2014/12/31

2014大晦日

遂に大晦日である。

「遂に」と言っても別に待ちわびていたわけでもなく、また待ちわびずとも準備が出来てなかろうが、1/365のうちの1日として来るべくして来る日であるから、冒頭の枕はあくまで「言葉の綾」に過ぎないお約束のセリフである。

 

これまで何度も繰り返してきたように「大晦日と大掃除の因果関係」などはないのだから、大掃除をやるとやらないとに関わりなく大晦日が過ぎて正月がやってくることにも変わりはない。なぜ「大晦日=大掃除」か?

と言うに、自分の場合であれば正月休みは普段よりも家でゴロゴロしている時間が長いから、せめて綺麗な部屋で過ごしたいという願いが多少なりともある。穢い部屋で我慢できるなら、特に無理に掃除をする必要はない。つまりは掃除の面倒か、汚れた部屋の不愉快かのバーターであって、三流エコノミストの好む「トレードオフの関係」というヤツである。

 

なにせ、月に1度の掃除機掛けが関の山だった無精者としては「大晦日」くらいの切っ掛けがなければ、なかなか「大掃除」のスイッチが入らないというのが実情であったし、その年に一度の「大掃除」ですら適当にお茶を濁してきたのが実態で、所詮は「自己満足」に過ぎぬ。ところが、今年6月に引っ越したのが「築浅物件」とあって、週に一度の掃除と月1度はフローリングのワックス掛けが習慣となってしまった(あくまで「今のところは」だが)

 

こうして欠かさず掃除をして来たお蔭で、引っ越し後半年経ったがなかなか綺麗なもので、これは必ずしも空気清浄器やら脱臭炭を置きまくっているためばかりとも言えず、引っ越し後半年の綺麗な部屋に「大掃除」の必要性はなかろうと、今年は久々にこのプレッシャーから解放された。

 

おまけに、今年は近所の大手スーパーが「元日営業」を行うらしいので、例年のように大晦日に買い出しに奔走する必要もなくなったのをいいことに、音楽を聴いたり読書をしたりでノンビリ過ごしたせいか、いつにも増して大晦日らしい雰囲気からはかけ離れてしまった。長年、大晦日も正月もTVなどは全く見ないから、そのような雰囲気とは元々無縁ではあったものの、早くも「ただの長期休暇モード」となっている。

 

先にも触れたように、今年は6月の引っ越しでは大出費となってしまったが、その後は快適な環境で過ごせているし、仕事の上でもン年ぶりに同じ現場で1年を無事に勤め上げた。春・秋には、これまで未踏の地だった色々なところに旅行にも行けたしで、まずは良い年だったと言えそうである。

2014/12/29

産霊の神『古事記傳』

※本居宣長訳(一部編集)
世の中にありとあらゆることは、天地をはじめ万物も事業も、この二柱の産巣日大神の産霊によって成り出ずるのである。【ここで、そのことがあらわになった例証を一、二挙げよう。伊邪那岐神、伊邪那美神の二神が国土、万物、神々を生み出したのであるが、その元は天つ神の詔命によっている。その天つ神というのは、ここに出る五柱の神なのである。また天照大御神が天の石屋に籠もった時や、天孫の天降りに当たって、この地を平定するために神を遣わす時も、そのことを思い図った思金神(おもいかねのかみ)は、この神の御子である。この国を造り固めた少名毘古那(すくなびこな)神も、この神の御子である。天孫を生んだ豊秋津師比賣命も、この神の娘だった。この地上の国を言向け(平定)したのも天孫が天降ったのも、みなこの神の詔命によるこういったことから世に万物があるのも事業が成るのも、みなこの神の産霊の恵みであることを理解するべきである

