奈良県と大阪府との間に聳えている葛城山系(主峰は金剛山、1125m)は神のいます山として古くから知られ、その山麗一帯が「葛城の国」であった。
「葛城」の名の由来は、千二百余年前に編集された『日本書紀』によれば、初代天皇・神武帝が大和平定の折、この地で抵抗する土着民(体が短く、手足が長い侏儒(こびと)のような土蜘蛛)を葛のつるの網を被せて退治したことによる、とされている。その後、この地には葛城の国造りが置かれた。ひとつの行政的単位としての葛城地方が存在したことは、重要な意味を持つと言える。
古墳時代にこの地を治めたのは葛城氏で、記紀によれば4世紀後半、大和朝廷の朝鮮半島進出に活躍した葛城襲津彦(そつひこ)は、皇室と関係を持った数少ない有力豪族だった。彼の娘は、仁徳天皇の皇后として有名な磐之媛(いわのひめ)であり、皇室に妃を出すことによって5世紀ころは最も繁栄したという。
御所(ごせ)市室(むろ)には、全国屈指の大規模な宮山古墳(国史跡)など、葛城の国をあとづけるものが数多く散在している。この地はまた、役の行者・大津皇子、楠木一族などに代表される日本人の精神生活に深い形跡を留めている。 東の山之辺の道に対する西の葛城の道は、竹之内から南へ笛吹き神社・櫛羅(くじら)・九品寺(くほん)・一言主神社・極楽寺・高天彦(たかまひこ)神社をむすぶ葛城山麗を言い、古代最も栄えた道である。
大阪府と奈良県の境に、葛城・金剛山地というところがあります。奈良県側の葛城山麓は、葛城氏という氏族が住んでいました。後に衰微しましたが、古代王朝を支えた有力豪族でもあります。(葛城氏の系統から鴨氏が出、奈良県葛城には高鴨神社があり、この氏族が京都で奉じた神がのちの下鴨・上賀茂神社の神と言われます)
日本書紀の神武天皇の条では葛城について、この地に土蜘蛛という手足の長い賊があり、これを制するのに蔦葛で編んだ網で捕らえ殺したからとありますが、地名語源には日本の古い言葉、やまと言葉で説明しようとする立場も強いです。
「鴨川の流域に、有名な上賀茂神社と下鴨神社があります。ここはかつて「賀茂郷」と呼ばれていました。鴨川の名前の由来は、この地名によるものです。そして賀茂の地に住んで、上賀茂神社や下鴨神社をまつっていたのが、鴨(賀茂)氏です。
鴨氏が京都の今の地に来るまでは、奈良の御所市葛城の地に住んでいたと考えられています。今も高鴨神社、鴨都波神社、鴨山口神社などの神社や、カモの地名が多く残されている土地です。鴨氏の名前はおそらく、この御所市のカモの地に住んでいたことで、付けられたのでしょう。
では、カモという地名は何に由来しているのか?
これは、大変に難しい問題です。日本人の根源にも関わる問題でもあるのですが、カモとは「神」のことではないかとする説があります。
「カモ」と「カミ」、そういえばよく似た音です。どちらが、より古い言葉なのかはわかりません。「醸 (カモ)しだす」の「カモ」も、同じ語源と思われますし、いずれにせよ聖なる存在を表現した言葉だったのでしょう。動物の鴨もまた聖なる鳥であり、北から渡ってくる鳥は天から飛来する鳥だったのです。 カミ(カモ)なる鳥ということで、カモの名が与えられたのだと考えられます。
・葛城に聖なる地があり、ここで神(カモ)をまつる氏族が「カモ氏」である。
・カモを漢字で表記すると「賀茂」あるいは「加茂」であるが、聖なる鳥「鴨」の字を取って鴨氏とも名乗った。
・カモ氏が京都に移住してその地を「カモ」とし、上賀茂神社や下鴨神社をまつった。
・神(カモ)の社として、この2社は神社の中の神社として尊崇され、川の名前もそこから鴨川になった。
次に、金剛山の由来を転載します。
「この山は古来、葛城山または高天山とも呼ばれていました。日本書紀神武天皇の巻に、葛の網を着せて土賊を掩い殺した・・・云々に由来しています。更に時代が移り、天智天皇四年(約1300年前)役の小角十六才の時(後の山岳宗教の開祖・役の行者又は神変大菩薩と称される)、この山に登られ霊気を感得、長い修業の後、頂上に法起菩薩をご本尊とする金剛山転法輪寺を建立され、ご自身の祖神、一言主神を祀る葛木神社を鎮守として併せ祀られ、神仏混淆の霊峰とされました。
以後、真言密教の霊場として信仰を集め、転法輪寺のお寺の山号である『金剛山』が略称の様に使われ、葛城山脈中の最高峰を指す名称になったとも言われています。
更に後醍醐天皇(約650年前)に移ると、大楠公が金剛山転法輪寺の山伏精力を利用し、僅か五百の兵で智略を使った結果、関東の五万の大軍を寄せつけなかった千早城の要塞としても関わりの深いものが有ったと言われています。
出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
「葛上(かつらぎのかみ)郡」、「忍海(おしのみ)郡」、「葛下(かつらぎのしも)郡」の三郡は、大和川の南、金剛山地の北、葛城山脈の東麓の地帯。葛下郡は概ね現北葛城郡王寺町、上牧町、當麻町、香芝市、大和高田市の地域、忍海郡は現北葛城郡新庄町の中心辺り(近鉄御所線の忍海(おしみ)駅があり、忍海の地名が残っています)
葛上郡は御所市の地域で、三郡の北は大和川、東は広瀬郡、高市郡、吉野郡、南は宇智郡、西は河内国に接しています。
『和名抄』は「加豆良支乃加美」、「於之乃美」、「加豆良支乃之毛」と訓じています。『日本書紀』神武即位前紀己未年2月条に、高尾張邑の土蜘蛛を
「皇軍、葛の網を結(す)きて、掩襲(おそ)い殺しつ。因りて改めて其の邑を號けて葛城(かづらき)と曰ふ」とあります。
この「かづらき」は
(1) 「葛の生えたところ」の意
(2) 「カヅ(カテ、カツラ。崖地、急傾斜地)・ラ、キ(場所を示す接尾語)」の意、とする説があります。
この「かづらき」は、マオリ語の「カツア・ラ(ン)ギ」、KATUA-RANGI(katua=stockade,main portion of anything;rangi=sky,heaven,tower
or elevated platform used for purposes of attack or defence of a stockade)、「空に聳える砦(のような地域。そこにある山)」の転訛と解します。
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