2007/03/30

自己実現(東京劇場・第3章part1)


 この転機を迎えた事で、改めて東京に出て来た意味を振り返ってみた。

そもそも、理由なき東京嫌いで通して来たワタクシが、東京に出て来たのは言うまでもなく自己実現のためであり、ワタクシの自己実現とは言うまでもなく

「ITの中心都市と称される東京で、自らの素質や能力などを発展させて、より完全な自己を実現していく」(ユング心理学)

事である。そして、これが「自己実現(self-realizationself-actualization」という言葉の、本来の意味である。

マズローの欲求段階説では「自分の能力・可能性を発揮し、創造的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求」とされ、低い次元から

1.
生理的欲求
2.
安全の欲求
3.
親和(所属愛)の欲求
4.
自我(自尊)の欲求

までの「欠乏欲求」に対する「成長欲求」として、最も高い次元に位置付けられている(Wikipedia参照)

そうした考えから、コネもツテもなにもない徒手空拳で上京し、結果的に東京で2年半の仕事をして来たわけだが、どうにも自分の中では違和感が付き纏っていた。

振り返ってみれば、最初の手続きのところでケチが付いてしまった、と思わざるをえない。元々は、まさに「徒手空拳」のハズだったのである。

複数の転職サイトに経歴を公開し、企業から掛かったスカウトという名のお誘いのみを頼りに、まさに頼るものとてない未知の大海の向こうに、あるかないかもわからないような岸を目指しての船出だった。

要請に応じて数十にも及ぶ企業を訪問した。中には面接で、担当者と口論になったものや

「是非、わが社の社員にならないか?」

といった、有り難いお誘いも受けた。また慣れない土地で随分と戸惑ったり、次々と襲い掛かる予想外のトラブルに何度も巻き込まれ、どちらかと言うと腹の立つような出来事の方が遥かに多かったが、それでも振り返ってみれば、久しぶりに体の芯からジリジリと神経が高揚するような、生きている事を実感できる凝縮した時間を過ごせたと思う。

 名前を聞けば誰でも知っているような大企業から小さなベンチャーまで、通常ならあり得ないような様々な企業を訪問したり、現場のリーダーなどと直接面接を受けたりといった事は、普通の会社勤めであれば絶対に体験できないものである。無論、長年同じ会社に勤め続ける事はそれはそれで尊い事だと思うし、平穏無事であれば殊更に言う事はないが、人生においてああいった経験はそんなに出来るものではない。

それだけ充実感を感じながらも、真の意味での達成感を得られなかった理由があった。その理由とは、結果的に名古屋時代のT氏の紹介で、これまた名古屋時代から付き合いのあったS社の仕事を請けた事である。勿論、こればかりはタイミングなどの要素が大きく絡んでくるから、あくまで結果に過ぎない事なのだが、しかしながらこの結果はやはりワタクシとしては甚だ不本意であり、終始違和感が付き纏って離れなかった原因は、やはりこれに尽きる。

それでも結果として、納得のいくような仕事が出来たのであれば、恐らくこうした考えには至らなかったろうが、残念ながら何度も触れてきているように自らの方向性とはマッチしない、あまり遣り甲斐のない業務に従事せざるを得なかった現実が、余計に達成感を阻害していた。

トータル2年半と、これまでのどの現場よりも長い勤めになったが、達成感を数字で表すなら精々50%以下程度の内容しかなかった、と思っている。それだけに「自らの方向性」について、改めて原点に還って軌道を修正して再度、正しく進むべき道を追求し直す必要があるのだ。

このまま終わってしまっては、なんのために東京くんだりまで出てきたのか、という意味がなくなってしまうのである。

 12月の末に3月末で終了の「意思表示」をして、Webの転職サイトに登録をした。1月からはスカウトという形で、ポツポツと声の掛かった企業の訪問を始めた。所属しているS社のA代表からは、意思表示を伝えた際に

「当社としても、次の仕事に向けた営業を開始しようと考えておりますが、よろしいでしょうか?」

と声が掛かったが

「御社は開発系だし、通信ネットワークにはあまり強くないでしょうし・・・Tさんとの絡みがあると面倒になるので、今度は御社以外のところで自力でやって行きたいと思います」

という意思を伝えた。

「そうですか・・・」

A氏は半ばは心外そうな、しかし半分くらいは予期していた返事を訊いたような、複雑な表情になった。勿論、そういった理由だけでなく、これまでのA氏の対応に不満があった事が最大の原因である事は、言うまでもない。元々、A氏が好きではないし、これ以上の付き合いは御免蒙りたかった。

予想通り、直近のキャリアはあまり評価されなかったものの、それでもこれまでの経歴から幾つか声の掛かった企業の訪問などを続けていた。青写真としては、1月と2月の前半のうちは、声の掛かった企業は出来るだけ訪問をして話を訊く。その中から自分なりに篩を掛け、2月の後半から3月にかけて最終的に決定していく方針だった。

そうした時期の事だけに、携帯が鳴る事は普段よりも嬉しいものだったが、まったく歓迎せざる予期していなかった人物から、嬉しくない電話が掛かってきたのは誤算だった。しかも選りによって、自らの青写真にしたがい着々と計画が進行している、最悪のタイミングである。

 「やー、にゃべさん。お久しぶりで・・・お元気ですかー?」

例によって還暦過ぎとは思えないような、溌剌とした若々しい口調のT氏である事は、一声で直ぐにわかった。このT氏がいかなる人物かというについては、これまで何度も触れて来たから敢えて繰り返さないが、本当に

(どーしてこの人は、こういつもタイミング良く(悪く?)連絡をしてくるのだろーか?)

と不思議に思うくらい、職活動を行っている時に限って、まるでタイミングを見計らったかのように連絡を寄越すのである。

普段はそんなに頻繁に連絡を取っているわけでもなく、年に数回という頻度に関わらず、必ずといっていいくらいに大事な転機になるとアプローチしてくるのは、コンサルとしての嗅覚のなせる業というべきか。いずれにしても、先にも触れたように自らの計画通り着々と事が運んでいると思っていた矢先だっただけに、あたかも厄病神にケチをつけられたような、嫌な感じがした感は否めなかった。

「偶然、Aさんから訊いたんだけど、他に変わるんだってね・・・私も力になれるといいなって思ってね・・・」

「気持ちはありがたいですが、すでにかなり声が掛かっていますので、直ぐに決まりそうです」

と、即座に断った事は言うまでもない。前回の不完全燃焼を繰り返す事だけは、なんとしても避けなければならないし、そのためには地元絡みのツテなどには頼らず、次の道こそは独力で開拓する必要があるのだった。

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