※農林水産庁Webページより
この頂点だけ、時間軸が逆方向に向いている。食材も料理も栄養も、不足あるいは簡便な状態から充足、複雑化し、より豊かになる方向へ進み、現代の時点で、さらにその方向に加速されようとしている中で、もてなしの質は逆に貧弱の方向へ向かっているのではないかという疑問を、この逆方向の矢印に表現したかったのである。
明らかに、もてなしの質は低下している。ここでいうもてなしとは、主人が客をいかにもてなすかというサービスだけをいっているのではなく、食事の場のふるまい方全体を指している。その中には、食事のマナーや室礼といった食の場の設営の仕方や、それを鑑賞する態度も含まれる。
和食には、独自の作法がある。例えば膳に向かって食べはじめるのに、まず最初に「いただきます」という挨拶を全員でする。これは自然の恵みによって、我々が生かされているという思いから出たものである。次に何をどのように食べるか、箸をどのように使うか心得がある。和食の食べ方として注意されるのは、ご飯とお菜、あるいはご飯と汁というように交互に食べ、いつもご飯を間に挟んでお菜や汁をとるのが本来であった。これに違反することは、古くは「移り箸」として箸のタブーの一つとされ、お菜からお菜に箸を移してはいけないとする箸の作法の一つであった。
比較的味の淡薄なご飯と、味の濃いお菜が口中で適宜咀嚼されて、おいしく食べられると考えられてきた。近年はお菜が豊富となり、お菜だけを食べる習慣が強くなっているが、逆にもっとご飯を食べバランスのよい食事をするためには、この方法がよいと見直され「三角食べ(お菜-ご飯-別のお菜)」と称して給食で勧められている。
箸と器の作法も、次第に消えつつある。箸は先の「移り箸」を始め、箸で器を寄せる「寄せ箸」や料理を箸で刺して取る「さし箸」ほか、いくつもの「嫌い箸」といわれる箸のタブーがある。箸の正しい持ち方とともに、こうした箸の作法も教えてゆく必要があろう。
日本の食具には、明治時代にスプーンが入ってくるまで匙の伝統が奈良時代以来、消えていった。そのため熱い汁を飲むには、椀に唇をつけてすすらねばならない。その結果、日本では食器を手に持つことが許され、食事中の音に対して寛容な風潮が生まれた。和食はハレの食事の場合、そのハレの意義を料理や室礼を通して表現した。祝いのハレの席であれば、めでたい掛け軸を床の間に掛け、季節の花を活け、料理にも器にもその祝意を表現し趣向をこらした。しかし和に関する教養が衰退し、こうした趣向や室礼は殆ど顧みられなくなった。もはや、これを取り戻すことは難しい。
しかし趣向は食文化の大切な要素なので、別の形で継承されていくであろう。
和食に未来があるか、誰にも予測はできない。様々の変化を遂げながらも、和食の伝統は続くであろう。
「和食は体によい」
これは、和食を勧める最大のセールスポイントである。しかし、いかに健康によく栄養バランスがよく、カロリーを摂り過ぎないと勧めても、それだけで健康になるわけではないから、説得力に限界はあろう。遠隔地から大量の食糧を運ぶのは、明らかに環境破壊である。エコロジーの観点から、和食が日本人に最も相応しいことは言うまでもないが、日本人の嗜好が大きく変化している中で、日本の食材だけで満足するのは難しい。ユーザーに選ばれるために、一番大切な点は「おいしい」ということだ。
では和食は「おいしい」か「おいしくない」か、どちらであろうか。従来の各種アンケート調査の結果をみても、日本人は今も白米のご飯が主食として一番好きである。また副食の中で、最も好まれるのは刺身である。味噌と醤油に対する嗜好も、日本人の中で消すことはできない。和食の形は、しっかりと残っている。問題は多様化する食材、味つけ、表現をどこまで和食が採り入れ、その基本的性格を受け継いでゆけるか、という点であろう。
2007年、私はニューヨークのマンハッタン地区の日本料理店の調査に行った。そこで見聞したのは、マンハッタンに住む多くのミドルクラスの人々が、日本料理に舌鼓を打つ光景であった。しかし料理を見ると和食に違いないが、常識的な和食にくらべるとインパクトが強く、オイリーな仕上げになっていることに気づかざるを得なかった。
たとえば白身のスシに、ワサビの他タバスコをのせたり、銀ダラの幽庵焼きの上から白味噌のソースをかけ柚子胡椒を添えるなど、アメリカならではの工夫があると思われた。しかしよく話を聞いてみると、殆ど同じ料理が日本で供され、若者に人気があるという。海外も国内も、和食の変容がシンクロナイズしているのに驚かされた。極論すれば、海外の動向は国内の和食の動向を占うヒントになる。こうした様々な可能性を踏まえ、和食の未来が考えられなければならない。
それにしても、先細りする和食の嗜好をいかに再び再生させるか、その方法が問われている。食は生きものであるから、外部からその動向がコントロールされるわけではない。長期的に見てその傾向を鈍化させ、あるいは再生させるために有効な道は食育であろう。親から子へ、家庭の食が伝えられる可能性は大変低くなっている。むしろ学校で食育を積極的に取り入れ、幼い時から和食のスタイルとおいしさを経験させる必要がある。そのためには、給食のあり方ももう一度、考え直す必要があろう。
米飯給食であれば、その傍らには牛乳ではなく、味噌汁を置いてほしい。また料理人が学校へ出張して、だしのおいしさを子供たちが経験する試みも、数多くおこなわれている。こうした地道な運動が、地域のコミュニティーや家庭でも続けられることによって、今われわれが当面している和食文化の危機は、幾分かは回避されると思う。また、そのためにも日本人が自らの食文化である和食に対し誇りをもち、かつその価値を次世代に伝える強い意志を持つことが望まれる。
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