すべて世の中にある事どもは、みな神代にあったことから知ることができる。いにしえから現代まで、物事の善悪、世の推移などを考えると、すべて神代の事実と変わりない。これから万代の未来までも、変わることなく続くであろうと考えていい。こうしたことをもっとよく考えると、天照大御神にこの神々が相並んで詔おおせて事が成り、大穴牟遅の命(大国主命)に少名毘古那神が相並んで国が成り、忍穂耳の命に豊秋津師比賣命が相並んで御孫が誕生した。これらにいずれも相並ぶ神がいて、この産霊の功業が成った様子が同じであるのには、深い理由があるのであろう。また書紀では、この神の「御児千五百座」と言っている。「千五百」は単に数が多いと言うだけだが、あらゆる神はこの神の御子と言っても間違いではない。神であれ人であれ、みなこの神の産霊から生じ出たからである

拾遺集の歌(1265)に「君見ればむすぶの神ぞ恨めしき、つれなき人を何造りけむ」 という歌があり、その頃まではまだ世人も古い伝えをよく知っていたことが分かる。狭衣物語に「いとかくしも造りおき、きこえさせけむ、むすぶの神さへ恨めしければ」というのは、その拾遺集の歌によって言ったのである。】

そうであるから世に神は数多いが、この神は特に尊い神であり、産霊の恵みは言うまでもないが、すべての神にも増して仰ぎ奉り斎くべき神である
【それなのに書紀の初めに、この神を挙げていないのは大きな手落ちだ。一書は一書であって本文ではないから、本文では最後に何気なく登場するというのも、おかしいだろう。この神は他の神と肩を並べて、何となく出てくるような格の低い神ではないので、この記のように最初に登場すべきなのだ代々の物知り人たちも、国常立神(クニのトコタチのカミ)ばかり、この上ない神のように、やかましいほどに言い立てて、この産霊の神の恩徳を大して取り沙汰しないのは、書紀のみを拠り所にして議論し、この記などはろくに見もせず深く考えようとしなかったための過ちである。上代から宮中ではこの神を特に深く崇敬され、手厚く祭られていたのだが、かの国常立神などは特に祭ったとは聞いていない。諸国の神社にも、あまりこの神の名は見られない。】

この産霊の神は、このように二柱いるのだが、記に書かれたところでは二柱が同時に並んで出現したところはなく、ある場面では高御産巣日神、他の場面では神産巣日御祖神と、それぞれ一柱だけが出て来るので、その名は違っても同じ神のように思われる。このように二柱のようで一柱のようであり、一柱かと思えば二柱である、そういう二神の違いが曖昧なことには、深い理由がありそうである

2014/12/27

舎人

「とねり」とは宮中や貴人に仕える雑用係のことで、百済の二十二部という官制になぞらえて「舎人部」に当てた。だから「舎人」を「とねり」と読むのであって、中国でこの官名を「とねり」読んでいた訳ではない。

 

三省堂の国語辞典に

 

()皇族・貴族に仕えて雑務を行なった下級官人。律令制下には内舎人・大舎人・春宮舎人・中宮舎人などがあり、主に貴族・官人の子弟から選任された。舎人男。舎人子。

()平安時代、貴族の牛馬などを扱う従者。

()旧宮内省式部職に属した名誉官。式典に関する雑務に従事した。

 

だから「しゃじん」と読んでも間違いではない。舎人監は「とねりのつかさ」と読むが「しゃじんかん」と読むのが普通である。で、当地がどうして舎人なのか判らない。「・・・ではないか?」というコジツケ(説)は、以下の通り幾つかある。

 

1. 「トネ」は小石の多い痩せ地、「イリ」は入江や谷の奥で、神領堀の状態をいったもので「トネイリ」が転訛して「トネリ」となり「舎人」の字を当てたという説。

2.「日本書紀」の編纂を総裁した事で知られる舎人親王(とねりしんのう)は、舎人皇子(とねりのみこ)とも記される天武大王(てんむおおきみ/第四十代天皇)の皇子で、飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族である)。この舎人親王にちなむという説。

