2015/12/13

伊豫之二名嶋『古事記傳』

神代三之巻【大八嶋成出の段】本居宣長訳(一部、編集)
伊豫之二名嶋(いよのふたなのしま)。阿波、讃岐、伊予、土佐の四つの国の総称である。【後代、四国と呼ぶようになった。】万葉巻三【三十九丁】(388)に、「白浪乎伊與爾囘之(シラナミをイヨにモトオシ)」とあるのも、四国全体を言っているようだ。伊予は本来一国の名だが、それが総称になったわけで、筑紫(が九州の総称になったこと)と同じである。二名の島というのが、元の総称だろう。「名」というのは借字で「二並び」の意味である。書紀の應神の巻の歌に「阿波ジ(旋の字の疋を尼に置き換えた字)辭摩、異椰敷多那羅弭、阿豆枳辭摩、異椰敷多那羅弭、豫呂辭枳辭摩之魔(あわじしま、イヤふたならび、あずきしま、イヤふたならび、よろしきシマジマ)」とある。これは淡路島と小豆島を詠んだ歌で、伊予の二名の島というわけではないが、二並びという語があった証拠である。

万葉巻九【二十二丁】(1753)に、「二並筑波乃山(ふたならびツクバのやま)」という例もある。この島は飯依比古と愛比賣と女男が並び、建依別と大宜都比賣がまた並ぶのを二並びと言ったものだろうか。【この島は、東から見ると讃岐(飯依比古)と阿波(大宜都比賣)が並んで見え、西から見ると土佐(建依別)と伊予(愛媛)が並んで見える。北から見ても南から見ても、同じように二つの国が並んで見える。そこで男女の名を付けて二並びの島と言ったのだろう。また万葉巻六に「刺並之國爾出坐(サシナミのクニにイデます)」と詠んだのは、また違う意味か。それとも、これも二並びの意味だろうか。俗に二人が向かい合わせになるのを「差し向かい」と言い、二人ですることを「さしでする」などと言うのを想起せよ。】

また「伊予」も元からの総称だとすれば、これは「彌(いや)」の意であって、【「いや」を「いよよ」とも言う。】先の應神の歌の通り「いや二並びの島」ということになるだろう。【今、伊予の近海に「大二島」という島がある。「大二嶋大明神」の神社もある。二名嶋はこれだと国人は言うが、それは違うだろう。それは越智郡にある大野神社などの名を誤って言ったものではあるまいか。】

○此嶋者身一而(このしまはみひとつにして)というのは、四国が一つの島であることを言う。

○「有2面四1(おもよつあり)」とは、四つに分かれていることを言う。単に国が四つに分かれていると言うより、地勢が四つに分かれたようになっているのである。【だからこそ国が四つに分かれたのであろう。】このように島を人になぞらえて身とか面とか言うのは、次に三子(みつご)島、両児(ふたご)島などと言っているし、山についても頂(いただき)、腹、御富登(みほと:女性のxx)【中巻にある。】などと言うたぐいである。面は「おも」と読む。【これを「おもて」と言うのは「うしろ」を「うしろで」と言うようなものである。】

万葉巻二に【四十一丁】(220)に「讃岐國者云々、天地、日月與共、滿將行、神乃御面(サヌギのクニは~、あめつち、ツキヒとともに、タリゆかん、カミのミオモ)とあるのは、これを思っているのである。【昔はこのように、少しのことを言うにも古い伝えを考えて言ったものだが、後世はただ漢意にばかり囚われて、いにしえの雅び心を忘れてしまったのは何とも浅ましい。】

伊豫國(いよのくに)。中巻や下巻では「伊余」と書いている。これは伊豫郡から出た名前だろう。【そういう例は多い。】神名帳によると、その郡に伊豫神社があり、また伊豫豆比古(いよずひこ)神社もある。【この神の名は地名に由来するのだろう。】伊豫という名の意味は分からない。

愛比賣(えひめ)は、兄弟の女子(姉妹)を兄比賣(えひめ)、弟比賣(おとひめ)と呼ぶことが多いので、これは女子の初めという意味で兄比賣としたものだろうか。【書紀の皇極の巻に「長女(えひめ)」とあり、伊勢の多氣郡には兄國、弟國という村の名もある。】あるいは、伊豫が本来の四国全体の名前だとすれば、前述の歌の「彌(いや)二並び宜しき島々」の意で「愛」は「宜しき」の意味だろうか。【「よい」を「え」と言う例は多い。前述の「愛袁登賣」のたぐいである。】

比賣(ひめ)は比古(ひこ)の対語で、女に対する美称であり「比(ひ)」は「産巣日」の「日」の意味である。既述【伝三の十三葉】の通りだ。「賣(め)」は「女」である。【書紀は、一般に「比古」には「彦」の字、「比賣」には「姫」、または「媛」を用いる。その区別は、皇族の姫君には「姫」を用い、他の姓の娘には「媛」を書く。とこがこの記では、比古、比賣の表記は清濁が厳格に分かれていて、清む場合は比の字を用い、濁る場合は毘を用いる。これを適当に読んではいけない。この清濁は、世間で訛って読み慣わしているのも、この記によって正すべきである。少名毘古那神、猿田毘古神などの毘を清んで読んだり、倭比賣命の比を濁るのなど、みな誤りだ。このような間違いは、他にも多い。】

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