「比叡山」という名前の由来について、以前にネットの検索で興味深い記事を見つけましたが、いつの間にか記事が削除されたか、出典がわからなくなってしまいました。
<平安時代の初め、伝教大師(最澄)によって開かれた天台宗総本山のある、京都東山三十六峰の主峰「比叡山」。仏教との係わりの深い事や「比叡」の漢字の持つニュアンスから、この山の名称も仏教用語から名付けられたとばかり思っていましたが、もしこの「比叡」が古い日本語の音を正しく表現しているとしたら、そう信じたくなってきていましたが、きっと基語でその意味を解き明かす事によって、本当の「比叡」の姿が分かるに違いないのです>
という期待感を持たせるアプローチから、記事は始まります。
<いよいよ「比叡」の音の分析です。当初は、比叡の音を〔ひ-え-い〕と三音に分けた方が良いのか〔ひ-ぃえ〕と二音に分けた方が良いのか迷ったのですが、これまでの研究の成果から「叡」の文字はどうも、古い〔ぃえ〕音を表現しているように思えてならなかったので〔ひ-ぃえ〕の二音で解明してみる事にしました。
比叡を〔ひ-ぃえ〕として基語で解釈すると〔ひ=hi〕、「中間が」〔ぃぇ=ye〕「分かれた」となり、比叡山は「真ん中で二つに分かれた山」となります。 こんな山の姿をしているのかなと、下駄の歯を裏返した形を想像してみました>
<数日後、何としても比叡山が基語の通りの形をしているのかを確かめずにはおれなくなって、伊勢から早朝の京都行き近鉄特急に乗り込みました。二時間ばかりのゆったりした旅でしたが、頭の中は「比叡」は基語では解明出来ない渡来語であるかもしれないとの不安と基語の正しさの証明、日本人の地名の名付け方の自然との係わりの深さの立証のためにも、この山が基語で描いたままの姿であって欲しい・・・と願う期待が交差して、落ち着かない一時でした>
<電車は途中、橿原神宮に近い八木駅で大阪線と分かれ、奈良・京都のある真北に向かって走ります。奈良を過ぎ約30分、早く真の比叡の姿を見たくて座席にじっとしておれなくなり、進行方向に向って右側のドアに寄り掛かって外を眺め続けていました。電車は京都に近づいてスピ-ドが落ち、伏見桃山付近から少し左にカ-ブした時、遠方に向けた視線に基語で描いたのと同じ形の山が飛込んできたのです。
一瞬、目を疑いました。まさか、これが比叡山であるはずがない。心臓は高鳴りを始めていますが、あまりにも出来過ぎている。しかし視線を更に広範囲に注いでみましたが、他に目立つた山は見当りません。きっと、この山が比叡山に違いない。基語で推理したのと同じ山が、そんなにいくつも存在する事はあり得ないのです。基語は、古代人の言葉です。この基語で説明できる地形の様子は、そのまま古代人の感じたこの山の名前なのです。
電車はまもなく右にカ-ブして、山並みを車窓の左側に移しながら近鉄京都駅のホ-ムに入りましたが、この時までに「真ん中で二つに分かれた山」、この山を比叡山である事を確信できるようになっていました。電車から降りて、先ほど見た山並みを見つけるために北口の方に出てみると、京都タワ-の先にさっき見た山が、この地から見える最も神秘的な形をした山として、東北東に聳えていたのです>
(注)実際の比叡山は京都駅よりは遥かに北の方だから、この記述は地理的にかなりおかしく、どこかに勘違いがありそうな気がするが、ともあれ続けましょう。
<基語は正しかった。漢字の意味からは、とてもその由来を説明できなかった比叡山の名称の真の由来を探り当てたのでした。比叡山のある付近の地形は数千万年前には準平原でしたが、絶え間ない隆起と浸食が現在の比叡山を造り上げたのです。今でも山頂部が殆ど平なのは、その名残りです>
そして一ヵ月ほど経ち、また比叡山の「真ん中が分かれた」神秘的な姿を見たくなり、もう一度京都を訪れた時、駅で買った新聞の観光欄に「比叡山は、もと日枝山と言われていた」と書かれているのを見つけました。現在もこの漢字が使われていたら、比叡山の語源をそれほど苦労しないで推理できたでしょう。
日枝山は、枝〔ぃえ=ye だ→た=ta〕「とってもたくさんに分かれるもの」の音に〔ye〕音を含んでいることから〔ひ-ぃえ〕山と読める事は明白で、これだと簡単に〔ひ〕=「真ん中」、〔ぃえ〕=「分れる」で「真ん中が分かれた山」と推理できたのでした>
<最澄が天台宗の本山として延暦寺を建立した時、この山の名の呼称はそのままにして、使用する漢字をより仏教的なものに取り替えてしまった事が、比叡山の名称の真の語源の解明を困難にしていたのでした>
ポリネシア語による解釈
出典 http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
比叡山(東の大比叡岳848メートル、西の四明ケ岳839メートル)は、滋賀県大津市と京都市左京区の境界をなす山で、古くから神が宿る山として山岳信仰の対象でした。古くから「日枝ノ山(ひえのやま)」と呼ばれ、山上には延暦寺が山麓には日吉(ひえ)大社があって、世の尊崇を集めています。日枝ノ山、天台山、北嶺、我立杣(わがたつそま)などとも呼ばれました。
山名の由来は
a.夏でも寒い「冷え」の山
b.比良山の枝山で「比枝山」
c.日迎え(ひむかえ)の転訛で「日枝(ひえ)」
などの説があります。
この「ひえ」は、ハワイ語の「ヒエ」、HIE(distinguished,dignified)、「高貴な(山。または威厳のある神が住む山)」の意と解します。マオリ語には「ヒエ」、HIE(shout)「叫び声(をあげる)」の単語がありますが、これは原ポリネシア語の原義が「神の威厳を畏れて、嘆声を発する」という意味に変化して、マオリ語に残ったものでしょう。
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