3. この辺りを支配していた舎人土佐守の姓にちなむという説。

4.「トネ」は湖水、「リ」は高いところというアイヌ語による説。

5.官牧が草加市遊馬(あそば)にあり、その管理者檜前(ひのくま)一族に関係のある舎人が住んでいたことにちなむの説。

6.欽明天皇の大舎人日置直志毘(ひぎのあたえしび)が出雲から移住してきて、故郷の舎人郷を懐かしんで村名とした説。

7.聖徳太子がお忍びで関東を巡行していたとき、聖徳太子と見破った舎人にちなんだという説。

8.「トネ・リ」、TONE-RI(tone=projection,knob;ri=screen,protect,bind)、「丘が連らなった(土地)」という説などなど、たくさんの説がある。

2014/12/10

高御産巣日神と神産巣日神『古事記傳』

※本居宣長訳(一部編集) 
次(つぎに)つぎ」というのは「つぐ」という用言(動詞)を体言(名詞)の形にしたのである。「つぐ」は「つづく」と同源であり「つぎ」も「つづき」と同じことである。 それには縦横の別がある。 縦とは、父の後を子が継ぐ類である。 横は、兄の次に弟が生まれる類である。 記中「次に」とあるのは、みなこの横の意味である。だからここから始まって、後の文で「次に伊邪那美の神」とある「次に」までは、すべて兄弟が次々に生まれたようなものである。【父子の次第(ついで)のように、前の神の世が過ぎて、次の神が現れるのではない。この点を思い違いしないように】

高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)
高御産巣日神は、書紀に高皇産霊尊「皇産霊此云2美武須毘1(皇産霊をみむすびと言う)」とあり「古語拾遺」に「古語多加美武須比(たかみむすび)」、新撰姓氏録に「高彌牟須比命」とあるので読みが分かる。【「たかんすび」などと読むのは、音便に崩れた後世の読みである。】この名の意味は「」は美称、別名でも「高木(たかぎ)の神」と言う。【後に見える。】 「」も美称である。

神産巣日神は、書紀には神皇産霊(かむみむすび)尊とあり「」の字が一言多い。 実際、高御産巣日神と双神であれば、この神も神御産巣日神とあって然るべきである。だが延喜式の出雲国造の神賀詞にも「高御魂(たかみむすび)、神魂(かみむすび)命」、新年祭の詞にも「神魂、高御魂」、また御巫の祭る神八座の中にも神産日神、高御産日尊【三代実録二巻に出たのもこれと同じ。】があり、これら二神を並べた中に、いずれも神産巣日神には「」の字がない。新撰姓氏録にはたくさんの箇所にこの神の名があり、神御魂と書いた箇所もあるが、多くは「神魂」である。

古言では同じ音が重なったとき、縮めて一音に言う例が少なくないので【「倭迹々日(ヤマトととび)」という皇女の名を「夜麻登々(やまとと)」としたり、旅人を「たびと」とするたぐいである。】 これも「かみみ」と「み」が重なるので、多くの場合は縮めて言うのである。であれば、「かみ」の「み」に「御」の意味が含まれているのだ。神の字は「かみ」と読むべきである。【「かみみ」を縮めても、「かむみ」を縮めても、同じく「かみ」になるからである。「かむ」と読んだのでは「御」の意味が備わらない。ただし書紀のように「神皇」とある場合は「神」は「かむ」と読む。また「神皇」、「神御」共に、二文字で「かみ」と読んでもいいだろう。】

この名の意味は「神御」は「高御」と同じく美称、「産巣日」は字はすべて借字で「産巣」は「生(むす)」である。 それは息子、娘、また「苔むす」【万葉には「草武佐受(くさむさず)」もある。】などに言う「むす」で、ものが成り出ずるのを言う。【とすると「産」の字は正字と考えても良い。 書紀にも「産霊」とあり「産日」と書かれることも多い。「む」の意味に、この字を書くのは「生む」の意味である。仁徳天皇の歌で「子生む」を「こむ」と言った例がある。だが「産巣(むす)」を「生む」の意でなく「産」を「生む」の意とし「巣日(すび)」を続けて考えても良さそうに思えるふしもある。「日」は書紀に「霊」とあるが、意味はよく当たっている。 すべて物事の霊異(くしび)なのを「ひ」を言う。【「久志毘(くしび)」の「毘」も同じである。】

