中部フランク王国の分解
ヴェルダン条約締結の後、3人の王はそれぞれの領地に戻ったが、必要に応じて協議をするために定期的に参集することが取り決められていた。この体制は「兄弟支配体制」と呼ばれている。
844年に最初の会合が持たれ、帝国の一体性が確認され相互の協調が確認されたが、この体制は短期間しか維持されなかった。皇帝ロタール1世は、850年に伝統的な帝国の宮廷であったアーヘンではなくローマで、ローマ教皇に息子であるルートヴィヒ2世(ロドヴィコ2世)の皇帝戴冠を執り行わせた。このことは、皇帝戴冠を行う「正しい場所」をめぐる論争を引き起こした。
855年、ロタール1世の死に際し、中部フランク王国はその息子たちによってさらに細かく分割された。長男のルートヴィヒ2世(ロドヴィコ2世)が皇帝位とイタリアを、次男ロタール2世がフリースラントからジュラ山脈までを(この地方は、のちにこのロタール2世の名にちなんでロタリンギア(ロートリンゲン)と呼ばれるようになる)、三男のシャルルがブルゴーニュ南部とプロヴァンスを相続した。
プロヴァンス王となったシャルルは、まだ幼年でありしかも病弱であったため、実権はヴィエンヌ伯ジラール・ド・ルシヨンが掌握した。彼はロタール2世と相談し、もしシャルルが相続人を遺さず死んだときは、シャルルの王国をロタール2世の王国に併合することを構想した。しかし、実際にシャルルが後継者のないまま863年に死亡すると、皇帝兼イタリア王ルートヴィヒ2世(ロドヴィコ2世)がプロヴァンスの継承権を主張し、結局プロヴァンス王国はロタール2世とルートヴィヒ2世(ロドヴィコ2世)の間で分割されることとなった。
ロタール2世のロートリンゲン(ロレーヌ)王国でも、相続の問題が発生した。ロタール2世は妻のテウトベルガとの間に後継者が生まれなかったことから、愛人のヴァルトラーダと結婚することで庶子であるユーグを後継者にしようとしたが、この結婚をめぐってローマ教皇庁、東西フランク王国を巻き込む政争が発生した。東フランク王ルートヴィヒ2世と西フランク王シャルル2世はこれに乗じ、共謀してロタール2世の王国を分割することを約した。結局、ロタール2世はヴァルトラーダとの結婚を果たせず、正式の後継者を持てないまま869年に死去した。この時点で、東フランク王ルートヴィヒ2世は重病の床にあり、皇帝ルートヴィヒ2世(ロドヴィコ2世)はイタリアでイスラーム軍との戦いに忙殺されており、漁夫の利を得た西フランク王シャルル2世がロートリンゲン(ロレーヌ)王国を手中に収めた。
最後の統一
東フランク王ルートヴィヒ2世も、865年に自分の死後の分割相続について定めた。彼の王国もまた中部フランク王国と同じように息子たちによって分割相続されることとなり、カールマンにバイエルンとスラブ人やランゴバルド人との境界地に設けられた辺境区が、ルートヴィヒ3世にオストフランケン(東フランキア)、テューリンゲン、ザクセンが、カール3世にアレマンネンとラエティア・クリエンシスが割り当てられた。
この東フランク王ルートヴィヒ2世が、その軍事力を背景にロートリンゲンの継承権を主張したため、西フランク王シャルル2世は譲歩し、メルセン条約によってロートリンゲン(ロレーヌ)は両者間で分割された。この条約の結果、中部フランク王国はイタリアを残して消滅し、現代のドイツ、フランス、イタリアの国境の原型が形成された。
875年、皇帝兼イタリア王ルートヴィヒ2世(ロドヴィコ2世)も後継者を遺さず死亡すると、シャルル2世はこの機を逃さず教皇ヨハンネス8世に接近し、イタリア王国の支配と皇帝の地位を手中に収めた。続けて東フランクでルートヴィヒ2世が死去(876年)すると、西フランク王シャルル2世はフランク王国の再度の統一を実現しようと東フランクへ軍を進めた。しかし、ルートヴィヒ2世の息子、ルートヴィヒ3世は残り2人の兄弟とともに連合軍を組織し、アンデルナハの戦いで西フランク軍を壊滅させた。統一の試みは失敗し、翌年シャルル2世はサヴォワで病没した。
その後、東フランクでは主導権を握っていたルートヴィヒ3世とカールマンが相次いで死去し、残っていたカール3世(肥満王)が予想外の幸運により東フランク全体の王となった。カール3世はさらに、皇帝の地位とイタリア王位も手にした。さらなる幸運が、カール3世に西フランク王位をもたらした。西フランク王国でシャルル2世の王位を継いだのは短命のルイ2世(ルートヴィヒ2世)であり、その息子であるルイ3世(ルートヴィヒ3世)とカルロマン2世(カールマン2世)も短期間に事故死した。短期間に王が何人も交代する不安定な状況の中、実権を握った修道院長ゴズラン(Gozlan)は、西フランク王位をカール3世に委ねた。名目的かつ一時的ではあったものの、これによってカール3世はフランク王国にただ一人の王として君臨する最後の人物となった。
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