パレスチナ北部の町ナザレに、大工ヨセフとその婚約者マリアが暮らしていた。
ある日、マリアのもとに天使ガブリエルが現れ、神の子が宿ることを告げた(受胎告知)。パレスチナを支配していたローマは戸籍調査を実施し、二人は住民登録のためロバに乗ってベツレヘムに向かった。多くの人々が集まったベツレヘムには泊まる宿もなく、ようやく見つけた馬小屋でマリアは男の子を産んだ。産まれたばかりの赤ん坊は飼い葉桶に寝かされ、イエス(ヨシュア)と名づけられた。BC4年のことである。
天使は、救いの御子の誕生をベツレヘムで野宿している羊飼いに知らせた。彼らは、お祝いに駆けつけた。また、東方では輝く星(ベツレヘムの星/クリスマスの星)を見た三博士(三賢人)がいた。彼らは星に導かれてベツレヘムにたどり着き、マリアとイエスに礼拝して贈り物をささげた。世界史上、最も重要な人物イエスの生誕物語である。
イエス
ヘブライ語ヨシュアのギリシア語読み。Jesus(イエス、ジーザス)
キリスト
ヘブライ語メシア(救世主)のギリシア語読みがキリスト
神は人間の罪(原罪)を救うために、御子をこの世に遣わせた
クリスマス
Christmas, Xmas:キリストのミサ(Christ's
Mass)、降誕祭、聖誕祭
プレゼント
三博士の贈り物が、クリスマスプレゼントの始まり
ヨハネの洗礼
イエスの誕生を知ったヘロデ王は、2歳以下の男子を殺せと命令した。ヨセフは直ちにエジプトに脱出した。ヘロデ王の死後、一家は故郷のナザレへ戻った。その頃ユダヤ教の改革を叫んでいた洗礼者ヨハネは、ヨルダン川のほとりで人々に洗礼を授けていた。イエスも30才の頃にヨハネの洗礼を受け、自分がメシア(救世主)であることを悟った。
【洗礼者ヨハネ】
ユダヤのヘロデ王(ヘロデ大王の息子)は、兄の妻ヘロディアと不倫の仲になり、それを批判したヨハネは捕らえられた。ヘロディアの娘がサロメ(Salome)。ある夜、ヘロデ王の誕生日、サロメの美しさに魅せられた王は、彼女に踊りを所望した。どんな褒美でも与えると。サロメはベールを次々に脱ぎ捨てる「7つのベールの踊り」を踊った。見事な踊りだった。サロメは褒美にヨハネの首を求めた。
イエスの家族(聖ヨセフ教会:ナザレ)
イエスは洗礼を受けた後、ユダの荒野に行き、40日間悪魔の誘惑と戦う。断食中にサタンが忍び寄り
「おまえが神の子というのなら、この石をパンに変えてみろ」
と試す。イエスは
「人はパンのみに生きるのではない」
と応酬した。
悪魔の誘惑を退けたイエスは、教団を離れガリラヤ地方へ伝道に出る。ある時は奇跡をおこし、民衆の病気を癒し、神の国の福音を説いた。イエスの評判は高まり、ローマの重圧に苦しんでいたユダヤの民衆に受け入れられていった。彼の説教の中でも
「心貧しき人達は、幸いである、天国は彼らのものである・・・」
に始まる山上の垂訓は、特に有名である。
彼は、救いを求める全ての人々を救ってくれる神の絶対愛と、敵をも愛せよという隣人愛を説いた。彼は、ヘブライ人(ユダヤ人)のみが救われるという選民思想や形式的な律法(ユダヤ教の戒律)を重視するユダヤ教を嫌い、律法学者やパリサイ人(ユダヤ教徒の一派)と対立していった。
エルサレム入城
AD30年、子供のロバに乗ったイエスは、ペテロ、ヤコブ、ヨハネなど12人の弟子を連れて、ユダヤの聖都エルサレムに入場した。人々は、喜んで彼を迎えた。ユダヤ教では「メシアは過越祭の時に、美しの門(神殿正面左側の黄金門)から入場する」といわれていた。イエスのエルサレム入りは、まさに過越祭の直前であった。
イエスたち一行はエルサレム神殿の内外で説教し、ユダヤ教の指導者を批判した。ユダヤ教の祭司やペリサイ人はイエスを捕らえ、審問にかけようとする。それを悟ったイエスは、12人の弟子と最後の晩餐をとった。
イエスのエルサレム入場
最後の晩餐で、イエスは食卓のパンとぶどう酒を自分の肉体と血であるといい、これから起こる受難と死を予告する。また、この中に裏切り者がいることやペテロの離反も予告する。
受難と処刑
