1972年、第25回秋季関東地区大会栃木県予選、江川は4試合登板29回無失点45奪三振、2試合完封で優勝。関東大会では準々決勝(対東農大二戦)で、6回1安打完封13奪三振。準決勝は、70年代前半から「黒潮打線」の強打で鳴らしていた銚子商と激突した。
当時の江川は、とにかく凄い投手だった。その剛球と鋭いカーブで新チーム結成以来、無失点。三振は毎試合、最低15は取っていた。ただ、当時は「黒潮打線」と恐れられた銚子商なら「もしかしたら・・・」と思われていた。しかし当時の江川は、やはりモノが違った。あまりの剛速球に、銚子商のバッターは当てることさえできなかった。
三振した銚子商ナインは真っ青になってベンチに戻り、一言も喋らない。名将・斎藤監督も打つ手がなく
「これはパーフェクトを食らうかも」
と腹を括った。
結局、メチャ振りしたバットにボールが当たり、運良くポテンヒットが出たが、銚子商はその1安打だけ。三振は20を数えた。
当時、1年生で控えピッチャーだった土屋(1974年夏に優勝投手となる)は
「あの時の江川さんは、本当に凄かった。まさに怪物だった。打席で構えていると、物凄い球が頭めがけて飛んで来た。で、思わず腰を引くと、ギューンと曲がってストライク。後に進んだプロでも、あんな投手を見たことがない」
と、述懐している。
高校時代の江川と対戦した打者が
「あんな球、打てるわけがない。ボールの伸びが全然違う」
と、誰もが口を揃える。
事実、勝った試合はもちろん、負けた試合も殆ど打たれていない。しかも「本気で投げたら、キャッチャーが捕れない」というので、常に五~六割の力で投げていたと言われる。高校時代の松坂との比較でも、ボールの伸びや球威が全く違い比較するのはナンセンスである。続く決勝戦も、横浜高校相手に16奪三振で悠々と完封した。江川は、秋の県大会と関東大会を無失点で優勝した。
秋季大会の成績は
7勝0敗 / 53回 / 被安打12 / 奪三振94 / 奪三振率15.96 /失点0 / 自責点0 / 防御率0.00
新チーム結成以来、練習試合を含む23戦全勝負けなし、113回無失点という前人未到の驚異的な記録で、3年時(73年)の春の選抜大会出場を初めて手にした。
決勝で江川に16三振完封負けした横浜高校も、同じく春の選抜大会に出場しているが、この大会で優勝していることからも、江川の素質と能力の高さを間接的に証明している。
横浜高校の渡辺監督に聞いた。
『松坂と江川と、どっちが凄かったか?』
「江川ですね。江川は松坂より、遥かに独特のオーラを持った選手でした。高校時代の江川は、別格に凄いと思いました。松坂もキレ味がありましたけど、江川の場合は低目からグィ~ンとホップしてくる。合わないんですよ、バットが。カスらない。試合中に、対策なんか出来なかったです。走らせようとしても、ランナーが出ないですから」
「松坂は全力で投げて150km、それも全身のバネを使って最高のフォ-ムの時に最高のスピ-ドが出る。まあ投手として、これが普通なんだが。江川は、軽く投げてもそれくらいは出ていた。本気で投げると、一体どんな感じなのか予想もつかなかった。当時、キャッチャ-が捕れないので、全力では投げないようにしてるという話を聞いてゾッとした。しかも、その投手に手も足も出なかったんだからねえ」
この年の横浜高校は春、江川が破れた広島商に勝って全国制覇した強いチ-ムだった。横浜高校の小倉部長はいう。
「松坂とは、問題にならないですね。特に高目の球は、比較にならない。まずあれほど伸びる高めの真っすぐは、ちょっといないですね。カスらないですから。あと大きくて落差があって、カーブがいいでしょ。今のスピードガンで計ったら158、9キロはくらい出てたでしょうね。対策と言っても、やりようがないでしょう。ヘルメットを深く被らせて、高めを振るなって言ってもストライクですからね。コントロールもいいし、やりようがないです。松坂がいくら三振取るって言っても、ある程度のチームが来たら三振の数は変わらないと思います。でも江川は、平均すると三振15,6個は取るでしょ。歴代ナンバーワンです」
と、断言する。
0 件のコメント:
コメントを投稿