2014/12/27

舎人

「とねり」とは宮中や貴人に仕える雑用係のことで、百済の二十二部という官制になぞらえて「舎人部」に当てた。だから「舎人」を「とねり」と読むのであって、中国でこの官名を「とねり」読んでいた訳ではない。

 

三省堂の国語辞典に

 

()皇族・貴族に仕えて雑務を行なった下級官人。律令制下には内舎人・大舎人・春宮舎人・中宮舎人などがあり、主に貴族・官人の子弟から選任された。舎人男。舎人子。

()平安時代、貴族の牛馬などを扱う従者。

()旧宮内省式部職に属した名誉官。式典に関する雑務に従事した。

 

だから「しゃじん」と読んでも間違いではない。舎人監は「とねりのつかさ」と読むが「しゃじんかん」と読むのが普通である。で、当地がどうして舎人なのか判らない。「・・・ではないか?」というコジツケ(説)は、以下の通り幾つかある。

 

1. 「トネ」は小石の多い痩せ地、「イリ」は入江や谷の奥で、神領堀の状態をいったもので「トネイリ」が転訛して「トネリ」となり「舎人」の字を当てたという説。

2.「日本書紀」の編纂を総裁した事で知られる舎人親王(とねりしんのう)は、舎人皇子(とねりのみこ)とも記される天武大王(てんむおおきみ/第四十代天皇)の皇子で、飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族である)。この舎人親王にちなむという説。

3. この辺りを支配していた舎人土佐守の姓にちなむという説。

4.「トネ」は湖水、「リ」は高いところというアイヌ語による説。

5.官牧が草加市遊馬(あそば)にあり、その管理者檜前(ひのくま)一族に関係のある舎人が住んでいたことにちなむの説。

6.欽明天皇の大舎人日置直志毘(ひぎのあたえしび)が出雲から移住してきて、故郷の舎人郷を懐かしんで村名とした説。

7.聖徳太子がお忍びで関東を巡行していたとき、聖徳太子と見破った舎人にちなんだという説。

8.「トネ・リ」、TONE-RI(tone=projection,knob;ri=screen,protect,bind)、「丘が連らなった(土地)」という説などなど、たくさんの説がある。

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