2014/12/29

産霊の神『古事記傳』

※本居宣長訳(一部編集)
世の中にありとあらゆることは、天地をはじめ万物も事業も、この二柱の産巣日大神の産霊によって成り出ずるのである。【ここで、そのことがあらわになった例証を一、二挙げよう。伊邪那岐神、伊邪那美神の二神が国土、万物、神々を生み出したのであるが、その元は天つ神の詔命によっている。その天つ神というのは、ここに出る五柱の神なのである。また天照大御神が天の石屋に籠もった時や、天孫の天降りに当たって、この地を平定するために神を遣わす時も、そのことを思い図った思金神(おもいかねのかみ)は、この神の御子である。この国を造り固めた少名毘古那(すくなびこな)神も、この神の御子である。天孫を生んだ豊秋津師比賣命も、この神の娘だった。この地上の国を言向け(平定)したのも天孫が天降ったのも、みなこの神の詔命によるこういったことから世に万物があるのも事業が成るのも、みなこの神の産霊の恵みであることを理解するべきである

すべて世の中にある事どもは、みな神代にあったことから知ることができる。いにしえから現代まで、物事の善悪、世の推移などを考えると、すべて神代の事実と変わりない。これから万代の未来までも、変わることなく続くであろうと考えていい。こうしたことをもっとよく考えると、天照大御神にこの神々が相並んで詔おおせて事が成り、大穴牟遅の命(大国主命)に少名毘古那神が相並んで国が成り、忍穂耳の命に豊秋津師比賣命が相並んで御孫が誕生した。これらにいずれも相並ぶ神がいて、この産霊の功業が成った様子が同じであるのには、深い理由があるのであろう。また書紀では、この神の「御児千五百座」と言っている。「千五百」は単に数が多いと言うだけだが、あらゆる神はこの神の御子と言っても間違いではない。神であれ人であれ、みなこの神の産霊から生じ出たからである

拾遺集の歌(1265)に「君見ればむすぶの神ぞ恨めしき、つれなき人を何造りけむ」 という歌があり、その頃まではまだ世人も古い伝えをよく知っていたことが分かる。狭衣物語に「いとかくしも造りおき、きこえさせけむ、むすぶの神さへ恨めしければ」というのは、その拾遺集の歌によって言ったのである。】

そうであるから世に神は数多いが、この神は特に尊い神であり、産霊の恵みは言うまでもないが、すべての神にも増して仰ぎ奉り斎くべき神である
【それなのに書紀の初めに、この神を挙げていないのは大きな手落ちだ。一書は一書であって本文ではないから、本文では最後に何気なく登場するというのも、おかしいだろう。この神は他の神と肩を並べて、何となく出てくるような格の低い神ではないので、この記のように最初に登場すべきなのだ代々の物知り人たちも、国常立神(クニのトコタチのカミ)ばかり、この上ない神のように、やかましいほどに言い立てて、この産霊の神の恩徳を大して取り沙汰しないのは、書紀のみを拠り所にして議論し、この記などはろくに見もせず深く考えようとしなかったための過ちである。上代から宮中ではこの神を特に深く崇敬され、手厚く祭られていたのだが、かの国常立神などは特に祭ったとは聞いていない。諸国の神社にも、あまりこの神の名は見られない。】

この産霊の神は、このように二柱いるのだが、記に書かれたところでは二柱が同時に並んで出現したところはなく、ある場面では高御産巣日神、他の場面では神産巣日御祖神と、それぞれ一柱だけが出て来るので、その名は違っても同じ神のように思われる。このように二柱のようで一柱のようであり、一柱かと思えば二柱である、そういう二神の違いが曖昧なことには、深い理由がありそうである

0 件のコメント:

コメントを投稿