イエスは晩餐の後、オリーブ山のゲッセマネの園に行き、深夜まで一人苦しみ悩んだ。
「父よ、できることなら、この苦しみの杯を我より取り除きたまえ」。
この祈りの最中、ユダが手引きした官憲に逮捕される。弟子達は逃げ、ペテロだけが残った。ペテロはイエスの予告どおり、イエスの弟子であることを否認した。
牢獄に繋がれたイエスは、ローマのユダヤ提督ピラトから十字架刑を宣告される。ピラトは死刑を望まなかったが、ユダヤ民衆の強い要求に屈してしまった。ユダヤの人々は「イエスの血の代償が後孫にまで及んでも構わない」と言い、これがキリストを殺したユダヤ人に対する迫害の材料になった。
ヴィア・ドロローサ
翌日、イエスは十字架を背負わされた。十字架の上には、INRI(ユダヤ人の王、ナザレのイエス)の札が貼られている。その十字架を背負い、茨の刺のある冠をかぶってゴルゴタの丘(ヘブライ語で頭蓋骨)に続く道を歩いて行った。この道は悲しみの道(ヴィア・ドロローサ:ViaDolorosa)と呼ばれ、現在14のステーションが設けられている。
1.
イエスが裁かれ
2.
十字架を背負い
3.
倒れ
4.
母マリアがそれを見て
5.
別の者が十字架を背負い
6.
ヴェロニカが、絹のハンカチで顔を拭い(そのハンカチに、キリストの顔が浮き上がった)
7.
また倒れ
8.
女たちと語り「エルサレムの娘たちよ、私のために泣くな。あなた方自身のため、自分の子供達のために泣くがよい・・・」
9.
三度目に倒れ
10. ゴルゴタの丘で衣服を剥ぎ取られ
11. 十字架に釘づけにされる。「父よ。彼らをお赦し下さい。・・・」
12. そして絶命する
13. 十字架から降ろされた遺体をマリアが受け取り
14. 遺体を亜麻布で包み墓に納めた。
イエスの墓は、エルサレムの聖墳墓教会の中にある。
【INRI】ラテン語の「Iesus Nazarenus Rex Iudaeorum」:ユダヤ人の王、ナザレのイエス。I:イエス N:ナザレ R:王 I:ユダヤ人。Jesus of Nazareth, the King of the Jews
復活そして昇天
墓に葬られたイエスの遺体は、3日目に消えた。その後、イエスは40日にわたって各所に現われ、悲嘆にくれる弟子たちに言葉をかけた。イエスの復活である。40日目に弟子たちの見守る中、オリーブ山の頂上から天に昇っていった。
イエスが伝道に費やしたのは、3年という短い期間であった。そこに凝縮された言葉や奇跡の数々は、2000年の時を経た今日でも、人々の心を揺るがしている。
弟子たちは、復活を信じた。
「彼こそメシアである、神のひとり子が全ての人々の罪をあがなうために十字架に架けられた」
と信じ、主キリストを礼拝するキリスト教ができあがった。
昇天の10日後、最後の晩餐の部屋に集まった弟子たちに聖霊が火となって降り注ぐ。この日、エルサレム原始教会が誕生し、弟子たちは伝道に立ち上がった。(キリスト教の歴史)
用語解説
福音
神からの喜ばしい知らせ。イエスの説いた神の国と救いの教え。ゴスペル(Gospel)
イースター(Easter)
キリストの復活を祝福する祝日。ニカイア公会議後、春分の日後の満月の次の日曜日と定められた。
三位一体
キリスト教の神は、父(創造主である神)と子(神の子イエス)と聖霊(人を導く神)の3つの位格(ペルソナ:性格)を持つ神であるとする説。
「父と子と聖霊のみ名のもとに、アーメン」
アーメン
ヘブライ語(amen)で、「誠にそうです」の意味。古代ユダヤ教会では、ラビが聖書の一句を読み、会衆が復唱して聖書を丸暗記した。しかし、次第に復唱が面倒になり、アメン(そのとおり)とだけ言うようになった。これがキリスト教にも受け継がれ、神父の祈りの言葉に、会衆がアーメンと言うようになった。ギリシャやロシアでは「アミン」、英語圏では「エーメン」と唱える。
ハレルヤ
ヘブライ語のアレルヤ(halleluyah)。ヤハ(yah:神)を賛美せよの意味。
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