高天の原にいませる天照大御神を地上から見上げて「」と言うのも、天地に比類なく最も霊異だからだ。 比古(ひこ)、比賣(ひめ)などの「」も霊異であることの美称である。また禍津日、直毘などの「」もこれである。 

であるから「産霊」は万物を生成する霊異(くしび)なる神霊(みたま)を言う【以前、この「毘」は神佐備(かむさび)、荒備(あらび)などの「び」と同じで、「~ぶる」とも活用し、「~めく」という語に似ている。だから「むすび」とは「生み出そうとしている状態」を言うのかと考えていたが、それは誤っていた。「~ぶる」と活用する「び」ではない。だから、あの「び」は常に「備」を書き「むすび」は常に「毘」を書く。】 この他にも、火産霊(ほむすび)、和久産巣日(わくむすび)、玉留産日(たまつめむすび)、生産日(いくむすび)、足産日(たるむすび)、角凝魂(つぬこりむすび)などの名がある。「むすび」の意味はみな同じである。

2014/12/03

南禅寺~永観堂(2014紅葉狩りpart4)

東福寺の紅葉は見頃で、通天橋から臥雲橋までを見渡す眺望は、何度見ても惚れ惚れする。これで陽が当たっていたら全く言うことなしだったが、雨に洗われた感じもそれはそれで風流と言えた。

 

先に触れた「京都五山」の大伽藍」と「八相庭」はお決まりコースだが、特別公開の龍吟庵は初めての見学だけに胸が躍ったが、期待通りこれまで沢山観てきた庭園とは趣の異なる斬新なコンセプトである。

 

 



 

この後、時間が許せば特別公開の塔頭寺院やら泉涌寺やらまで足を伸ばすところだったが、今回は時間の関係で断念し蹴上へと移動する。京都ビギナーの案内コースとなると、有名どころの大寺社が集まる東山、嵐山、きぬかけいうのが定番だろうが、そんな中で今回は不安定な天候を考慮し、電車の駅から近い蹴上の南禅寺を選んだ。無論、単に交通至便というに留まらず、東福寺と同様に多くの日本庭園が堪能できることに加え、大伽藍に紅葉と見所満載であることは言うまでもない。そして自分にとっては恒例とも言うべき、特別公開の山門の上から眺める絶景も、やはり紅葉のピークを迎えていた。

 


 

南禅寺を選んだもうひとつの理由は、お目当ての名物「湯豆腐」にあった。参道に並ぶ有名店の中でも特に有名らしい店に入り、本場自慢の湯豆腐を堪能して、すっかり重くなった腹を抱えながら永観堂へと移動する。こちらも東福寺と同じく、市内を代表する紅葉名所とあって何度も訪ねていながら、その都度新たな発見や、あのスケール感に圧倒される。

 


 

ライトアップの始まった永観堂を後にし、締めは清水寺のライトアップをとタクシーを奮発して乗り付けはしたものの、夜間の特別公開は入場待ちが清水坂の下まで続いているのではないか、というような途轍もない行列に加え、清水の舞台と並ぶシンボルとも言うべき三重塔が修復中という不運もあって、急きょ方針転換。八坂神社を参拝して、花見小路~祇園の市街地をそぞろ歩いて、この日も3万歩近くに達した εεε(*)-○ 

2014/12/02

東福寺(2014紅葉狩りpart3)

最終日は寺社の拝観時間に合わせ、やや遅めの朝食バイキングで、湯葉、豆腐、おばんざいなどの名物で腹ごしらえをする。

 


 

この日は小雨の予報だったが、朝からかなり強い雨に見舞われた。「晴れ男」の自分が、これだけの雨に直面するのは珍しいことだったが

 

(ま、こんなこともあるか・・・)

 

と駅への途中のコンビニで傘を買い、いつものように荷物は駅のコインロッカーに預けて出発する。

 

京都の有名どころに関しては、桜も紅葉もほぼ行きつくした感があるから、今更どこでもよかったが、パートナーの方が「修学旅行以来」殆ど初めに近い京都だけに、今回はガイド役に徹する。天気が良ければレンタサイクルで効率よく回る予定だったが、その楽しげな目論見は雨で脆くも崩れた。

