2019/12/03

イエス・キリスト(1)

イエス・キリスト(紀元前6年ないし紀元前4年ごろ - 紀元後30年ごろ[1]、ギリシア語: Ίησος Χριστός[2])は、ギリシア語で「キリストであるイエス」、または「イエスはキリストである」という意味である。すなわち、キリスト教においてはナザレのイエスをイエス・キリストと呼んでいるが、この呼称自体にイエスがキリストであるとの信仰内容が示されている。イエスの存在については、1世紀の歴史家がその著作の中で言及している。

本項では、ナザレのイエスについてのキリスト教における観点と、その他について述べる。

かつてのカトリック教会では、イエスは「イエズス」と日本語で表記されていた。

マタイ伝・マルコ伝は、それぞれの冒頭で「ダビデの子イエス・キリスト」「神の子イエス・キリスト」と呼び表しており、この結合表現は新約のほかの文書でも用いられている。パウロ書簡には「イエス・キリスト」と並んで「キリスト・イエス」の表現も見られるが、紀元1 - 2世紀の間に「イエス・キリスト」の方が定着していった。

キリスト」は救い主への称号であったため、キリスト教の最初期においては、イエスを「イエス・キリスト」と呼ぶことは「イエスがキリストであることを信じる」という信仰告白そのものであったと考えられる。

しかし、キリスト教の歴史の早い段階において、「キリスト」が称号としてではなくイエスを指す固有名詞であるかのように扱われ始めたことも確かであり、パウロ書簡においてすでに「キリスト」が固有名詞として扱われているという説もある。

イエス・キリストとは何者か
以下、イエス・キリストとは何者かについて、正教会、カトリック教会、聖公会、プロテスタントに共通する見解を、おもに教派ごとの出典に基づいてまとめる。

イエス・キリストはただ一人の神の子である。この神の子は言葉とも呼ばれる。神の子は、三位一体の子なる神であり、ほかの2つの位格と本質を同じくする。

イエス・キリストは神の子が受肉して人の性をとった、真の神であり真の人である。この人性は、まったく完全なものである。1つの位格のうちに神性と人性の2つの本性を持つとされる。

降誕と幼少時代
ヨセフの婚約者であったマリアは、結婚前に聖霊により身ごもった。紀元前41225日、天使の御告によりヨセフはマリアを妻に迎え男の子が生まれ、その子をイエスと名づけた。キリスト教では、この日を記念しクリスマスとして祝う。

しかし、聖書の記述には、イエスの誕生日を明確に明言している箇所は1つもなく、イエスの誕生日が1225日であるという確証はない。後世のキリスト教徒が定めたから、イエスの誕生日が1225日となったとされる。

むしろ、ルカ2:8の文書ではイエスが誕生した時の様子として「羊飼いたちが夜に、野宿しながら羊の群れの番をしていた。」の記述があることから、イエスが必ず12月に誕生していないことが分かる(ベツレヘムでは12月は冬の季節であり、冬の寒い時期に羊飼いが夜に戸外にいるのを見かけることはないと思考できる)。

受洗、荒野の誘惑
そのころ、洗礼者ヨハネがヨルダン川のほとりで「悔い改め」を説き、洗礼を施していた。イエスはそこに赴き、ヨハネから洗礼を受ける。

イエスの洗礼 - マタイ 3:13
そののち、御霊によって荒れ野に送り出され、そこで40日間断食し、悪魔の誘惑を受けた。

宣教活動
荒野での試練の後、イエスはガリラヤで宣教を開始する。また弟子になった者の中から12人の弟子を選び、彼らに特権を与えた。彼らは十二使徒と呼ばれる。

その後、イエスと弟子たち、また彼らを支える女性たちの活動は2年数か月に及ぶ。

自らをユダヤ人の王であると名乗り、また「神の子」あるいはメシアであると自称した罪により、衆議会の裁判にかけられた後、ローマ総督府に引き渡されゴルゴタの丘で磔刑に処せられた。

その後、十字架から下ろされ墓に埋葬されたが3日目に復活し、大勢の弟子たちの前に現れた。肉体を持った者として復活した、と聖書の各所に記されている。

正教会、カトリック教会、プロテスタントなど多くの教派で、キリストの死者の中からの復活は、初期キリスト教時代からの教えの中心的内容とされており、多くの教派で復活祭は降誕祭(クリスマス)と同等か、もしくは降誕祭より大きな祭として祝われる。

再臨
イエスは自分が再臨する時について予告している。雲に乗って来ることになっている。
出典Wikipedia

0 件のコメント:

コメントを投稿