4月の初めから「世界のT社」の新規プロジェクトに参加したのに伴い、住み慣れた町から遠く離れた某市へ引っ越しを余儀なくされたが、5月の半ばになってプロジェクトの方が少し落ち着いたところで、GWの穴埋めのようにして4連休を取った。
折角の4連休をダラダラ過ごすのも惜しい気がしたので、久々に京都旅行を思い立ったものの、連日人里離れた隔離病棟のようなところで無機的なサーバ群に囲まれて過ごしているうちに、桜はもとより藤やツツジも時期が過ぎてしまったので、イマイチ見所に欠けるかもしれない。
(ま、京都だから取り敢えず行ってみれば、なんらか楽しみはあるだろう・・・)
と気を持ち直し、ともかく出かける事にした。
当初の計画では、奈良の長谷寺で牡丹を観賞した後、室生~山辺の道~三輪そうめんの産地などをのんびり散策する予定であったが、肝心要の『長谷寺』の牡丹が「もう終わってしまいました」との事で急遽予定を変更し、新幹線で一路京都へと向かう。
前日は、深夜にネットワークの障害が発生したため夜勤明けだったが、昼からも思わぬ野暮用が入ってしまったために日中は潰れてしまい、午後からようやくネットで旅行プランを立てているうちに、深夜2時頃になってしまった。というわけで当日は昼前という遅めの出発となり、そのせいで珍しく新幹線には空席が目立っていたため、久々に座る事が出来たが。
まず、京都駅から懐かしい東山(『三十三間堂』~『清水寺』)界隈を散策。そのまま足を伸ばして『知恩院』から『青連院』を通り抜け、五条~四条~三条まで歩き、岡崎公園を突き抜けて『平安神宮』へ。花見のシーズンは、いつもあの広い境内に人が溢れ返っているものだが、さすがに花見とGWが終わった中途半端な時期とあって、観光客は疎らであった。
『神苑』をのんびりと散策。サツキや菖蒲、杜若などはどれもまだ2分咲き程度で、ちょっと早い感じ。広大な池を悠々と泳ぐ鯉を見ていると、ようやく寛いだ感じになってきた。
これまで京都に来る時は花見か紅葉のシーズンだけに、1日で5~6箇所の寺社(庭園)を拝観というハードスケジュールなのだが、今回はなにしろ花が中途半端な時期になってしまったため、開き直って普段は出来そうにないノンビリ旅行をテーマとしていた。
帰りは『建仁寺垣』と八坂の五重塔をわき目に、花見小路、祇園を通ってブラブラ。
修学旅行のシーズンか、どこを歩いても中学生や小学生の団体がやたらと目に付いた(果たして、小中学生がこういうところを見て、面白のだろうか?)
(そういや学生時代には、綺麗な女学生の彼女と初詣ついでに美しく雪化粧をした、この神苑を散策などしたんだっけ・・・)などと郷愁に浸りながら、雄大な栖鳳池を臨む泰平閣で天下泰平に煙草をふかしていると、携帯に無粋な電話が入った。
「いま、京都の『平安神宮』に居るところだが・・・」
「ナニっ? 京都だって?
やばいぞ、それは!」
「???」
ここ数年、テレビのニュースや新聞などは一切見ないため、巷を賑わせている台湾医師旅行者の巻き散らかしていった「新型肺炎(SARS)」の事などは、まったく念頭になかったのだった。
「こんな時期に関西なんぞへ行くなんて、よくよく酔狂なやっちゃ。やばいぞ、そりゃ・・・」
「といったって、来てしまったもんはどうしようもない。な~に大丈夫だろ」
実際のところ、それほど気になることもなかった。
確かに京都のみならず、梅田、三宮等々、どこを歩いても普段は見かけることのない看護婦の集団がやたらと目に付いたし、一般人にもマスクを着けている姿が多く見受けられ、些か旅情を殺がれる気分である。しかし、そんなことはお構いなしに神戸へ到着。三宮駅前に雁首並べる、卑しげなキャバレーの呼び込みの攻勢をかわしながら、ン年ぶりに歩く懐かしい北野坂を上がっていったところに、その日のボロ宿(ビジネスホテル)がひっそりと佇んでいた。
0 件のコメント:
コメントを投稿