女子マラソンはケニア勢が表彰台を独占し、日本選手は5位が最高という結果に終った。
そもそも、アフリカ勢など世界を代表するスピードランナーと戦えるだけの実力を備えた選手は勿論、かつての高橋尚子や野口みずきのようなレース巧者の実力者が見当たらない日本選手陣で、5人のエントリーは多すぎる。過去の熾烈な代表争いの時のように、レースの展開次第ではいずれもがメダルを期待できる顔ぶれならともかく、殆ど聞いた事のない選手ばかりを5人も送り出す意味はなく、単に派遣費用をドブに捨てたようなものである。
話は逸れるが、ワタクシは「走る都はるみ」の解説が堪らなく苦手で、あの猫撫で声の饒舌を聞くと背筋がむず痒くなるのである。折角、世界の頂点を何度も極めた弁舌爽やかな高橋がいるのだから、それとは比較にならない程度にたいした実績もないあのオバサンが出てくる必要性がわからん。
そもそも陸上競技、特にスプリント種目ほど持って生まれた身体能力がものを言う競技はない。それは、学生時代の自らの小さな体験を思い起こしても良くわかるのであり、それだけに陸上選手に畏敬の念を持っている事では、まったく人後に落ちないとの自負もある。特に黒人選手などは、そもそも骨格や筋肉など体の構造そのものが違う。それに加えて、狩りをして生計を立てているような人種となれば、彼我の環境の違いは想像を絶する。有体に言ってしまえば「野生動物に近いような体構造を持ち、そのような環境で暮らしている」のがアフリカの選手たちであり、そのような人種と同じルールで戦うのがそもそも不合理と言える。
かつてアフリカ選手は短距離では勝てるが、マラソンでは勝てない時代があって、その理由は「黒人選手はアタマが悪い」という意見があった。その論拠は「短距離や跳躍など身体能力がモノを言う競技には強いが、マラソンなど戦略的な駆け引きが必要な競技には強くない」というもので、事実マラソンではスタートから一気に飛び出しはするが、後半に失速して抜かれるパターンが多かった。しかしながら、これは「アタマが悪い」かの真偽はさておき、歴史的な経緯から指導者や環境に恵まれていなかったため、と見ることは出来る。
対照的に、マラソンを「お家芸」としていたのが日本人で、体格や身体能力はおそらくは世界のどの国と比較しても見劣りするだろうが、そのマイナスを高度な戦略などでカバーしてきた。これはかつての野球やバレーボール、最近では女子サッカーなどの「世界一」の活躍が証明するところでもある。ところが日本人と来たら、世界中の笑い者になるようなお人好しなのだから、まったく始末が悪い。西欧列強のように、優秀な黒人選手を「傭兵」として雇うどころか、せめて陸上競技で唯一メダルを期待できそうなマラソンくらいは、何が何でもメダルを獲りに行くのが「世界の常識」であろう。ところが日本人のやることときたら、わざわざ貧しい黒人選手を「留学」させた上に育成までしてやり、その挙句が本国代表として出場したかつての「留学生」に悉くメダルを浚われ、自国の選手を利益を損なっているというお目出度さ加減なのだ。
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