 

春秋の拝観シーズンのバスは時間通り来るかどうか以前に、そもそも乗れるかどうかも怪しい上に、道路の渋滞も凄いことになっているだけに、過去の経験則上、春秋の「特別拝観」シーズンは、電車か自転車しか利用しないことにしていた。おまけに、これだけの本降りとなると電車で移動し駅から近い寺社を中心に回らなければならず、さらに「京都ビギナー」向けの紅葉が十分堪能できる寺社でなければいけないというのが、今回のガイドに課せられた条件であった。こうして捻り出された計画(そんな大層なものでもないが)は、東福寺からスタートした。言わずと知れた永観堂と並ぶ市内屈指の紅葉の名所であり、また京都駅からひと駅の上、駅からもそう遠くはないという絶好の「獲物」だ。

 

東福寺と言うと、どうしても紅葉ばかりに目が行きがちではあるが「通」の目には京都を代表する大寺院の格式に相応しい伽藍群や、そして「八相庭」など異なる趣を持った日本庭園を堪能できる点から、これこそ京の寺社の魅力を凝縮したような大寺院と言えた。

 


 

さらに東福寺に着いた頃には雨も小止みになって、傘がなくてもなんとか見学できる程度まで回復していたのは幸いだった。いつかの休日に訪れた年は、通天橋の拝観券を求めて門の外まで行列が続いていたのを目にし一目散に退散したこともあったが、この日は平日と天候のせいもあってか、そこまでの凄い行列ではない。

 


 

とはいえ、入り口の臥雲橋は身動きも困難なくらいではあったが。

2014/12/01

長谷寺(2014紅葉狩りpart2)

ここまで来たのだから、一度行った長谷寺よりは未踏の談山神社へ行きたい気持ちだったものの、残念ながら今年は紅葉が早いとかで、お目当ての十三重塔辺りの紅葉は早くも散り始めとの情報をネットで確認した。となれば、迷うことなく「紅葉見頃」の長谷寺に決定だ。

 

長谷寺門前まではバスで移動し、参道にある店で三輪そうめんやマツタケご飯のセット地酒「談山」で腹ごしらえをする。以前ほどではないにしろ、東京に住んでからもちょこちょこ足を運んでいる京都に比べ、交通の便難ありの奈良の方は、実に2005年以来(この時はGWに長谷寺のボタンを見に行った)とすっかりご無沙汰である。

 

その9年半前は、鮮やかな新緑に包まれていた本堂舞台からの眺望は、今度は真っ赤な紅葉に衣替えしていて、いずれ劣らぬ絶景であることには変わりない。

 


 

ご多分に漏れず、こちらも「特別拝観」を行っており、普段は関係者以外立ち入り禁止の国宝本堂内に入り、ご本尊の十一面観音の足に直接触れることが出来た。

 


 


 

パートナーは奈良に来るのが中学の修学旅行以来というだけに、一旦奈良駅で下車してお決まりの東大寺南大門~大仏殿まで鹿と戯れつつ徘徊する。興福寺に着いた頃は、すっかり日が落ち重厚な五重塔がライトアップされていた。春日大社神苑の萬葉植物園などと神聖めいた場所で「イルミ奈~ら」とやらをやっていたのはサプライズだったが、軽く見学して京都へ(1000円は高い!)

 

パートナーは、さらに欲張って京都のライトアップをも見学する予定も満満のようだったが、ホテルが京都駅のため、これは断念する。東山辺りのライトアップを観ようとするなら、やはり四条や五条に泊まらなければと痛感した。定番のアパホテルは、京都駅近くの立地にありながら温泉のような大浴場と露天風呂があるのが魅力で、すっかり京都の定宿であり、ホテル内のレストランで、おばんざいやごま豆腐、豆乳デザートなど名物の堪能する。大浴場と露天風呂で「3万歩」という強行軍の疲れを癒したせいか、夢も見ずにぐっすり熟睡した  ( _ ) クゥゥゥ。o