1973年、第45回選抜大会は「江川の大会」とも言われたほどレベルの違いを見せつけた大会となった。なにせ江川は新チーム結成以来、1点も取られていないのだった。
江川は、昭和47年秋の県大会と関東大会を無失点で優勝(秋季大会成績:7勝0敗 / 53回 / 被安打12 / 奪三振94 / 奪三振率15.96 / 失点0 / 自責点0 /
防御率0.00)
新チーム結成以来、練習試合を含む23戦全勝、負けなしという驚異的な成績で3年時(昭和48年)の春の選抜大会出場を手にした。ようやく、怪物が甲子園に登場する。
甲子園の初戦は秋季大阪大会で優勝し、出場校30校中トップのチーム打率3割3分6厘で優勝候補と言われた強打の北陽高校。しかも開会式直後の初戦という最高の舞台であった。
北陽・高橋監督は
「江川江川というが、まだ高校生。ウチの打線は、今が絶好調。ぶんぶん振り回して、江川に向かって行きますよ」
と、開会式前のインタビューで語っている。
が、実は北陽の選手達は、試合前から江川の凄さに完全に呑まれてしまっていた!
試合前の肩慣らしで、江川は捕手の小倉を相手に遠投のキャッチボールをしていたが、遠投であるにも関わらず、そのボールが下から上へ浮き上がっていた、というのである。
「これがマウンドから投げられたら、一体どんな球になるのか?」
と、江川の肩慣らしを見ていた北陽の選手達は震え上がった。
初めて甲子園球場という全国区に登場した「怪物江川」に、日本中の高校野球ファンが試合のテレビ放送を注目した。江川見たさと開幕直後の地元北陽高校戦とあって、甲子園球場は観客5万8千人の超満員となった。
満を持して登場した江川は1回、剛速球全開で北陽の選手のバットに一度も触れさせず三者連続三振。続く2回も、先頭打者に1球もボールに触れさせず三振。江川が投げる球の威力は凄まじく、北陽の打者達は
「これが、本当に我々と同じ人間が投げている球なのか?」
と恐怖に震えた。
強打北陽高校打線の1番冠野から2番慶元(クラウン→西武→近鉄)、3番広瀬、4番藤田の北陽が誇る上位打線が1人もバットにボールをかすることすらできず
「高校生の中に、1人だけプロ野球選手が混じって試合が行われている」
と揶揄された。
あまりの実力差を見せつけられ、甲子園球場は異様などよめきに包まれる。江川に次々に三振に切って取られた北陽の打者達は、ある者は真っ青な顔をし、またある者は恐ろしさで顔を引きつらせながら、打席からベンチへと帰ってきた。
続く5番有田(近鉄)が、この試合23球目に初めてバットにボールを当てると(一塁スタンドへのファウル)、有田に対して超満員の観客から大きな拍手が巻き起こっている。
初回先頭打者から4回2死までアウト11者連続三振、秋季大会で打率4割2分、3本塁打、21打点の成績を残した北陽一の強打者4番藤田からは4打席4奪三振(すべてスイングアウトでの三振)、最終9回も2番慶元からの好打順に対して3者連続三振で締め、結局この試合4安打19奪三振完封と鮮烈な甲子園デビューを飾った。
試合後のインタビューで、北陽の高橋監督
「生徒には真っ直ぐを狙わせたが、スピードがありすぎてバットに当たろうともしなかった。途中から作戦を変えて短打打法に切り替えたが、全くダメだった」
と語っている(ちなみに、この北陽高校はこの年の夏の甲子園にも出場し、ベスト8になっている)
大会前から豪腕と騒がれたが、初めて全国に姿を現した「怪物」の実力に多くの高校野球ファンが驚嘆し、この試合を契機にこの大会が江川大フィーバーに包まれた。
2回戦で作新江川と当たる小倉南(福岡)の重田監督とナインは、この1回戦作新学院対北陽戦を観戦し、江川が強打の北陽打線を赤子の手をひねるように圧倒した内容を見て、このままでは勝てないと考え江川対策を練った。
3月31日、2回戦、小倉南は選手全員がバットをふた握りも短く持って登場し、徹底した短打戦法とバントで江川に食い下がって、スタンドがどよめいた。しかし、安打は3回の3塁前のバントヒットの1本のみで、7回10奪三振と江川が圧倒。珍しく打線が奮起し、7回で8対0と大量リードしたため降板している。
続く準々決勝では、秋季大会愛媛県大会優勝、四国地区大会でも優勝し、春の大会でも優勝候補の一角であった今治西(愛媛)と激突した(ちなみに今治西は、この年の夏の甲子園にも出場しベスト4になっている)
この今治西に対して、速球、変化球ともに冴え「怪物」ぶりを発揮した江川は、7回2死まで1人のランナーも許さず14奪三振。完全試合の期待もあったが、その直後に中前打された。しかし、気持ちを切らさず8回9回もアウト6者連続三振で締め、結局、8連続を含む毎回の20奪三振で、1安打完封と完璧に抑えた。
この試合での8連続奪三振は、1926年(大正15年)夏の和歌山中学・小川正太郎の記録に並ぶ大会記録。試合後のインタビューで、今治西の矢野監督は
「選手にバットを短く持って当てていくように指示したが、どうしても打てなかった。もう1度対戦しても打てませんね。選手には内緒ですが、完全試合にならなくてホッとしましたよ」
と語っている。
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