神代三之巻【大八嶋成出の段】本居宣長訳(一部、編集)
○筑紫嶋(つくしのしま)。万葉巻廿【廿八丁】(4374)に「都久之乃之麻(ツクシのシマ)」とある。これも伊予のように、元は一つの国の名だったが、四つの国【筑紫、豊国、肥、熊襲】を合わせた総称になった。この島は、後代に「西海道」【北山抄にいわく、「西の道」】と言い、九国になった。【俗に九州と呼ぶ。】
○「有2面四1(おもよつあり)」とは、筑紫国、豊国、肥国、熊襲国の四つである。
○筑紫國(つくしのくに)。万葉巻五【二十三丁】(866)に「都久紫能君仁(つくしのくに)」とある。後に二国に分かれた。和名抄に「筑前【つくしのミチのくち】」、「筑後【つくしのミチのしり】」とあるのがそうだ。風土記に「筑後の国は、もと筑前の国と一つであった」と書かれている。「道の口」、「道の後(しり)」のことは、黒田の宮(孝靈天皇)の段で述べる。ところで、このように二国に分かれたのは、いつのことか分からない。書紀の景行の巻十八年のところに「筑後國」とあるから、それより前だろうか。それとも分かれたのはもっと後のことだが、前のことにも適用して書いたのか。
「つくし」という名の意味は、筑後國風土記に、三つの説がある中に「昔、筑前と筑後の境の山に荒ぶる神がいて、往来する人が多数取り殺された。そこでその神を『人の命尽くしの神』と言った。後になってこの神を祭るようになり『筑紫の神』と称した」というのが、いかにもありそうなことに思える。【他の二つの説も、いずれも「尽くし」の意味ではあるが、間違っているように思う。また弘仁私記には「国の形が木兎(つく:ミミズク)に似ているから」とあり、世間の物知りたちもこの説を採用することが多いが、やはり違うように思う。】
延喜式には、筑前の国の御笠郡に筑紫(ちくし)神社が掲載されている。この神のことだろう。【また近世になって貝原益軒が「釈名」という書物で「昔異国からの侵略を防ぐため、筑前の北の浜辺に石垣を多く築いた。それで築石(つくし)と言ったのではないか」と述べており、これもありそうなことに聞こえるが、上代には異国の賊を防いだという話はない。】
○白日別(しらびわけ)は、名の意味は分からないが、【万葉に「白縫筑紫(しらぬいつくし)」と続けて言うのに関係がありそうに思える。しかし「それは不知火のことだろう」と師(賀茂真淵)は言っていた。】強いて言えば、後の方で大年神の子に白日神という神がいる。ただそれは向日神の誤記ではないかと思われる節があり、こちらも向日別(むかつひわけ)ではないだろうか。書紀神功の巻に「天疎向津媛命(アマざかるムカツひめのミコト)」があり、仲哀の巻にも「向津野大濟(ムカツヌのオオワタリ)」、「向津國(ムカツくに)」、万葉にも「向峯(むかつお)」などの例がある。その向津國は韓国のことで、海の遙か向こうに見える国の意と思われるので、ここもその意味ではないだろうか。継体の巻の歌に「武カ(加の下に可)左屡樓、以祇能和駄リ(口+利)(むかさくるイキのワタリ)」【壱岐の渡りである。】とあるのも同じ意味である。
前記の「向津媛命」に「天疎」と付けたのも、遙かに向かうという意味だ。また思うに、師が「向津媛という名は、いにしえは美しくて、その姿を見たいと思うのを『向かしき』と言ったので、その名に付けたのだろう」と言ったが【万葉巻十八(4105)に「白玉の五百つ集ひを手に結びおこせむ海人はむかしくもあるか」】
この名も、その意味で讃えたのであろうか。そうだとすると、筑紫という名も「うつくし」ということになる。【昔、そうした事情があって名付けたのだろう。】
これらは思いつくまま書いたのだが、容易には調べられないので、元の思いつきのままである。白は「しろ」とも読めるが、これも定めがたく、古くから読まれてきたまま「しら」と読んでおく。「日」は濁って読む。【書紀の口决には自日別(よりびわけ)とある。間違いだろう。】
○豊國は「とよくに」と読む。どの本にも、そうある。【「とよのくに」とは読まない。】これも後代二つに分かれて、和名抄に豊前【トヨクニのミチのクチ】、豊後【トヨクニのミチのシリ】とある。分かれたのは、いつか分からない。書紀の景行の巻十二年のところに≪口語訳:ついに九州に行くことになり、豊前の国に着いて、長峡の縣に行宮を立てて住んだ。そこを京(みやこ)という。十月、碩田(おおきだ)の国に行った。そこは広くて美しい土地だった。そこで碩田(大分)という。≫」とある。風土記にも同じことが書かれている。だから、その国を豊国と言ったのも、その意味だろう。【豊は豊かで大きいということである。豊後国風土記の国名由来の説は、どんなものだろう。≪※北方から白い鳥が飛来してここで餅に変じ、同時に美味な芋が多量に生えたという奇瑞があり、それを聞いた景行天皇が「地の豊草の国であるから、豊国と名付けよ」と言ったという伝説がある≫】碩田は後に郡になった。【和名抄に出ている豊後の国、大分の郡がこれである。また大隅の国桑原の郡にも大分、豊国という二つの郷がある。これは別のことだが、似たような由緒があるのではなかろうか。】
○豊日別(とよびわけ)。名の意味は、国名と同じようなものだろう。
○豊日別(とよびわけ)。名の意味は、国名と同じようなものだろう。
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