2009/11/04

空気の支配(反日政党の末路)

暴力団構成員の殆どは、在日コリア人やxxx出身者であることは、周知の事実である。これらの重要な事柄(反日政策)はマニフェストには書いておらず、選挙の時には巧妙に隠蔽してきたという悪辣さだ。これでは一体、どこの国の政治家であり政党だかわからないし、こんなことで「国民の生命や財産」を守れるはずもなく、民主党政権では国益を損なうのみである。

 

ここまで書いてきたどれもこれもが、あたかもアングラかブラック本の話のように聞こえるかもしれないが、これが民主党の本質なのだ。その党が「政権政党」として日本の舵取りをしていく事になるのだから、決して冗談話などではない。日本人がなぜ、このような売国奴どもを狂喜乱舞して支持するのかがサッパリ理解できないし、マスゴミの捏造報道に煽られ熱に浮かされた輩の集団ヒステリーだとしても、大概に節度を弁えてくれよと言いたくもなる。

 

もっともハトヤマは所詮は傀儡に過ぎず、民主の実際の首魁がオザワであることはミエミエだ。そのオザワとは、どうのような人物かといえば、かつて親分らとともに「コンチクショウ(金竹小)」と呼ばれていたくらいで、お清潔好きな民主支持者たちの大嫌いな「金権腐敗の元凶的な存在」だったことを忘れたとは、ご都合主義が過ぎる。

 

言うまでもないが、選良として最も大事なのは「国益を守る」ことが第一である。国益を損なうクリーンな無能力者よりは、胡散臭くとも絶対に「国益優先」でなければならない。実際、政治に金や闇社会が付き物であることは今に始まったことではないから、クリーンといわれる政治家は往々にして、単にそれだけの才覚がないだけだったりするのである。

 

不思議なことに、政治家としてオザワを評価する向きも多いようだが、ワタクシは自民党で君臨していた幹事長の頃から、オザワなんぞは一貫してまったく評価していない。  それどころか、大の「オザワアレルギー」である。

 

所詮は自民党内の権力闘争に敗れ、居たたまれなくなって飛び出したに過ぎず、その後を言動を見てもかつてボロクソに扱き下ろしていた社会や公明どころか、自民とだって平気で野合(自民も公明と野合は問題だったが、まだしもオザワよりはマシである)するような無節操なヤツなのだ。また、自ら新政党を作ってはぶち壊しを繰り返すなど、あの分裂ぶりを見ればどう考えても頭の中には私利私欲しかないことは明白である。

 

それもこれも「国益」を追求するための行動ならまだ許せるが、先の「コンチクショウ(金竹小)」時代には、北朝鮮への「土下座外交」で日本の歴史に泥を塗るような禍根を残すという、死罪に値する許しがたい大罪を犯している。それに飽き足らず、次にはアメリカに擦り寄って「日本改造計画」(言うまでもなく田中角栄「列島改造計画」の二番煎じ)や「国際貢献」をぶち上げたかと思えば、次には社会党と野合しコリアやチャイナへの謝罪外交を推進して、日本の名誉や国際社会での地位を著しく貶める、といった調子で、まったく支離滅裂としか言いようがない。

 

要は、権力闘争における狡猾な立ち回りだけで生き残ってきたような、極めて低劣な権力亡者に過ぎぬ。自民党中枢にいた頃はもう少しはマシかと思っていたが、権力の座から滑り落ちてからは政権を取ることだけが目的となり、そのためには一切の手段を選ばないという妖怪の正体が丸出しとなってしまった。

 

勿論、政権を取らないことには政策が実現できないのだから、究極的には政権を取るのが目的でなければ政治家の価値はないともいえるが、そのために日本及び日本人を侮辱した挙句、国益を損なってでも政権にしがみつこうというのは「狂気の沙汰」としか言えない。こんな胡散臭いヤツが、実質的に仕切っているのがミエミエだった政党に「300議席」を与えた人々に「本当に正気の選択だったのか?」と、改めて問い直したいものだ。

 

オザワと言えば、かつて自民党で権力を振るっていた頃は「普通の国になれ!などとタワゴトをホザイテいた大バカモノである。オザワの称する「普通の国」とは、要は政権政党としてアメリカサマに尻尾を振っていた頃だから、有り体に言えば「自己責任」とか「小さな政府」というヤツである。

 

ところがいつの間にやら、と言うより政権欲しさばかりに「シャミン」に擦り寄って「大きな政府」を唱えだしたかと思えば、次には性懲りもなく「脱官僚」などと言い出した。「脱官僚」と言うことは、取りも直さず自己責任社会だから

 

「おやおや・・・また小さな政府への回帰を言い出したのかいな・・・」

 

と思っていたら、今度は「地方分権」である。ところが「地方分権」を声高に叫ぶ傍らから、たかだか地方の一ダムに過ぎないものの打ち壊しに躍起となり、中央権力の威を笠に強引にぶち壊そうというデタラメっぷリだ。

 

さらには「子供手当て」やら「高速道路無料化」といった「手厚い政府保護」という社会主義的な「大きな政府」を唱えるといった調子の支離滅裂っぷりは、さながらマンガとしか言いようがない(マンガでもありえない酷さか)

 

いずれにしても、いまさら幾ら嘆いてみたところで既に賽は投げられてしまったのだから、最早どうにもならないのである。ともかくルビコンを渡ってしまった民主は、くだらない「マニフェスト」であろうが(公表したものについては)、責任を持って公約を履行するしかなくなったが、公約倒れに終われば移ろいやすい大衆の「空気」は、再び自民その他へと流れることになるだろう。

 

そのようにして、繰り返される大衆の気紛れに見捨てられる民主は、(かつて100以上の議席を有しながら、今や限りなくゼロに近いまでに愛想をつかされた)社民党と同じ、没落の道を転げ落ちる事になるのは必定だ。そうなった暁には「一時の空気」に支配された民主支持者たちは

 

「もう絶対に、民主だけには任せられない!!!」

 

とヒステリックに喚き立てるのも、これまた必定であろう(その時は、絶対に許さないからな (▼д▼)y─┛~~゚゚゚

 

衆愚政治(Ochlocracyとは、多数の愚民による政治の意で民主政を揶揄して用いられる言葉。有権者の大半が知的訓練を受けずに参政権を得ている状況で、その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな合意が得られたりする状況を指す。また有権者が、各々のエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。

 

知的訓練を受けない民が意思決定に参加することで、議論が低廻したり扇動者の詭弁に誘導されて誤った意思決定をおこない、誤った政策執行に至る場合などを指す。また知的訓練を受けた僭主による利益誘導や、地縁・血縁からくる心理的な同調、刹那的で深い考えにもとづかない怒りや恐怖、嫉妬、見せかけの正しさや大義、あるいは利己的な欲求など様々な誘引に導かれ意思決定を行うことで、コミュニティ全体が不利益を蒙る政治状況をさす。

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