2016/03/17

伊勢(3)

古代、宮川沿いに伊勢に向け下ってきた旅人は、佐八に着いて初めて伊勢平野を眺めることができた。天気の良い日には、さらに伊勢湾越しに知多半島なども目に映ったことだろう。佐八の地名は「もうすぐ伊勢神宮だ」と、感動と安堵を伝える地名でもあった。

 

大分県にある「左右知」に使用されている文字が、同じような意味(あっちこっちを知る)を持っているのも、地名の音とその意味を正しく伝えようとした古代人の知恵だろうか。 支流の一之瀬、横輪(よこわ)川を合わせ水量を増した宮川は、伊勢市津村付近から直流して玉城町昼田で岸にぶつかって少し右に曲がっている。この昼田から下流部にかけては、大雨による洪水の時などに激流が大きく河岸を削り取った所で、宮川の氾濫域は宮川左岸の上地台地付近まで及んでいる。

 

宮川は昭和時代になっても、この地からしばしば氾濫している。地名昼田の元の音「ふぃ-る-た(hwi-ru-ta)」には「とてもたくさん削り取られた所」という厳しい自然の脅威の記録が伝言されていることを忘れてはならない。宮川右岸の桜で有名な宮川堤には、江戸時代に洪水でも破壊されない土手を築くため人柱となった「松井孫右衛門」の顕彰碑が建てられている。桑名と同じように、この川も人と水との戦いの連続だった。

 

このように年々災害を繰り返す宮川の元の名は、度会(わたらい)川と言う。度会の元の音は「わ-た-るゎ-ぅぃ(wa-ta-rwa-wi)」で「周辺の広い範囲に隈無く豊富な(水を供給する)」という意味で、大雨になれば災害をもたらす川は、また反面周辺の地域に稲作に必要な水を供給する恵の川でもあった。現在は宮川用水が、周辺の農地に水を供給している。

 

宮川左岸の玉城町のほぼ中心の高台には、玉城の地名の元になった田丸城址が存在している。この田丸の名は、城の築かれた高台が丸山であったことに因んで名付けられたとされるが、今では確認する術はない。ところが田丸城址のほぼ真南には、田丸「た-ま-る」の元の音「た-むゎ-る(ta-mwa-ru)」が伝える「とても高くて本当に丸い山」そのものの大日山が聳え、朝な夕なにその美しい姿を仰ぎ見ることができる。大日山は田丸城址からの最も特徴のある景観で、この山の形がそのまま地名になったと考えた方がよさそうだ。

 

なお、田丸城跡のある玉城町の町名は、昭和30年に地方自治体として町が誕生した時に名付けられたもので「た-むゎ-き」の音は田丸と全く同じ語源の「とても高くて本当に丸い山」である。この地の人々の記憶の奥底に伝承されていた「大日山=田丸=玉城」の名が、町名として蘇ったのではないか。現在は伊勢市に編入されているが、元は玉城町の一部であった粟野町も、その音「あ-わ-の(a-wa-no)」から「高くて丸い突起状の()」、すなわち大日山を意味していることがわかる。

 

ちなみに田丸、粟野の地名の解読には、山口県の小京都と呼ばれる津和野(つ-わ-の=つぅ-わ-の=twu-wa-no)が、津和野城址から見た青野山と前方の低い野村岳の丸く突起状に積み重なった景観から名付けられていたことがヒントになった。 同じ粟野の地名は、三重県飯高町にもある。そして国道166号線を西へ向かい、向粟野と書かれたバス停を通過すると、目の前に伊勢の粟野と同じ「高くて丸い突起状の()」が目に入って来た。

 

 伊勢には神宮を中心に大倉山、倉田山、高倉山など「倉」にまつわる地名が存在しています。

 

      倉(く-ら=くぅ-ら=kwu-ra)「米を入れる所」

      神楽(か-ぐ-ら=くゎ-くぅ-ら=kwa-kwu-ra)「倉を取り囲んで行う祭祀」

      宮 (み-や=みゃ=mya)「(毎年同じ時期に祭を)本当に繰り返して行う所」

      社(や-し-ろ=ya-si-ro)「(祭祀を)繰り返すために、より確かに区別されたところ」

      祭(ま-つ-り=ま-つぅ-り=ma-twu-ri)「継承される本当に偉大なもの」

      米(こ-め=くぉ-め=kwo-me)「中心になる本当に大切なもの」

      稲(い-ね=い-ぬぇ=i-nwe)「確かに基本となるもの」

などの語源からも、稲作と祭、稲作と伊勢の関係の深さを類推できます。

 

 伊勢の地には、これまで述べた地名の他にも、地形の景観を良く伝えている古い町名や字名が多数残っていますので、少し触れておきましょう。

 

 伊勢湾に面していて伊勢市と明和町にまたがる大淀集落、この大淀を地元の人は今でも「おいづ」と短かく呼んでいますので、大淀の元の音が「お-い-つぅ」であった可能性を秘めています。「お-い-つぅ(o-i-twu)」の音から得られる地形の様子は「遠く(沖の方)で確かにつながっている所」で、現在陸地となっている集落の内()側は、古代においては浅い内浦であったことを示しています。

 

 この大淀の東側に隣接する伊勢市村松町には、一部墓地となっていますが「大防(おぼう)城山」と呼ばれる字名を持つ海岸段丘があります。この「大防(おぼう)(o-mэu)」は、音の変化を遡れば元の音が「お-も-う=お-むぉあう」であることが明らかですので「遠くの方が本当に良く見える所」という意味です。海岸付近の標高6m足らずの低い丘ですが、かっては小さな城も築かれ見張り台となっていたのでしょう。新しい住居表示には字名が使用されていませんので、いずれ忘却されてしまう地名でしょうか。

 

 また、伊勢及びその近傍には、あちこちに世古という字名が残っています。大世古、中世古、世古田などですが「世古」の元の文字は「迫(さこ)」で、この「さこ」の元の音「すゎ-こ(swa-ko)」は「より狭くなる所」という意味ですので、世古の地名は道や水路が狭くなった箇所に使われたのでしょう。

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