザーリー(2)

思想

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ガザーリーの著作はイスラーム法学、神学、哲学、護教論、神秘主義の5つの分野に大別できる。

 

法学

ガザーリーは、イマームル・ハラマイン・ジュワイニーからシャーフィイー学派の法学を学び、それを発展させた。ガザーリーが著した法学書には、最晩年に執筆した『法源学の精髄』などがあるが、散逸したものも多い。

 

ガザーリーが世に出たとき、既にイスラーム法学の権威は社会の隅々にまで行き渡っていたが、ガザーリーは権威主義に陥った信仰の有り方を疑問視し、仰を個人の内面に戻そうと試みた。ガザーリーは権力と癒着したウラマーの堕落を批判し、イスラーム法の遵守とスーフィズムの実践の両立を説いた。批判の対象とされた人物の一人に、ハールーン・ラシードの時代の宰相アブー・ユースフがおり、来世のために奉仕することを忘れて現世の利益のみを追求する、ウラマー本来の理念から逸脱した人間たちを批判している。

 

懐疑論

スーフィズムに回心する前のガザーリーは、自分がイスラム教徒であるのはたまたまイスラム教徒の子として生まれたためであり、信仰によるものではないと考えていた。ガザーリーは、自分の思想を揺るぎないものとする「確実な知識」に行き着くため、様々な学問を追究していく。「疑念・誤謬・妄念の可能性が全くなく、それらを提起する余地すらない知の対象を明らかにする知」である確実な知識を獲得する手段を検討するため、全てを疑うことから始めた。

 

エスファハーンの宮廷に出仕していた時代、ガザーリーは理性の優位性を疑う「第一の危機」に陥った。ガザーリーは知識を感覚による知識と理性による必然的知識に分け、視覚では金貨ほどの大きさにしか見えない星が、天文学的証明によれば地球よりも大きい例を述べ、理性が感覚の誤謬を指摘する点を明らかにした。そして、高次の世界に理性の確実性を否定する判断者が存在する可能性に思い至り、懐疑に陥った。理性によって認知できる世界を夢と同様のものと捉え、理性の上にある世界は忘我の境地に達したスーフィーが見る世界、あるいは死と考えた。

 

やがて理性の権威が及ぶ範囲には限界があると結論付け、理性が及ぶ領域を「知('ilm)」と命名する。疑いようのない自明な領域である「知」に対して、神に最も接近できる人間の精神に存在する領域を「信(qalb)」と定義した。ガザーリーは理性・知と感覚・信の間に優劣をつけず、コーランの章句を理性によって解釈しようと試みる哲学者、思惟と信仰の矛盾を解消しようと試みる神学者といった、二つの領域を混同する人間を批判した。

 

理性への疑いを抱いた精神的危機(第一の危機)を経たガザーリーは、スーフィズムへの回心と世俗への執着に葛藤する第二の危機を乗り越え、スーフィーとして放浪の旅に発つ。

 

イスラーム哲学

11世紀初頭にイブン・スィーナーらによって完成されたイスラーム哲学は、イスラームの教義から外れる主張のために保守的なウラマーから攻撃を受けたが、彼らの批判の論拠は感情的で論理性を欠くものであり、哲学者たちの理論を崩すことはできなかった。ガザーリーは哲学を研究した上で反論を書き上げ、ニザーミーヤ学院の講義の合間に書物から哲学者の理論を取り入れ、哲学が含む矛盾を導き出した。

 

1094年、哲学の概説書である『哲学者の意図』を著し、翌1095年に哲学の批判書『哲学者の自己矛盾』を著してイスラーム哲学に大きな衝撃を与えた。コーランと矛盾する形而上学を含む哲学は、イスラームの思想家の批判の対象となっていたが、先達の神学者たちが出した反論はコーランやハディースの章句を引用する不完全なものだった。ガザーリーは哲学を神の啓示に代わるものと位置付けることを拒み、全知全能の神、コーランの世界観の論理的な証明を試みた。

