ディオニューソス(古希: ΔΙΟΝΥΣΟΣ,
Διόνυσος, Dionȳsos)は、ギリシア神話に登場する豊穣とブドウ酒と酩酊の神である。この名は「若いゼウス」の意味(ゼウスまたはディオスは、本来ギリシア語で「神」を意味する)。オリュンポス十二神の一柱に数えられることもある。
聖獣は豹、虎、牡山羊、牡牛、牡鹿、蛇、イルカ、狐、ロバで、聖樹は葡萄、蔦であり、先端に松笠が付き葡萄の蔓や蔦が巻かれたテュルソスの杖、酒杯、豊穣の角もその象徴となる。また、アメシストとの関係も深い。日本語では長母音を省略してディオニュソス、デオニュソスとも呼ぶ。別名にバッコス(古希: Βάκχος, Bakkhos)があり、ローマ神話ではバックス(Bacchus)と呼ばれ、豊穣神のリーベルと同一視された。
出典 Wikipedia
●葡萄酒、演劇の神ディオニュソス(バッカス)
どの神にも多かれ少なかれ言えることではあるが、とりわけこの神は素性が知れない。相当に古い神であることは確かなようだが、どうも新来の神というイメージで見られていたようで、その事情は悲劇作家エウリピデスの『バッカイ(バッカス=ディオニュソスの信女たち)』に詳しい。
どの神にも多かれ少なかれ言えることではあるが、とりわけこの神は素性が知れない。相当に古い神であることは確かなようだが、どうも新来の神というイメージで見られていたようで、その事情は悲劇作家エウリピデスの『バッカイ(バッカス=ディオニュソスの信女たち)』に詳しい。
ホメロスの叙事詩でも、名前が言及されるくらいで、登場人物として活躍することはない。それに、その出生が純粋の神々の子なのではなく、後で見るように「母親は人間のセメレ」であって、こうしたものは通常は英雄の人生を送るのが普通であった。こうした出生のものでも、ヘラクレスや双子神カストルとポリュデイケスなどのように、死後「神」になるのもいたが、12神に並ぶような地位を持つのは彼のみである。
ディオニュソスの信仰は、古典期からローマ時代まで相当長期のものがあり、ギリシャ悲劇は元々ディオニュソスの祭りである「春の大ディオニュシア祭」のメイン・イベントとして始められたものであった。したがって、彼は演劇の神となっているわけだが、他方で酒の狂乱と一脈通じる「熱情・狂乱の神」としても知られている。
その信仰の在り方は「女性だけの宗教」で「山野を駆け巡り、生肉を裂いて食らい、狂い踊る」といった、悲劇作家エウリピデスの作品『バッカイ』に描かれている在り方が有名となった。実態が、果たしてそんなものであったかどうかは不明だが、ローマ時代には取締の対象になっていたところからすると、相当に怪しげな要素があったのだろう。こうした彼の在り方が、後世の哲学者ニーチェによって、アポロンの輝きと対比され「アポロン的なものとディオニュソス的なもの」、つまり人間の「理性的なものと情念的なもの」の概念を表す言葉となった。
彼の神話としては、その出生にまつわる神話がよく知られる。その物語は、例によりゼウスがセメレという娘を見初めて妊娠させてしまう。それに嫉妬したゼウスの妻ヘラが彼女を騙し、ゼウスに誓いを立てさせた上で一つの願いをするようにと唆す。何も知らないセメレはそれにひっ掛かり、ゼウスに本来の姿でやってくるように願う。ところが、それは雷鳴と雷光を伴った天の神ゼウスであるから、哀れセメレは死んでしまう。ゼウスは、いち早く胎内の子供を取り出して自分の太腿に縫い込んで、そこで育ててしまった。
生まれたディオニュソスは、その後もヘラに付け狙われるが、必死に切り抜けて行く。そして数々の冒険のうちに、やがてその神性を現していくのであった。その物語もなかなかに凄まじいが、心温まるものとしては、彼が冥界に母セメレを求めて下り、それを救い出して天に上り、彼女を神々の一員にしていくという話もある。
出典 http://www.ozawa-katsuhiko.com/index.html
出典 http://www.ozawa-katsuhiko.com/index.html
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