仙石原
紀元前1,000年ころに神山の北西斜面で水蒸気爆発が起こった。これが引き金となって崩壊が起こり、大量の土砂が神山岩屑雪崩となり、仙石原に流れ込んだ。その後、神山北西斜面の崩壊跡に地下からマグマが上昇して冠ヶ岳ができ、冠ヶ岳火砕流が繰り返し北西斜面を流れ下り、このとき崩れた土砂が仙石原を造った。弥生時代中期には、多量の土砂のせき止めによって、古芦ノ湖の仙石原部分が湿地化し、農耕民が住み始めた。箱根火山カルデラ内の北部に位置し、湿原や草原が広がる。総面積は約16ha。これは、かつてこの地域がカルデラ湖の一部だった名残りである。富士箱根伊豆国立公園に指定されている。
他に、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名、小諸藩の初代藩主、仙石秀久に由来する説。源頼朝が雄大な原野を眺めて「この地を開墾すれば米千石はとれるだろう」と言ったのを由来とする説などもある。
姥子
およそ3千年前に神山が水蒸気爆発を起こした際の岩屑雪崩と、その後の冠ヶ岳形成に伴う火砕流堆積物が層を成す、扇状地の要(かなめ)に当たる扇頂部付近に湧出する。開湯は古く、遅くとも鎌倉時代には眼病に効く湯としてその存在が知られていた。
「姥子」の名は、金太郎こと坂田金時にまつわる伝説に由来する。枯れ枝で傷めた金太郎の目を、母親である山姥(乳母との説もある)が箱根権現のお告げに従ってこの湯で洗い、完治させたと伝えられる。
大涌谷
約3000年前に箱根の最高峰の神山が、箱根火山最後の水蒸気爆発を起こした爆裂火口で、今もなお熱い水蒸気と硫気を噴出しています。古来より「大地獄」と呼ばれていたが、明治6年に明治天皇・皇后両陛下が箱根に御静養に来られる際に「両陛下がお出になる地に地獄があってはおそれ多い」と大涌谷と改称された。ここから雄大な富士山の眺めを楽しむことができる(かながわの景勝50選)
芦ノ湖
箱根山の頂上にある、湖の美しい景色は古くからたくさんの歌や紀行文に紹介されている名所である。この湖が「芦ノ湖」と呼ばれるようになったのは、水辺に芦がたくさん生えていたからといわれている。
鎌倉時代の初めに書かれた本に、すでに「芦ノ海」の名前が載っている。明治時代より前には「湖」という漢字は「うみ」と読み「海」と同じように「水がたくさんあるところ」という意味を持っていた。
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