 

ガザーリーは哲学を数学、論理学、自然学、形而上学、政治学、倫理学の6つに分類した。算術、幾何学、天文学を含む数学、論理学、自然学を宗教と共存しうるものと考え、それらの学問に求められる「理性」と宗教が抱える「真理」の混同を戒めた。政治学はコーランやハディースを基礎とするもので、倫理学については哲学者の誤った主張が混ざり合うこともあるが、魂の本質と性格、改善を追及する学問であるため、基本的に否定されるものではないと述べている。

 

哲学者の犯す誤りの大部分は形而上学にあると主張し、『哲学者の自己矛盾』の中で20の項目を列挙して彼らの思想を批判した。ガザーリーは形而上学を否定したものの、哲学のすべてを否定しておらず、イスラームの教義と無関係な論理学を取り入れ、哲学の批判に際して論理学的手法を利用している。12世紀のアシュアリー学派の思想家ファフルッディーン・ラーズィーは、ガザーリーの思想の影響を受け、より哲学に近い存在論を展開していった。

 

ガザーリーは、哲学の論理学をアシュアリー学派の神学に取り入れ、その結晶である『中庸の神学』を著した。『中庸の神学』では、世界は原子で構成されるアシュアリー学派の原子論、神を非物質的なものとする哲学の論理により、神と世界の隔絶性が強調されている。ガザーリーは、ジュワイニーら先人から受け継いだアシュアリー学派の理論を発展させ、アシュアリー学派は哲学の論理学・形而上学を批判的に受容して、より哲学に近づいていく。しかし、ガザーリーは晩年に著した自伝『誤りから救うもの』において、伝統的な信仰を守るための理論を展開する神学の限界を認め、霊的な救いを得るためにはスーフィズムへのアプローチが必要であると述べている。

 

ガザーリーの哲学の批判は、一般のイスラム教徒が哲学に抱いていた反感を刺激し、哲学者の著書が焼き捨てられた。イブン・スィーナーの学派の本拠地である東方イスラーム世界でも、ガザーリーの批判に挑む人間は現れなかったが、12世紀のマグリブの思想家イブン・ルシュドは「不完全」と見なしたイブン・スィーナーの思想とともに、ガザーリーの哲学批判をも再批判し、アリストテレスの思想を擁護した。

 

神学

護教論を記したガザーリーの作品は、彼の存命中に勢力を拡大していたイスマーイール派に対抗するため書かれたものが多い。イスマーイール派の教義を批判するために書かれた書のひとつに、アッバース朝のカリフ・ムスタズヒルの依頼を受けて書いた『ムスタズヒルの書』がある。

 

ガザーリーは、イスマーイール派の特徴であるイマームへの個人崇拝と服従を批判し、未知の問題が発生した際にウラマーが下す自主的な判断と、それに対して共同体が合意を形成するスンナ派の姿勢を主張した。無謬のイマームに対する盲目的な服従を説くイスマーイール派に対して、ガザーリーは時に間違いを犯すことを承知した上で、信仰のために自主的な判断を下すよう主張した。真理を伝授する無謬の人物をイスマーイール派の主張するイマームではなく預言者ムハンマドに定め、ムハンマドの死後に無謬の伝授者は不在でも問題は無く、イスマーイール派は誰をイマームに特定するかという証明すら完成させていないと批判した。そして、スンナ派世界の指導者であるカリフに対しては政治的・宗教的指導者としての素質を要求せず、社会の平和と安定のため、カリフから権力を委ねられた実力者がカリフの選出と統治を行う当時の世相を追認していた。

 

ガザーリーのイスマーイール派批判は、指導者であるイマームの無謬性、絶対性が中心で哲学論にはほとんど触れられておらず、スィジスターニー、キルマーニーといった思想家による哲学書ではなく、宣教のために使われていたパンフレットを通して、イスマーイール派の思想に触れていたと考えられている。

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