神代三之巻【大八嶋成出の段】本居宣長訳(一部、編集)
○大嶋(おおしま)は、周防の国大嶋郡のことか。この郡は離れ島で、今は八代嶋と呼んでいる。上関の東、安芸の厳島の西南にある。【長さが今の道で八、九里ほど、横五、六里ほどの島である。】
○大嶋(おおしま)は、周防の国大嶋郡のことか。この郡は離れ島で、今は八代嶋と呼んでいる。上関の東、安芸の厳島の西南にある。【長さが今の道で八、九里ほど、横五、六里ほどの島である。】
万葉巻十五【十五丁】(3638)に「過2大鳴門1而云々(おおなるとをすぎて)」、「巨禮也己能、名爾於布奈流門能、宇頭之保爾、多麻毛可流登布、安麻乎等女杼毛(コレヤコノ、ナニおうナルトの、ウズシオに、たまもカルとウ、アマおとめドモ)」とあり、【この鳴門は今もある。大畑の瀬戸と言って、周防の地と大島の間の瀬戸で、満潮時は潮の音が高く舟人が恐れるところであると言う。】
国造本紀に、大嶋國造とあるのは【阿岐(あぎ:安芸)の次、周防の前に載っているので、】この大嶋である。後撰集の恋の一(593)に「人しれず思ふ心は、大嶋のなるとはなしに歎くころかな」、同四(829)に、「大嶋に水を運びし早船の云々」、これらも同じだ。【この後撰集にある大嶋を備前とするのは誤りである。】また筑前國宗像郡神湊から、今の道で三里北の海中にも大嶋があるが、こちらだろうか。宗像の中津宮というのは。この島である。【伝七 に出る。】
源氏物語の玉鬘の巻に「船人も誰を戀ふとか、大嶋のうらがなしげに聲の聞こゆる」【河海抄に「大嶋は筑前の国、鐘の岬の近辺」とある。鐘の岬の西の方に当たる。】とあるのは、この大嶋である。また肥前國松浦郡平戸の東北の方にも大嶋があり【肥前の北、壱岐島の南である。】これだろうか。この他、さらに諸国に大嶋という島は数多くあるが【他はみな違うと思う。】
ここに出ているのは、以上三つのうちのどれかだ。書紀の雄略の巻に、吉備臣田狭(たさ)の子、弟君(おときみ)という人物が、「集=聚2百濟所貢今來才伎於大嶋中1、託=稱2候風1淹留(クダラのイマキのテビトどもをオオシマのナカにツドエテ、かぜサモロウとコトヅケテ、ヒサにトドマレリ)」とあり、継体の巻にも、加羅國に遣わした御使、物部伊勢連父根、云々の理由で「却=還2大嶋1(おおしまにソキかえる)」とあるのは、上記の肥前か筑前かのどちらかだ。また書紀に「越洲次生2大嶋(コシのシマのつぎにオオシマをウミタマウ)」とあるのもここの大嶋と同じであろう。【これを伊豆の大嶋だというのは、西の方にある大島を知らない者達の曲説である。】
ところで、書紀では、この大嶋も大八洲の一つである。
○大多麻流別(おおたまるわけ)。名の意味は分からない。【あるいは「多麻」は玉で、「流」は泥(ね)の誤りではないか。記中に、「泥」を「流」と間違えている例がある。泥は美称で「玉留産霊」という名の神がいるが、それを「たまる」と読むのは誤りである。】
○女嶋は「日女嶋(ひめじま)」であるのを、日の字を書き落としたのである。【旧事紀に最初は姫嶋と書きながら、後には女嶋と書いているのは、この記の古い本が旧事紀の材料になってから、日の字が脱落したのではないだろうか。日女嶋と言うのはやや後のことで、初めは「めじま」と呼んだのかもしれないとも思ったが、そうではない。また、今筑前の山鹿岬の北の海や、肥前の五嶋の南方遙かにも男嶋女嶋という島があるが、それらではない。】
○女嶋は「日女嶋(ひめじま)」であるのを、日の字を書き落としたのである。【旧事紀に最初は姫嶋と書きながら、後には女嶋と書いているのは、この記の古い本が旧事紀の材料になってから、日の字が脱落したのではないだろうか。日女嶋と言うのはやや後のことで、初めは「めじま」と呼んだのかもしれないとも思ったが、そうではない。また、今筑前の山鹿岬の北の海や、肥前の五嶋の南方遙かにも男嶋女嶋という島があるが、それらではない。】
これは今、筑前の海中の玄界島と、肥前の名兒屋との間の海上で、同国の唐津から今の道で二里ばかり東北の方にあるという姫嶋であろう。豊後國の直入郡の東北の海にも姫嶋があるが、それではない。摂津国風土記に『比賣嶋の松原は、昔軽嶋の豊明の宮(應神天皇)の時代に、新羅の女神が夫から逃れてきて、しばらく筑紫の伊岐(壱岐)の姫島にいたが「この島はまだ新羅に近い、ここにいたら夫に見つかってしまいそうだ」と言って、そこから更に移ってきて、この島に住んだ。それで前に済んだところの名を取って姫嶋とした。』とある。【これは難波の比賣碁曾(比賣許曾)神社の故事で、明の宮の段に出ている。伝三十二の四葉を参照せよ。比賣の松原というのは摂津にあって、それは高津の宮(仁徳天皇)の段にある。伝三十五の三葉も参照のこと。】
この壱岐の比賣嶋というのが、前記の筑前の島である。【壱岐と言っているのは、その女神が新羅からまず壱岐に来て、そこからすぐ比賣嶋に来たということか。あるいは豊後や摂津の比賣嶋と区別するために言ったのかも知れない。】
名の意味は、その女神がしばらく住んでいたことによるのだろう。【豊後や摂津の姫嶋も、彼女が次々に移り住んだことによるのだろう。また出雲國嶋根郡にも比賣嶋というのがある。風土記に出ている。】
○天一根(あめひとつね)は、前述の天一柱と同じ意味だろう。根は美称の泥の意味か。根の例としては嶋根などもある。
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